ダンサーって!
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話題のダンサー、今後注目の的となること間違いなし!というダンサーに直撃インタビュー。しなやかな身体と美しさを兼ね備えたダンサーの素顔を紹介。さらに、毎回ご本人からのプレゼント、もしくはサイン入りポラ写真(あるいは招待券も?)が抽選で当たります!
vol.4 熊谷 和徳
日本人TAPダンサーが叩き出す魂の声
−−マイケル・ジャクソンになりたかった少年
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熊谷 和徳(くまがい かずのり)さん
1977年3月30日、仙台市生まれ。小学生の頃マイケル・ジャクソンに憧れる。15歳より佐藤勝氏のもとでTAPを始める。19歳、ニューヨークに渡り、NY大学で心理学を修める。同時期、ブロードウェイの大ヒットミュージカル《NOISE & FUNK》のオーディションに合格、その後、NYライブハウスの殿堂であるニティングファクトリーやフェスティバルなどに出演。昨年、NYビレッジボイスには<日本のグレゴリーハインズ>と最大限の賛辞を送られた。日本においては'98年、熊川哲也主演の《YELLOW ANGEL》にソロ出演。東京スカパラダイスオーケストラやマンデイ満ちるのオープニングアクト、スペースシャワーのステーションID出演、栗田芳宏演出による舞台《モンテクリフト伯》への出演など、国内外を問わずジャンルを超えて大活躍。ニックネームは<KAZ>。

公演情報 ※公演は終了いたしました
≪レナード衛藤(太鼓)2Daysライブ“Blend”≫
●[草月ホール] 2004/4/24・25 18:30開演
チケット:2/14から発売 お問合せ:電子チケットぴあ:0570-02-9966(Pコード)・0570-02-9999(オペレーター) / pij.jp/t/ローソンチケット:0570-06-3003(Lコード)・0570-00-0403(オペレーター) / CNプレイガイド:03-5802-9999 / e+(イープラス):eee.eplus.co.jp
≪足で叫べ!熊谷和徳−−TAP! the LIVE! KAZ ! on TAP!! Vol.2≫
● [パルコ劇場](渋谷 公演通り PARCO 8F)2004/6下旬 ※詳細未定
チケット:4,200円(税込・全席指定) お問合せ:キョードー東京 03-3498-9999

その他の活動
●SonyMusicのブロードバンドサイト<MORRICH>で熊谷和徳のパフォーマンス&インタビュー映像配信中!
http://www.sonymusic.co.jp/MORRICH/md_kazu/index.html
●尾崎 豊トリビュートアルバムに参加
2004/3/24 SMERecordsより発売される2枚組CD中《米軍キャンプ》に参加。詳しくは次のサイトへ。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/ozaki//
それにともない<イベント開催>決定:4/22 18:30 SHIBYA−AX
チケット:2/21から発売 お問合せ:イベンター フリップサイド 03-3470-9999
ジャンルを超えたアーティストとのコラボレーションが、ますます盛んな日本人TAPダンサー、熊谷和徳さん。ニューヨーク大学心理学科卒という、一見、異色の経歴を持ちますが、インタビュー中のお話では、TAPダンスの深い精神性・社会性と、人間の心についての深い関心が、互いに響き合うものであることが自然にうなずけます。もはや、TAPを超えてしまったかと思われる大きなテーマが展開します。
TAPとの出会い
マイケル・ジャクソンになりたくて!


――少年時代の熊谷さんについて聞かせてください。
熊谷  出身は宮城県の仙台市で、実家は喫茶店を経営していました。父はコーヒー豆を煎っていて、香りが店に満ちていて…。そこは、仙台に住むピアニストやフォークシンガーといったアーティストたち、子供のぼくからすれば、<変な人たち>が集まってくる溜まり場でした。小学校ではサッカーをしていたんですが、喘息だったために、家で一人で映画やダンスのビデオを見て過ごす時間が多かったですね。そんな時に、たまたまマイケル・ジャクソンのビデオを見て、憧れの対象になりました。

――マイケル・ジャクソンのビデオからどのようにしてTAPへと?
熊谷  《スリラー》のステップは、タップダンスに影響されているらしい、ということをドキュメンタリーで知ったので、さっそくフレッド・アステアやジン・ケリーのビデオを見、強い関心を持ったんです。

――いろいろあるダンスの中で、TAPを選んだ理由は?
熊谷  小学生の頃から、マイケル・ジャクソンみたいに踊りたくてスタジオを探したんですが、彼のダンスはフリースタイル。周囲の人たちからは、<ダンスをするなら、まずバレエから!>と言われました。でも、どうしてもバレエのタイツがはきたくなくて断念。高校生になって、それまでのTAPの印象はフレッド・アステアのような華やかなミュージカルTAPだったのに、グレゴリー・ハインズが踊る《TAP》という映画を見て衝撃を受けました。ありのままの人間の表現に惹かれたんです。

――TAPを始めたとき、将来プロになろうと決めていましたか?
熊谷  単に楽しくて踊っていましたよ。自分で見つけたスタジオには、とても熱心な佐藤勝先生という方がいて、レッスンでは、他の生徒のおばさんたちについていくのがやっと。レッスン以外でも、公園や先生が借りてくれたスタジオで毎日練習していました。明けても暮れてもTAPばかりの生活だったので、通っていた進学校の先生には、<このまま受験しても大学には入れないから、学校を辞めてはどうか?>とまで言われちゃって…。高校卒業後、浪人生活を始めましたが、TAPとの両立が難しくてどっちつかずになりました。そこで、もともと医者になりたい夢も抱いていたこと、それに、高校時代から人間の心の問題に興味を持ち始めたことなどが、心理学の道に進むことに…。それなら、心理学の進んでいるアメリカに行ってしまおうか?と思ったんです。もちろんTAPもやりたかったので、TAPといえばニューヨーク!


photo そもそも、TAPって?
ステップから音へ!


――ニューヨークのお話に行く前に、TAPについての基礎を聞かせてください。
熊谷  ぼくなりの解釈で簡単に言ってしまえば、足でリズムを奏でることですね。たとえば、《NOISE & FUNK》というミュージカルでは、TAPは黒人が奴隷としてアメリカに連れてこられ、英語も楽器も禁止された状況で、アフリカにある、太鼓言葉といわれるようなリズム言語を、足でならしてコミュニケーションをとるようになり、発展させていった。その後、ジャズ・クラブで演奏者とセッションするようになったという歴史を背負っています。世界的に親しまれてきたフレッド・アステアのような人たちは、さらにバレエやモダン・ダンスをミックスして、映画の世界で華やかに仕上げた、と言えるでしょう。ぼくの中では、今日までにTAPと言ったら最低2人の名前を挙げないわけにいきません。一人は、グレゴリー・ハインズ。彼は、ステップにアクセントを入れ、より音楽のもつリズムに近づけた。彼は、ミュージカルなどの華やかな世界ではなく、黒人のもともとつくり上げていたTAPの素晴らしいダンサーたちのスタイルを紹介しました。そして、何よりも次にくるセビオン・グローバーを育てたという意味で、TAP界の一番の貢献者だったと思います。そして、もう一人のセビオン・グローバーは、本物の天才。バスケットでいったら、マイケル・ジョーダンかな。常に皆の先を行っている。彼以前のTAPのレベルを何段も上げた人です。具体的には、リズムを変えてしまったということ。それまでは、フォーステップというダンス的要素の強かったTAPを、<ステップから音へ>と分けて、それまでの暗黙のルールを壊しちゃった。<音>となったTAPは、ヒップ・ホップのリズムさえもつくり出せるように解放されたんです。踊るために必要なものは、靴。前と後ろの両方に馬蹄のような金具が付いていて、足首を前後に動かしたり、大きく全面で蹴ったり…。必要なものは靴くらい。


TAPは一つの文化
ニューヨーク生活で得たこと


――ニューヨークではどのような生活を送られたのですか?
熊谷  最初はマンハッタンから遠い語学学校の寮にいたんですが、TAPに通うには遠かったので、結局、ダンススタジオに近いブルックリンに住みました。ニューヨーク大学に入学し、さまざまな人種がいる中での大学生活は、心理学を学ぶために相応しい環境でした。先生は黒人女性で、人種問題や女性の社会問題などを丁寧に教えてくれました。ぼくのもう一つの目的であるTAPについても、熱心に応援してくれて嬉しかった。先生の話で印象的だったのが、<ハーレムのような街でTAPの文化が育ってきた。貧しいところでのエネルギーを、アートとしてのダンスに注ぐことによって、喧嘩や暴動というような形ではないやり方で、抑圧されたエネルギーを静めることができる>ということ。

――学校の先生にも応援されたニューヨークでのTAP活動は?
熊谷  地下鉄でパフォーマンスをやって日銭を稼いでみたり、TAP フェスティバルに出演したり、ジャズクラブとかで行われるTAPダンサーたちとのセッションライブ(バスタ・ブラウンという人がホストをしている、セビオン・グローバーやジミースライドといったプロダンサーからアマチュアのダンサーまでやってくるセッション)に参加したりしていました。

――日本とニューヨークでTAPを比較して感じたことは?
熊谷  ニューヨークでTAPは、一つの文化として捉えられていることです。ダンスセンターのようなところとは別の場所にもダンスがある。《Noise & Funk》のオーディションで一番感じたことなんですが、2、3カ月間のダンス養成所でのレッスンは、まず初めにTAPについての話、TAPが背負ってきた歴史についての講義があって、それらを踏まえてから踊るというもの。通常のダンスレッスンではありえないスタイルでした。オーディションで日本人はぼく一人で、ほとんどが10代の黒人の若い人たち。ぼくはというと、幸いにもアメリカの中では同じ有色人種ということで仲間意識を持ってもらい、<俺たちの仲間だ>と言われていました。

――ニューヨークで忘れがたい体験は?
熊谷  マンハッタン48丁目付近に古くからあるフェィジルズスタジオは、TAPダンサーたちの伝統的な練習場所。ある日、練習に行くと、グレゴリー・ハインズが一人で練習していたんですよ!彼の練習を見ていたら、ぼくに向かって<入っておいで>と誘ってくれて、二人でセッションに!それ以来、いろいろと世話を焼いてくれました。《Noise & Funk》のオーディションに受かったもののビザのために困っていたら、推薦状を書いてくれたたりね。気軽に、ピザを食べようと誘ってくれ、困ったときは助けてやるよ、と笑って語りかけていてくれた人が、昨年秋、癌で亡くなってしまい、本当に残念です。

――<9・11>の時、この街で生活していたんですね?
熊谷  自分の住んでいたアパートから、貿易センタービルがすごくきれいに見えて、眺める度にニューヨークにいることを実感していました。ビルに突っ込むことになった飛行機を見たとき、戦争が始まったんだ!と思いました。その時、衝撃のあまり、自分の中で何かがシャットアウトされた感じがしました。多くの人が亡くなって、買い物に行っても、自分の子どもを捜している人がいたり、スーパーマーケットでも、血が足りないから献血して欲しいと言われたり…信じられない光景が目の前にあった。でも、ぼくはぼくで、日常生活を何とかやりくりしなきゃいけないし、悲しんでばかりもいられなかった。そういう体験で生まれた気持ちは、<みんなが悲しみに暮れているのに、自分だけが悲しんでいないんじゃないか>という罪悪感。<自分が悲しみを感じられない人間なのではないか?>と思い込んでしまった人は、ぼくを含めたくさんいました。多くの人が、さまざまな形でアクションを起こしていたけど、きっと、自分の中でケリをつけるための何かが欲しかったからだと思う。

――昨年夏、再度ニューヨークに戻っておられますが、留学していた頃と何か違うものを感じましたか?
熊谷  留学中は、生活していくだけでやっとでしたが、昨年訪れた時は、ホテルに泊まり、街中に目をやると、路上でダンスしたり、太鼓を叩いていたり…音楽が自然にできるすごくいい場所だと改めて思いました。


photo 日本での生活に戻って
TAPへの確信


――大学を卒業とともにニューヨークを引き上げられたんですね?
熊谷  卒業する前に一度日本に帰り、これからの進路を考えていたときに、音楽プロデューサーの須藤さんと出会い、<日本でやっていく意味はあるよ。日本人だし、日本でやっていくことによって、逆にアイデンティティーを確かめられると思う>という言葉をかけられて、それじゃ日本でやってみようかなと決めました。最初にいただいた仕事は、<東京スカパラダイスオーケストラ>の前座。それがきっかけで、<ソニー・ミュージック アーティスツ>に所属することができました。その時、<もうTAPでいくしかない!>と心に決めました。今でも、もちろん不安要素はあるけれど、昔CULBでTAPを踊り始めたころ、ぼくと同じように若いミュージシャンたちと音楽とリズムという共通の言語を確認できた体験が今につながっています。実際一緒にやってみて、お客さんも新鮮な驚きを得てくれたみたい。実力のあるミュージシャン、日野照正さんやUFO(京都を中心に活動している人気DJグループ)など、ジャンルを超えたセッションのお誘いがあって、これなら、何とかやっていけるかもと思いました。

――日本でのTAPはニューヨークのTAPと違いますか?
熊谷  全然違います。すごく新鮮です。日本では、<道がないところに道をつくる>という意識がありますね。TAPは黒人のやってきたルーツと同時に、アートとしての文化だと思うので。TAPをアートとして捉えた時、たとえ黒人の血が流れてなくても、一人の人間として何かしらの役割があるんじゃないかと考えています。


photo TAPはどんな人とも響き合えるもの
自分を解放していく表現手段


――今後のご活動などは?
熊谷  ミュージシャンの方々や、ストライプス(北野たけし監督の映画出演)など、他のTAPダンサーの方々からのお誘いがあってとても楽しみですよ。今度一緒に舞台に立つキャンドルアーティスト・小泉純司さんは、キャンドルを灯すパフォーマンスをします。ニューヨークの<グランド 0(ゼロ)>にキャンドルを灯し、同時に、アフガニスタンにも…という社会性の高いパフォーマンスをする人です。TAPの意味・役割を伝えるためにも、そういうアーティスト同士がコラボレートをしてみて、それを他の人が見た時に、何かしら心が動くことが大切。TAPは誰にでも伝わる表現だと信じているので。

――熊谷さんの即興スタイルについて聞かせてください。
熊谷  なるべく無心でいること。その場で感じるものを表現するために、日々基礎練習を積んでいます。世の中で何が起きているのか知ることは大切だから、本を読んだり、映画を観たりね。TAPを通じて、社会で起きていることに対して自分がどんなふうに感じているかを表現したい。今の日本には、何をやりたいのかが分からない子どもが多いと聞くけれど、そんな子どもたちに、表現をすることによって、じっとしていては解決できないことや、心のわだかまりが解けることもあるんだよ、ということを伝えていきたい。ある意味で、ニューヨークの喧嘩と暴力が日常茶飯事の貧しい地域と、日本のようにモノであふれていて、大切なのは何かを見出せなくなってしまった状況とは、どこかで繋がっている気がするんです。TAPの舞台には何もないけれど、逆に、何かを生み出すには満たされすぎてはいけない、と思うんです。

――最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
熊谷  生きるためぼくも頑張って表現しています。皆さんも、特別なことではなく、自分のために表現して開放していきましょう。そうすれば、きっと響き合えるものがあるはず。ぼくはTAPを踊り続けますから…。

――今日は長時間の取材をありがとうございました。

(※文中敬称略)

インタビュアー:菅谷 早映子(日本女子体育大学・舞踊学専攻)
監修:松澤 慶信(日本女子体育大学・舞踊学専攻・助教授)
インタビュースペース:(株)ソニー・ミュージック アーティスツ(外苑前)
<プレゼントのお知らせ>
photo <熊谷和徳さんおまけデータ>
ダンスを始めた時期:小学生
きっかけ:マイケル・ジャクソン、映画《Tap》
好きなダンサー:グレゴリー・ハインズ、バスタ・ブラウン
好きな作品:《Tap》
好きな食べ物:焼肉
趣味:映画を観る、散歩
リラクゼーション:コーヒーを飲む、風呂に入る、人と話をする
今、ほしい物:DVDプレーヤー
キーワード:マイケル・ジャクソン、文化としてのTAP
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