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音魂:第54回 上田現 「お互いにライバルだった」杉本恭一さんが追悼盤を語る

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杉本恭一さん。3月9日、ガンで亡くなった上田現さんの遺作アルバム「Atlas」をレピッシュメンバーらと制作。上田さんとは「マンガみたいな奇跡的な瞬間がいっぱいあった」と振り返った
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 3月9日、「僕はシリウスになる」という言葉を遺し上田現さん(享年47歳)がこの世を去った。告別式で、上田さんが02年春まで所属したバンド「レピッシュ」のリーダー・杉本恭一さん(44)は「現ちゃんが発表出来なかった曲は、オレたちが完成させる」と誓い、アーティスト仲間と上田さんの5枚目のアルバム「Atlas」と、上田さんの楽曲をカバーしたトリビュートアルバム「Sirius~Tribute To UEDA GEN~」を9月に発表した。19日には東京で、22日には大阪で追悼ライブを行う。「現ちゃんとオレは、永遠のライバル」と言う杉本さんに、アルバム制作と、上田さんとのエピソードを聞いた。【西村綾乃】

 上田さんは87年、シングル「パヤパヤ」で、レピッシュのキーボード奏者としてデビュー。サックス、肩掛けのキーボードを手にステージを駆け回り、ときにはメーンボーカルも務めるアグレッシブさで人気を集めた。91年には、バンド活動と平行しソロ1枚目のアルバム「コリアンドル」を発表。02年2月、元ちとせさんのデビュー曲にと提供した「ワダツミの木」が85万枚以上の売り上げを記録し、音楽プロデューサーとしても名をあげた。

 上田さんが体調の変化に気づいたのは06年10月。診察の結果、末期の肺ガンであることが分かり、闘病生活が始まった。杉本さんは07年1月に、同年9月に迎えるレピッシュデビュー20周年を祝い、記念ライブをやろうとボーカルのMAGUMIさん、舞台監督ら4人で集まったとき、上田さんから「『去年(06年)ずっと入院していて、死にかけたんだ。いまは元気、あと10年は生きるつもり。でも秋のライブ本番で自分の体がどうなっているか分からない。それを理解してくれるか』」と明かされた。

 予定していた夏のステージは体調不良で出演はかなわなかった。しかし10月に渋谷で開いた20周年の節目の舞台には、上田さんもメンバーと共にステージを跳びはねた。杉本さんは「相当しんどかったと思うけど、ステージの真ん中にいるMAGUMIをどうやって出し抜こうかとしてる様は、昔と変わらないレピッシュの上田現だった」と振り返った。

 朝まで飲み明かしたその5カ月後、永遠の別れが訪れた。亡くなる前日、言葉を発することが難しい状態だったが、杉本さんの顔を見て「きょーいち!」と呼んだという。「現ちゃんが一番愛していたのは家族。信頼していたのは共同制作者の松本大英、そしてライバルはオレだった。オレも現ちゃんに刺激され、意識してきた。丸一日話せなかったのに、現ちゃんがオレの名前を呼んでくれたことで、それを確信できました」。

 上田さんの寝室でギターをつま弾き話しかけると、音に気づいたMAGUMIさんが参加し「イージンサン」「ハーメルン」などレピッシュの曲を歌った。「現ちゃんは、表情と目だけで訴えてきた。いまでも強く覚えています」。

 そして「亡くなって一番無念なのは、制作を進めていたものを世に出せなかったこと。オレたちで完成させよう」と、上田さんを慕うミュージシャンらと、追悼プロジェクトをスタートした。音源は自宅スタジオのパソコンにあるものからカセットまで、上田さんの歌声を探し集め、試作曲や、ライブ音源から歌だけを最大限に残し、演奏を付けて制作を続けた。

 タイトルは、上田さんが脳内の世界を表現するときに使っていた言葉「アトラス」とした。1曲目は愛娘の桜さんへの愛情を表現した「君に会いに行くよ」。そしてソロ始動したころに制作されたライブではおなじみの楽曲「大陸ラーメン」がレピッシュの演奏で収録された。

 「現ちゃんが思うアトラスは、彼が残した地図の絵を見ると感じられる(アルバムに封入されている)。彼の歌はいつも旅をしていて世界が広い。でもその地図にはちゃんと自分が好きな甲子園球場があったりするんだよね。『大陸ラーメン』はオレもラーメン好きだから、最初に聞いたとき『やられた!』って思った。オレはラーメンの歌は作れないけど。タイトル曲『アトラス』は、リハーサルのときの歌声を入れました。実験ぽいユニークな曲に仕上がっています」。

 そして追悼アルバム「Sirius」には、元さん、THE BOOM、BUCK-TICKなどが参加。レピッシュはMAGUMIさんの希望で、代表曲「ワダツミの木」をカバーした。「『ハーメルン』を感じさせる曲なので、あえてハーメルンに聞こえるようなアレンジをした。ミュージックビデオは、まっ白なすき間の多い映像。すき間の白さが埋まってない感じ、足りない感じを表している」。

 「楽曲制作では、言葉に出来ない情景・感情・色を、メロディーやアレンジで伝えたいと思っている。現ちゃんもそういうところは同じだった。現ちゃんの曲で好きな曲は『腹踊り』。『ぼくはこの街にいつか殺される 風呂屋のおばちゃんの笑顔に殺される』っていう歌詞がすごく分かる。オレが持ってる世界観にハモってきて、すごくしみちゃうんですよね」。逆に杉本さんの曲で上田さんが好きだと話していた曲については「『リックサック』。現ちゃんが好きだと……。いや大好き過ぎてボツにならなかった曲です」。

 「まだ(亡くなったことが)全然ピンと来てない。オレにとっては、手のつけようがない爆裂したじいさんだった。一番の思い出は、85年にタイガースがリーグ優勝をしたとき。当時はまだ仕事勤めをしていて、試合を生で見られなかったのだけど、テレビで優勝を確認したらいてもたってもいられなくて、神宮球場に駆けつけた。5万人近くの人が往来する中で試合観戦帰りの上田現とばったり出会い抱擁した。そんなマンガみたいな奇跡的な瞬間が彼との間にはいっぱいありました」。

〈杉本恭一 プロフィル〉

 すぎもと・きょういち。64年3月20日、熊本県生まれ。レピッシュのリーダーで、ギターコーラスを担当。バンド活動と平行し、ソロとして、プロデューサーとして幅広く活躍している

 2008年10月17日

 

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