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5 再び、楽器の個性と人の個性

 「私の作品」を「私たちの作品」にする時、必ず浮上してくるのが人間関係だ。メンバーの間に上下関係ができると、発言力の大きい人の意見が、自信のある人の意見が通ってしまう。議論の得意な人の意見が通ってしまう。そうなると、結局「私たちの作品」ではなく、一個人の色の強い「私の作品」に限りなく近づいていく。
 では、一個人の意見を押し付けないように各自が遠慮する。却下を禁止する。すると、お互いにほめ合ったり、讃え合ったりするのだが、本当に本心からいいと思っているのだろうか? ただ、なんとなく当たり障りのないことを言って、場を繕っているのではないか?と思えてくる。刺激的な創作活動というより譲り合いの場になり、誰もが自分の意見を主張しなくなり、消極的な参加になっていく。
 それでは、本当に研ぎすまされた作品は生まれない。もっと積極的に創作に関わって意見をぶつけ合おうと考える。作品の細部にまでこだわりを持って意見をぶつけ合う。当然、自分と価値観の違う人の意見を受け入れることは妥協になる。意見は食い違う。食い違い迷路に入っていく。作品の質を高めるために、グループは分裂するか、特定の個人を攻撃したり排除したりすることになる。その結果、研ぎすました作品を作るためには、価値観の似た人で集まって作品を作る、価値観の食い違った人は排除していくことになる。
 こうした問題を考える時に、もう一度、最初に掲げたテーマ「楽器の個性、人の個性」について、ぼくは考えてみることにした。作曲家は、どんな音色の楽器を組み合わせるか、楽器編成の組み合わせで、独自の世界を構築したりする。敢えて同種の楽器を多様して(チェロ8重奏、鍵盤ハーモニカ8重奏)極端に一色になったサウンドを作ることもあれば、楽器の意外な組み合わせで(例えば、ホセ・マセダは、竜笛とコントラファゴットとガムランと竹と児童合唱を組み合わせた)独特なサウンドを作ることもある。楽器の編成の仕方に作曲家の個性が出てくる。
 しかし、ダルマブダヤとの体験で感じた「楽器の個性」以上に「人の個性」に着目してみたら、どうなるだろう?「私たちの作品」づくりの場には、どういう個性がいて欲しいだろう? どういう好みの違いや、どういう意見の食い違いが生まれ、相互作用が起きる場にするか?
 人間関係の展開やトラブルまで想定しながら、メンバーを集め創作の場を設定する。それは楽器編成を考えるのと同じく、いやそれ以上に重要な作曲作業だと思う。
(次回へ続く)

 
   2008.10.17 update  
 
 
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