男はすべてマザコンである。よく言われることですが、かなり当たっているでしょうね。そして、歳を重ねるほどに、ということは実家を出て自立し顔を会わさなくなるほどに、母親は息子の中でどんどん神格化されていくようです。
母親の法事のあとの兄弟会食の席、何十年かぶりに開かれた小学校時代の同窓会での元悪童たちの思い出話などなど、聖母伝説はとめどもなく脚色されていきます。果たして、生身の母親ってそんなに立派でしたっけ。
そんな疑問も、結婚し家庭をもつとコロリと忘れ、子どもが悪さをするたびに金切り声を上げる妻の顔をまじまじと見て、「お袋は、もっと大らかに俺を見守ってくれたのに、わが家の母親ときたら……」。こういう身勝手なことを考えている夫は意外と多いのではないでしょうか。いまや神話上のマリアとなった存在と、目下、現実と格闘中の母親とでは勝負になりません。そんな無理を承知で比較をする。こんな不埒な男はゴマンといますよ。
ええ、私もその一人です。起きているより、寝ている時間のほうが確実に長い長男の寝姿を眺めては、「こいつが大学生である意味がどこにあるのだろうか」と脱力し、かたや警察と父親を同じ存在と勘違いしている深夜の暴走次男に、イライラが募る毎日。さて、この鬱憤をどこで晴らせば……。
多くの場合、「夫」は「世間」と言い換えることができるでしょう。現実という渦の真ん中に飛び込まないで、わけ知り顔で「正論」をのたまう壁のような存在。ズルイなぁ、と思います。これでは母は救われません。母が救われない限り、子どもはもっとつらい。
子どもをめぐる事件が起きています。
ほんの少しでも母親が肩の力を抜くことができないものでしょうか。世間は母を追い込む前に、ともに事態の深刻さを考えられないものか。そして、いま追い込まれるべきは父親です(……自戒をこめて)。そう、いますぐ家庭へ!
今回の特集、「『正しいお母さん』を、頑張りすぎないで」には、そんなメッセージを込めました。