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BREAKTHROUGH POINT 〜つきぬけた瞬間

ロングインタビュー

Vol.202 - Page3

なかそね・やすひろ

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA

中曽根康弘ロングインタビュー

総理大臣にはなった。
が、まだまだ志あり

中曽根さんは、いまの若者に「志を立てなさい」と言う。50年ごろ、伊豆山に通った話をしてくれる。

「徳富蘇峰先生に教えを請いに行ったんだ。文化勲章受賞者の、戦前の大文豪だよ。戦争を激励したということで追放されて〈晩晴草堂〉という庵で蟄居されてたんだね。私は若い政治家として、その大文豪から日本に対する遺言を聞いておこうと思ったんだな。そのときに蘇峰さんが大きな字を書いてくれた。“志在天下”…志は天下にありという字なんだ。大きな志を持って政治をやりなさいと。個人的な利益や地域のことだけじゃなく、日本の運命を考える政治家にならなくちゃいかんと」

中曽根さん自身は、60年安保のあと、不惑を少し過ぎて総理の椅子を真剣に考え始めた。後にテレビ朝日社長となる、朝日新聞記者・三浦甲子二から「10年間、役職に就くな」と忠告されたという。「“俺の言うことを聞いたら総理にしてやるよ”って(笑)」。

佐藤内閣で運輸大臣になるのは、それから7年後の話だ。

「その間に“中曽根マシン”を作ったんだ。『メイキング・オブ・ザ・プレジデント1960』という、ケネディを大統領にする戦略を書いた本が出て、今の読売の渡邉恒雄とか、当時新聞記者だった日本テレビの氏家齊一郎とか、東大教授の佐藤誠三郎とか、京大教授の高坂正堯みたいな先生や財界の若手で勉強会を作って読んだんだ。『ケネディマシンを作ってケネディは大統領になったのならば、われわれは中曽根マシンを作らなきゃな』と。この勉強会がのちに中曽根マシンになるんです」

こうした、いわば雌伏の時は、政治家ならずとも必要だと言う。

「各々には各々の人生計画があるでしょう。能力もあるし、環境もある。そういうなかにあって、自分で計画を立てること。それに向かって、ハシゴを自分で作って登っていくことだね。でも、ぼやぼやしていると外されたりすることもある(笑)」

中曽根さんは64歳で首相になる。立てた志に対してきちんと責任を取ったのだ。幼いころ「知事さんのようなエライ人になる」と考えたときから一貫しているのかもしれない。

「いまはみんな欲が小さいね。社会環境がそうさせているんだろうけども、昔はやっぱり青天井でね、爽やかな風景に千の風が吹いていたよ(笑)。だからみんな、大凧、小凧を揚げられたんだ。いまの社会では、千の風が十の風になっちゃってるよ。大空がなくなって小空になっている。そういう社会になったし、そういう環境を自分で作っている。それをぶち破る力がない。要するに小生に甘んずるということだな。大野心家になれということ。25歳? まだ若いんだから、遅くない。矯正はきく」

何しろ90歳である。しかも、事前にアドバイスされた「はっきり大きな声で」なんて不要。

「いまが人生でもっとも燃えたぎっている」と、でかい声で言う。

「国家とは、人民の願いという意味なんだね。私のなかにはそれがずっとある。いまがいちばん燃えたぎっている。なぜかというとね―」

中曽根さんは言う。敗戦後、日本は一心不乱に復興を目指し、東京オリンピックのころには戦前のレベルにまで盛り返した。そして中曽根内閣時代の85年に、GNPを引き上げ、米英と対等につきあえるまでになった。90年代以降はずっと下降ラインを描いていたのを、02年、小泉内閣がストップをかけた。

「5年止めることができた。でも、小泉内閣は、私がやったような政治の本道―たとえば財政とか行革とか、教育―ではなくて、道路と郵政をやっただけだ。どちらかと言えばはじっこのことだ。それを劇場政治として面白くやったんだな。俺に言わせれば印象派の政治だ(笑)。それが終わって、安倍内閣が憲法や教育の改正という本道に戻そうとした。ところが病気で倒れちゃって、福田内閣になって、まだ、下降が続いている。いまはどん底を這っているね。だから、もう一度なんとか上昇ラインに日本を持っていきたい。そして安心してからあの世に行きたいと思っているんだ。いまは日本がいちばんの下降ラインにある不幸なときだけども、私のなかのものはいままで以上に燃えているんだ」

編集後記

「私が東京帝大の法学部を目指した当時は戦争前で、大政翼賛会というのができて、政党が解消されたのですが、それを牛耳っていたのが内務省の役人だったんだね。そういう情勢から内務省だと思っていたんだ。東京帝国大学法学部に入らないと、高等文官試験になかなか合格できない状況だったから。ある意味、計画性を持って立てたハシゴを上がっていったということですね。ただ、実は高等学校の3年生までは歴史学が好きだったから、学者になれとも言われていたね」

中曽根康弘 ロングインタビュー



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