2008年10月11日(土曜日)
【HR】 常に退路を
スバル氏が出かけていくので朝、駅まで送った。朝方は雨だったけれど、すぐに良い天気になって、日差しはクリア。風が強い一日だった。
今日も、工作に勤しむ日と決めていた。細かい確認や事務処理を片づけたあと、すぐに工作室へ。ガスバーナを使って銀ロウ付けの作業。それから、ペンキ塗りもした。網戸から風が入って爽やか。水性塗料だったので臭わないし。そのあと木工も少し。次から次へと作業が進んだ。途中で、宅配の荷物を2回ほど受け取ったのみ。
夕方はパスカルを散歩に連れていった。風が強いときは嬉しそうである。ポンド安の誘惑に耐えきれず、機関車を3台注文してしまった。それ以前に注文をしていてまだ届いていない機関車が、大きいのが2台、小さいのが6台くらいかな(今回のを入れて9台か)。これが一度に全部届いたりしたら、えっとぉ、500万円くらい払わないといけない。だけど、昨年だったら、650万円だったわけだから、150万円も得をしたことになる。なんて喜んでいる場合だろうか。たぶん、喜ぶ場合だ。
株については、何年もまえから僕が言い続けてきたとおりになったので、僕の発言を信じた人は損をしていないはず(つまり得をしているだろう)。保険だって、会社が潰れるごとに保障金額が目減りしていく仕組みで、人間の一生よりも保険会社の方が寿命が短い時代になった、ということである。「一生涯保障します」の「一生涯」は会社の寿命だ。
ちょっと考えてみたらわかるはず。株を持っているだけで儲かるっていうのは、誰かの利益を搾取しているわけで、つまり、金を貸して利子を得ていることと同じだ。貸した相手が事業に失敗したら金は返ってこない。事業がどんどん成長する時代はもう終わったのだから、平均的に利子は昔のようには生じない。僕は、普通預金も危ないので、ペイオフ解禁以来、利子のない決済用預金にしている(と何年もまえに書いた)。
話は変わる。攻撃をするときに最も必要なものは、万が一攻撃に失敗したときの退路を確保しておくことだ。これはつまり、「背水の陣」の反対である。「背水の陣」という言葉があるのは、それが特殊なケースだからであって、リスキィな選択を、普通はすすんでやるべきではない。
変なたとえだが、会社になにか不満があって、それを上司に訴えたい、と思ったら、その会社を辞めても食べていけるような道をまず確保する。そうしたうえで交渉に臨む方が良い。相手も、こちらの退路が見えるから、無理な攻撃に出られない、という効果もある。さらに変なたとえだけれど、僕は作家としてデビューしたあとも、国家公務員だったので、出版社には言いたいことが言えた。いつでも辞められる、と考えていた。一方、大学でも、言いたいことが言えた。首を切られても痛くもないからだ。良くない例ではあるけれど、そういった穏やかではない駆引きめいたことが、大きなこと小さなこと、ままならない世の中にはある。喧嘩をするときだって、必ず退路を計算したうえで臨んだ方が良いだろう。絶対に負けたくなければ、なおさらだ。
「失うものはなにもない」という言葉をよく耳にする。これは本来「どん底にいる人の強さ」を示した表現だが、どん底にいない一般の人は、たいていは「失うもの」があるから、我慢をしなければならなくなる。取り上げられたら困る。そういう仕組みで、支配されているのだ。したがって、「それを失った場合に代わりになるもの」を用意しておくか、「失うものが割合として小さくなるような対策を立てるか」のいずれかが、我慢をしないで済む、支配から逃れる方法となる。
人生の戦略を練ること。もし、負けたくなければ。
【理科】 理科離れについて
ときどきなにかの弾みで、「理科離れ」の話題になる。昔に比べると、日本の子供たちが、理科に興味を持っていない、だから、将来の「技術大国日本」が危ぶまれる、というストーリィだ。僕は、これは事実だと思う。今の子供たちは、明らかに理系よりも文系志向が強い。でもそれは、技術が発展する時代に生きてきた昔の子供たちと、技術が成熟してしまった今の子供たちの差だろう。
しかし、教育が悪い、という意見を耳にする。実験を見せたりして、好奇心を持たせるような楽しい理科の授業をすることが対策として叫ばれている。これには、僕はあまり感心しない。
そういう問題よりも、今の大人たちが理系に対して持っている偏見の方が、子供たちに与える影響は大きいだろう。算数や理科ができたって社会では役に立たない。そんな小難しいことを考えてどうするのだ? 政治家も社長も、偉い人はみんな文系じゃないか。社会を支配しているのは文系の人間なのだ。理系はみんなオタクで、わけのわからない人間ばかりだ。理系は人間味がない。理系は人情がわからない。そういった目で見ているから、それが子供に伝わる。
また、技術者が大儲けをしたという話もあまり聞かない。「手に職があれば食いっぱぐれない」くらいがせいぜいのアドバンテージか。海外では、理系出身者が国の支配層に大勢いるのに、日本では少ない。算数や理科の勉強ができても、学校の先生になれるかどうか。研究に金を使う企業が少ないから、日本では才能を活かして食べていく道がない。
強い言葉を使えば、理系は日本では「迫害」されている。だから、子供たちが理科離れするのもしかたがない。これは、今に始まったことではなく、既に大人になっている若者たちは「技術離れ」の年代だ。
小難しいことを考えて新しい技術を開発するよりも、株や証券を売ったり買ったりする方が数段儲かる。儲ける奴が偉いのだから、社会を支配するのは当然だ。そういう理屈なんだろうな、とは思う。理系の人間はこれらに対して、「まあ、どうでもいいけど」と考えているので反論はない。
そもそも、「日本の経済的発展が危ぶまれる」という理由でしか、理科離れを問題視できないあたりが、いかにも文系だ。