2008年10月21日
モー様
ヨン様、カン様じゃないのだ。
モー様にお会いしたのだ。それもお隣に座らせてもらい、親しく話をしたのである。ああ、ま、まるで夢の中のような時間だった・・・。
萩尾望都さま(先生!)との1時間余は、誰にもわたさない。
「ポーの一族」の初版本を持って行こうかと思ったのだが、残念ながら息子に譲り渡してしまっていた。それに、なんだか、表紙がぼろぼろの本にサインを頼むのも嫌味な気がしたので。
しかたがないので、その場で購入した「イグアナの娘」にサインしてもらった。なんど、それを見返したことだろう。
23年組の中では、唯一顔を出していらっしゃる萩尾望都先生だが、控え目に率直に語られる姿もすばらしい。トーマの心臓、11人いる、それにやっぱり「イグアナの娘」だ。
「依存症」だったっけ、それとも「アダルト・チルドレン完全理解」だったっけ、「ポーの一族」礼賛を書いたことを思い出した。
失礼かもしれないが、さっそく私の本をお送りさせていただこう。
不思議な場だった。そこにいる女性陣全員が、信田状態だったからだ(いやこれはおかしな表現だ)。全員、ぼ~っとなってしまい、少女にもどって立ち尽くしていたといったほうが正確だ。
近日発売の「婦人公論」(11月7日号)に藤原新也さんとの対談「逃げない父親が、家族を変える」が掲載されています。
ぜひ買ってください(買わなくても対談だけ立ち読みして・・・みるのはやめてください)。
2008年10月17日
祈りのことば
ヘルパーさんが訪問してくださったときは、まだ手を振っていたというんです。その翌日は、前日より気温が一気に10℃も下がりました。どこかで、その変化が気にはなっていました。
第一発見者が家族でない場合、不審死になってしまいます。
だから、市役所のひとに言われるままに、僕はがんばってマンションの扉を開けて、父の姿を見ました。
全裸でした。やせ衰え、脱水症状がみてとれる体でした。顔は、カーテンの向こうにおおわれていて、見えませんでした。
僕の視野には、父の死体しか入っていませんでした。そのまわりの光景は捨象されたかのように暗闇に沈み、奇妙にそれだけがくっきりと浮かび上がっていたのです。
自宅に帰った僕は、おそらく最後まで父の葬儀に出ようとしないだろう母に向かって「父さんの部屋、意外ときれいに片付いていたよ」と報告しました。
しかし、その後部屋の片付けに訪れた僕は驚きました。足の踏み場もないほど、乱雑に物が散らかっていたからです。遺品を整理しながら、心底奇妙な経験に思えました。あの瞬間の僕の視野からは、父の死体以外のものはすべて消え去ってしまっていたのでした。
僕は、霊安室からいったん黙って立ち去ろうとしました。幼少期から、僕と母への、さらには兄への怪物めいた数々の行為を思えば、遺体を見るだけでも、見てやっただけでもどれほどのことだろうか、と思っていたのですから。
しかし、階段を5段降りたところで僕は立ち止まり、再び戻って扉を開けました。そして父の遺体の枕もとにおかれた線香立てに、マッチで火を点けた線香を3本だけ立てました。
その煙を吸い込みながら、思わずクリスチャンの僕は、手のひらを合わせて「どうか天国に行かせてあげてください」とお祈りをしました。
それは、あの父のためだったのでしょうか。
ゆきずりのひとであっても、見知らぬひとであったとしても、死にゆくひとであれば僕は等しくそう祈るだろう、そんな祈りの言葉だったように思えるのです。
こんな話を聞いた。
2008年10月16日
とりあえず気分のよくなるニュースが届く
あっというまに着る服がなくなり、冬支度になる。
セーターやコートなどをクローゼットに吊るす作業のたびに、捨てる服とそうでないのとの判断ができなくなる。片づけられない人たちの気持ちがよくわかる。
自己決定を迫られることの苦しみで、衣替えの作業はいつも疲労困憊となる。それ以外の決定は人一倍早い私だし、ほとんどその決定に後悔したことはない。けど、洋服の整理だけは別なんですねえ(涙)
このところうれしいニュースが続く。
「カウンセリングで何ができるか」が増刷、「加害者は変われるか」も増刷。
それに、ほんとに久しぶりに文春新書「依存症」が増刷となった。これで9刷である。
ときどき講演に行くと、「いったいいつ書いてらっしゃるんですか」と質問される。これは、大変うれしい質問なのだ。
無知なひと(しばしば男性だけど)は、講演で全国飛び回ってらっしゃるんですね、などとしたり顔で語りかけたりするのだが、もう、私はカウンセリングだけで精いっぱいなんだって叫びたくなる。
その合間を縫って、土日に講演なんだよっ!土日は月に4回しかないので、2回講演すると、土日はあと2回しかないんだよって。
だから原稿書きはいつも深夜に持ち越される。明け方の3時までひたすらパソコンに向かう孤独な時間が執筆タイムなのだ。人間の細胞は、そのころ一番すみやかに再生するらしいので、ほんとはその時間眠っていなければならないらしい。
でも、若いころから結局深夜に書くという習慣は変わっていない。それに、年をとると目覚めが早くなるというのも、私に関しては俗説に過ぎない。朝は全然早起きできないし。
朝日カルチャーの今回のクールは、やはり墓守娘の影響が大きい。母親との関係を考えたいというメンバーが新規参加されている。
吉祥寺の第一ホテルで講演予定(10月25日)だが、女性が仕事をしたくなる話をすればいいのかなあ、と思っている。仕事?そりゃしたほうがいいでしょうが、待遇や条件も大切だろう。専業主婦に憧れる若い女性がどっと増えているみたいだし。
あ~あ、全然原稿が書けない。こうやってBlogを書いているときって、原稿に行き詰っているときなのだ。こんなふうにすらすら書けたら苦労しないんだけどね・・。
明日発売の「週刊文春」に、私が書評を書いている。ぜひ、ぜひ読んでください。
mixiの信田さよ子コミュのメンバーが100人を超えたらしい。墓守娘同盟っていうコミュは41名だとか。
私は早々に資格を失ってしまったので、知人から情報を得ている。
次なるターゲットは男性である。もともと墓守は息子の役割だったんだから、あの嘆きの先輩は息子たちなのである。
男性たちにも「母が重くてたまらない」をどうか御手にとっていただきたい、と切に願うものであります。