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4 「ペペロペロ」〜私たちの作品へ

 「せみ」を完成させた翌年、マルガサリと5年計画で始めたプロジェクトが、ガムランシアター「桃太郎」の共同創作だった。ここでは、個人の作曲家の作品としてではなく、「私たちの作品」と各自が認識できる作品を徹底して目指している。ぼくたちは何をするべきか?
 「踊れ!ベートーヴェン」もWiegoldの場合も、叩き台になる楽曲は、作曲者が提示している。作曲家が叩き台を作り、それをアレンジしていく作業は比較的簡単にできる。しかし、個人が叩き台を作るのではなく、最初のアイディアを作るところから全てを共同作業で作ってみることはできないか? と考えた。そこで、ぼくは敢えて叩き台を一切用意せず、アイディアを練るところから、マルガサリのメンバーと共同で作曲していくことを決意した。その結果、「桃太郎」は、戯曲なし、楽譜なし、音楽も台詞もダンスも、全てはワークショップのようなリハーサルから誕生するという形式を取ることにした。
 これは、20〜30人の大所帯のマルガサリとの共同作曲は、4、5人での共同作曲とは全く違う体験だった。4、5人ならば、比較的簡単に話し合いもできる。しかし、20人ともなると、話し合いも容易ではない。非効率極まりない。叩き台がない。演出家も指揮者もいない。全てを話し合いながら、実演しながら試行錯誤で決めていく。当然、意見はまとならない。
 「私の作品」を「私たちの作品」にしようと始めた試みだが、メンバー間の人間関係に少しでもヒエラルキーができると、発言力の大きい人の意見が通ってしまう。これでは、結局のところ「私の作品」に回帰していくではないか。創作作業は、人間関係のあり方と大きく関係してくる。
 2001年に創作の「桃太郎第1場」では、20人全員で創作するのではなく、5〜10人程度のグループに分かれて「しょうぎ作曲」を行い、そこでできた音楽をベースに再構成した。しかし、作品を構成していくアレンジは、野村誠が主導で進められたし、メンバーは受け身な姿勢も大きく、「私たちの作品」と言えるかというと疑問だ。
 2002年に作曲の「桃太郎第2場」では、ガムランの楽器を離れて、声や身体の動きから創作作業を始めた。また、代表の中川真さんの研究フィールドである「サウンドスケープ」や、「お田植え神事」なども作品に盛り込みたいとの要望もあったので、取り入れた。こうして積極的にアイディアを提案してくるのは、中川さんなど一部で、創作プロセスとしては、野村誠、中川真など、ごく一部の人が主導で進んでいった感は否めなかった。
 2003年、「桃太郎第3場」に取り組む前に、ぼくは、いずみホールでのガムランコンサートのために、新作の委嘱を受けた。この作品もマルガサリが演奏することになっていた。この新作で、譜面を書いたり、たとえ譜面を使わなくても野村が叩き台を作った音楽を作ったりはしたくなかった。それは、「桃太郎」が「私たちの作品」として成立することを否定してしまいそうだったからだ。そこで、ぼくは、決意した。マルガサリとの最初のリハーサルで、こう言ったのだ。
「これから来るリハーサルでは、毎回、皆さんとガムランで遊びます。どんなアイディアでも、ぼくが曲にしてみせますから、しょうもないアイディアでも、提案してください。完成像のことを全く気にせずに、好きにガムランで遊んだり、好き勝手な提案、要望をして野村を困らせてください。それでも、作曲家として、ぼくは作品を構成してみせます。」
 この発言がメンバーに安心感を与えたのか、リハーサルでは、次々にナンセンスなアイディアが出てくる。そして、それを大まじめにやってみる。ガムランの楽器を桶に見立てて、そこに向けて「おえ」と嘔吐する。「蚊取り線香」と言って、蚊の鳴き声をルバブ(弦楽器)で模倣する。「相撲取り」と言って、「のこった、のこった、勇み足」と言った後に、全員で座布団を放り投げる。創作の場では、どんどんアイディアが生まれ、それらを一切却下せずに、全てを作品として構成していく作業は、難しいし、面白いし、新鮮だった。朝日新聞には、「関西発!笑うガムラン」と評され、コンサートのアンケートでは、「最高」と「最低」に二分した。「ペペロペロ」と題されたこの曲は、一切の叩き台もないところから全て共同で作り上げた初めてガムラン作品だった。ついにぼくらは「私たちの作品」の地平に辿り着いた。
 「ペペロペロ」の直後に作った「桃太郎第3場」では、ガムランでロック風、演歌風、ミュージカル風など、様々な音楽形態を模倣したりする。もはや、ガムランはインドネシア人から教わるものでもなければ、野村誠から教わるものでもなく、メンバー一人ひとりの音楽になっていた。そして、自分の身近な感覚で、各自が思ったことを提案して作っていく。マルガサリのメンバーは「桃太郎」の創作に積極性を増していく。「演奏者が役者にもなり、作曲もし、アレンジもし、美術も作り、音楽グループの枠を超えて、音楽シアターグループ化し始めた。
 2005年に一応の完成に達した「桃太郎」は、その後も「私たちの作品」として上演の度に改訂され続け、2008年夏には、インドネシアの3都市(ジャカルタ、ジョグジャ、スラバヤ)で公演を成功させた。

 

 
 
 
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