2008年10月24日(金) 東奥日報 天地人



 間もなく母になりそうな人が、白い小さな毛糸の靴下を編んでいる。彼女自身の繭の一部でも作るように無心に(「早春のバスの中で」)。電車の中でまどろむ女性。ひざの上にある本は出産育児の手引。時折、風にめくられている(「白い表紙」)。吉野弘さんの詩にある風景だ。

 おなかの中の小さな命令に従い、母親になる準備を急いでいる人たち。日常のさりげない場面に、詩人の柔らかなまなざしが注ぐ。救急搬送されたものの、あちこちの病院で診療を断られ、三十六歳の妊婦が亡くなった。彼女もまた、小さな命令を日々の糧としていたろうに。多くの病院がある東京で痛ましいことが起きた。

 頭が痛いと訴えた妊婦が七施設から拒否された上、最初の要請先に運ばれたのは一時間も過ぎてから。男の子を出産後、脳内出血の手術を受けたが三日後に逝った。「当直医が一人だけ」「空きベッドがない」。それらが病院側の事情だったというが、都会の真ん中でのことだ。にわかには信じ難い。

 受け入れた病院は、都が指定する母子医療のとりでの一つ。なのに医師不足が続き、救急搬送を制限していたという。地方の産科医不足の深刻化が言われる一方、都市にもそんな影が広がっているのか。病院側の姿勢も含め、しっかりと検証すべきだ。

 白い靴下も育児書も生まれた命があってこそだ。亡くなった女性にも、あれこれ心積もりがあったことか。「子供の顔が見られない母親をつくってほしくない」。遺族はそう訴える。


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