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頑張れ!星野仙一SD
虎仙会便り 再び現場で指揮を 2006/10/18
星野仙一シニアディレクター(SD)とは親類同士に当たり、虎仙会の主要役員でもある津市の医療法人総合病院「永井病院」の永井康興理事長(67)=写真=が、救急業務の推進に功績のあった人や団体をたたえる「消防庁長官救急功労者表彰」に選ばれた。 推薦した三重県消防保安室によると、同理事長は県医師会救急医療対策委員長として、救急病院の診療情報を一元化し、患者や家族が電話やパソコンでリアルタイムで必要な案内を得ることができる「救急医療情報システム」の導入や、同県内約30カ所の病院診療所などの医療機関を11の地域ごとのグループに分け、当番病院が入院治療が必要な重症患者を受け入れる「輪番制病院群」制度整備など、県の救急医療体制の確立に寄与した。表彰は全国で個人15人、2団体しか対象とされない権威あるものだ。 永井病院は終戦の翌年1946年に永井進医師が開設した。翌年入院設備を備えた本格病院になり、子息で2代目の現在の康興理事長に引き継がれて診療科目やベッド数も増え、96年に創立50周年を迎えた。津市内唯一の総合病院で、二次救急指定病院として地域医療の中核を担っている。今では診療科目も内科、神経内科、胃腸科、循環器科、外科、整形外科、心臓血管外科、皮膚科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉(いんこう)科、泌尿器科とそろい、人間ドック施設、診療型病床群併設施設、救急告知病院場も併設。ベッド数270を数え、高度医療機器の最新型CTやMRIを完備している。診療は平日午前と午後、土曜午前中。日祝日のみ休診だ。 同理事長の「一般企業と同様に、医療人もプロ意識を」という指導で、これだけ多くの診療科目を抱えながら、各科同士の垣根がまったくない。医師やスタッフがきびきびと動いてミーティングをし、患者を含めた十分な診療内容の説明と打ち合わせを経て、治療方針が決定される。施設内の清掃も行き届き、病院の隅々まで同理事長の思想が行き届いている。 名古屋市大医学部出身の永井理事長は、高校時代は野球部で捕手だった。夏の地方大会予選が終わり、そこから独学で医学部受験を目指し合格した。自身も著名な整形外科医で、三重県公安委員会委員も務めている。 子弟は2男1女で全員が医者だ。星野SDの娘さん2人が、永井理事長の長男、二男に嫁いだ。二男は星野姓を名乗り、星野家を継いでいる。それぞれにかわいいお孫さんもおられる。 同理事長と星野SDが2人で野球を見ると、当然かなり高度な野球談義が繰り広げられる。SDが投手として「次の1球」を読むと、理事長は捕手の見方でさらなる分析をし、異論を唱えたりされる。その洞察力は相当なもので、時々SDも脱帽するほどだ。 もちろん仕事を離れると、2人はよきおじいちゃん同士となり、お孫さんの運動会やピアノの発表会に出掛け、目を細めたりもする。ダンディーで多くの若者から「理想の上司」として認められるSDが、人知れず好々爺(や)の一面を見せる瞬間でもある。 ペナントレースも終わりSDはこのところ、秋の改編時期で繰り広げられるテレビ特番に引っ張りだこだ。監督時代に心配した健康問題も、最近ではめっきり回復し、活動範囲が急激に増大している。 野球人としても、タイガースが2年連続で80勝以上を挙げ、常勝軍団となったのは、すべてSDの陰での尽力によるもの。私個人としては、再来年に迫った北京五輪の野球競技か2年連続Bクラスに低迷する巨人軍で「再び監督として指揮を執ってもらいたい」と願ってはいるが、こればっかりはSD自身の決断がない限りどうしようもないのが歯がゆい限りだ。 (大阪星野仙一後援会「虎仙会」幹事長、西中和光)
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