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戦争を語り始めた宗教者ら、龍谷大は学徒出陣を全員調査(1/3ページ)

2008年10月20日

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写真43年11月20日、西本願寺で行われた学徒出陣の壮行会写真学徒出陣した学生の名簿作りのため、当時の学籍簿の整理をする龍谷大の学生=京都市伏見区、上田潤撮影

 宗教者たちが、自らの戦争体験を語り始めた。太平洋戦争中、学生が強制的に戦地へ送り出された学徒出陣から今年で65年。多くの寺関係者が輩出している龍谷大(京都市)が、書庫に眠っていた学籍簿などを頼りに全員の消息を尋ねる調査を始めた。数々の証言からは、宗派の教えに背いて、ペンを銃剣に持ち替えなければならなかった時代の空気が伝わってくる。 

 龍谷大は、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市)の学寮として発足した大学で、寺院関係者の学生が多かった。調査対象は1941(昭和16)年在学者から45年入学者。学籍簿に載っていた延べ3908人を対象に、在学生らが戸別訪問や電話で当時の証言を聞き取っている。

 大津市の天台寺門宗総本山・園城寺(三井寺)の伝法院長、福家英明さん(83)は、国文科に在籍していた。本願寺の境内で銃剣術を習う授業もあった。45年1月、京都市内の輜重(しちょう)兵43部隊に配属された。竹の先に爆弾をつけて戦車に飛び込む練習や完全武装行進などの訓練をした。「お国のために戦争に行くのは普通だった。どうしようもなかった気持ちを今の人には分かってもらえないだろうと、ほとんど話したことがなかった。今の平和の礎が忘れられていると思う時がある。多くの証言から本質を見いだしてほしい」と訪れた学生らに語りかけた。

 清水寺(京都市)名誉管長の松本大圓(だいえん)さん(86)は、史学科に在籍していた。愛知県豊橋市の陸軍予備士官学校を経てミャンマー(ビルマ)へ出陣。生きて帰れるとは思わず、写真やノートなど身の回りの品を全部燃やしたという。松本さんの妻寿子さん(81)は「小僧の立場で出陣を断ると、寺に迷惑がかかる。寺は人助けするところなのに、人殺しに行くのはつらかった、と話していた」。

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