長谷川 綾

 本社編集局 編集本部
 <1997年8月入社。本社調査部、根室支局を経て2002年9月から現職場>


 「うちの業界は、先行き暗いよな」。新聞記者を目指す方々に向けたメッセージを書くことになった私に対し、先輩記者がつぶやいた一言だ。確かに新聞業界を取り巻く環境は厳しい。速報なら、テレビ、インターネットにかなわない。新聞は昔より読まれなくなった。部数が劇的に増えることも望めない。でも、新聞記者は夢がある仕事、だと思う。人生のドラマを切り取る仕事だからだ。
 ドラマは身近にある。私は、北方領土を間近に望む根室市の支局に約3年半務めた。そこである夫婦のドラマを取材した。
 根室半島の太平洋側にある花咲港に、半世紀続く店がある。「ホームラン焼き」という野球ボール型のお焼きと、ラーメンの店だ。私はお焼きが大好物で、港に取材に行くと必ず10個か20個買い占め、食事代わりにしていた。店を経営する若夫婦との世間話も楽しみだった。
 ある日、いつものようにお焼きを買いに行くと、奥さんが「店、やめるかも知れない」と切り出した。盛漁期には、魚を満載した大型トラックが前を行き交うたびに、築40年の小さな店全体がガタガタ揺れる。だが、最近ほとんど揺れない。「減船で年々お客さんは減っていた。でも、今年の港は静まり返って死んだようだった」
 その年は、ロシア二百カイリ内のマダラ漁獲枠が前年より6割も減らされる「マダラショック」が起きていた。根室はマダラの水揚げ日本一。その多くは、日本船がロシアにお金を払い、北方四島を含むロシア二百カイリ内で捕る。根室は大打撃を受け、影響は漁業者から、水産加工、船の燃料業者などの関連業界まで広く及んだ。港は船が減り、仕事が減り、人も減った。
 2カ月後、再び店を訪ねると、笑顔の若夫婦がいた。店を続けることにしたという。「苦しいのはみんな同じ。もう少し頑張ってみようと思ってね」。苦境でも懸命に頑張る夫婦の姿に感動し、地方版で「マダラショック」を振り返る年末回顧の記事にした。
 喜怒哀楽のドラマをいかに短く、印象的な見出しで伝えるか、という点では、整理記者も同じだ。
 「軟派の華」といわれる朝刊社会面に初めて当たった時。アタマ記事は、大韓航空機撃墜20年目の遺族たちの思いをつづった百行を越す長編だった。米ソ冷戦時代に起きた悲劇。どうして肉親が突然命を奪われなければならなかったのか。記事には、ロシア側に真相究明を強く求め続ける遺族の無念さがにじみ出ていた。
 悩み抜いた見出しは「続く心の冷戦」。米ソ冷戦は終わっても、遺族の心の中は、いまだに冷戦の時のまま止まっている、と思ったからだ。
 最後に、新聞記者の中でも、道新記者の最大の魅力は、「道新さん」と呼ばれ、地域の人との距離が近いことだ。北海道の人に最も読まれている新聞を、一緒に作ってみませんか?


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