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記者の目:福島の医師無罪で「第三者機関」に望む 松本惇

 福島県大熊町の県立大野病院で起きた帝王切開手術中の医療死亡事故を巡り、逮捕・起訴された執刀医の加藤克彦医師(41)の無罪判決が確定した。「医師の裁量に捜査機関が介入している」として全国の医療関係者が猛反発した異例の事件だが、取材を通じて感じたのは、病院側が当初から遺族や医療現場に不信感を与えない事故対応をしていれば、無理な立件を招かなかったかもしれないということだ。医師の責任だけを司法の場で追及しても医療事故の原因究明には限界がある。厚生労働省が設置を進めている医療過誤検証のための第三者機関には教訓を生かしてほしいと願う。

 県警が捜査に着手したきっかけは、事故から約3カ月後の05年3月、県設置の医療事故調査委員会が発表した報告書だった。報告書は、癒着胎盤の無理な剥離(はくり)▽対応する医師の不足▽輸血対応の遅れを事故の要因とし、実質的に加藤医師の過失を認めた。

 加藤医師を大野病院に派遣した県立医科大産科婦人科学講座の佐藤章教授は内容に違和感を覚えたが、説明に訪れた県側から「(遺族への賠償に備えるための)保険金が下りるようにするためにこうしてほしい」と説得されたといい、佐藤教授は「刑事事件になるとは思わなかった」と悔やむ。加藤医師も報告書に納得できず病院の事務長に抗議したが、同様の理由で説得されたという。

 加藤医師の無罪を訴えて支援した上(かみ)昌広・東大医科学研究所特任准教授は「最近は現場の意見を聞かず管理職が形式的に報告書を公開して、病院の評価を上げようとする姿勢が目立つ」と指摘する。結果的に、報告書が過失を断じたため、県警は立件の必要性に迫られることになった。

 半面、亡くなった女性の遺族は常に「蚊帳の外」に置かれ続けた。

 事故直後の病院の対応から遺族は不信感を募らせることになる。女性の父渡辺好男さん(58)は、病院側に「手術スタッフの話を聞かせてほしい」と再三頼んだが、「時間がない」と拒否されたという。

 県事故調も、遺族に対し「逐一報告する」と伝えながら、実際は中間報告もなく、公表数日前に遺族を病院に呼び出して報告書を読み上げただけだった。渡辺さんは「専門的なことが分からないのに、一方的な報告だった」と批判。遺族が原因究明を司法に期待したのは必然だった。

 公判では、大野病院の助産師が手術前、病院の医療体制が小規模なことを理由に、加藤医師に患者の転院を進言していたことや、女性が出産直後に長女の手をつかみ「ちっちゃい手だね」と話したことなどが初めて明らかになった。裁判がなければ、遺族は知ることはできなかった。

 とはいえ、刑事裁判は「予見可能性」や「因果関係」など罪の適用の可否が争点になってしまい、地域医療の現状や手術体制など、背景にある本質的な問題にまで踏み込めなかった。

 例を挙げれば、大野病院で唯一の産婦人科常勤医だった加藤医師は、勤務していた1年10カ月間に約350件もの分娩(ぶんべん)を扱うなど「24時間オンコール状態」(弁護側)だった。しかし公判では、その過酷な勤務体制について弁護側が少し触れた程度。輸血体制でも、使わなければ無駄になるため多くの血液を準備できない現状が証言されたが、議論は深まらなかった。

 判決後の会見で「僕みたいな立場の人をつくらないでほしい」と話した加藤医師は今月、県内の別の病院に産婦人科医として復帰した。一方、渡辺さんは、遺族の立場で厚労省に要望書を提出したり、シンポジウムに参加するなど安全な医療の実現を訴えている。

 厚労省が進めている医療の専門家を中心とした第三者機関「医療安全調査委員会」への注文は、「まずは患者・遺族ありき」の立場を明確にしてほしいということだ。委員会の傍聴を可能にし、意見聴取の機会を頻繁に設ける必要がある。それを前提にして患者側と病院側の双方が納得できる制度にすることだ。(福島支局)

 【ことば】大野病院医療事故

 加藤医師は04年12月、胎盤がはがれにくくなる疾患「癒着胎盤」の女性(当時29歳)の帝王切開手術を執刀。胎児の長女は無事に生まれたが、女性は胎盤剥離後の大量出血で死亡した。福島県警は06年2月、「大量出血を予見できた」と加藤医師を業務上過失致死と医師法(異状死届け出義務)違反容疑で逮捕し福島地検は同3月に起訴した。福島地裁は今年8月20日、「臨床における標準的な医療措置が機能していた」と指摘して無罪の判決。地検も控訴を断念した。

毎日新聞 2008年10月24日 0時13分

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