40代の日本人男性がインド人女性に代理出産を依頼して生まれた女児が、誕生から3カ月でようやく来日できる見通しとなった。日本大使館が週内にも査証(ビザ)を発給するためだ。独身男性が海外に子づくりの活路を求めた背景には、格安代理出産がビジネスになっているインドの現状がある。一方、日本では代理出産に対する政府の姿勢は定まらない。関係者が「想定外」という今回のケースは、法整備やルール作りの必要性を浮き彫りにした。【ニューデリー栗田慎一、永山悦子、石川淳一】
男性は昨秋、インド西部のグジャラート州の病院に第三者の卵子の提供を受ける代理出産を依頼。男性の精子と匿名の外国人女性が提供した卵子を使って体外受精させ、受精卵をインド人女性の子宮に移し、7月25日に女児が生まれた。
男性は元々、自分を父親、代理出産した女性を母親として出生届を出す予定だった。ところが女性は親権を放棄。さらに女児誕生前に、男性が日本人の妻と離婚したことが女児の身分を複雑にした。乳幼児の人身売買が横行しているインドでは法律で「独身者は親権者になれない」と規定されており、男性は父親になれなかった。
女児の出国には、親権者の代理申請で旅券の発給が必要だが男性は申請できず、インド北部に滞在する男性の母親が裁判所に女児の旅券発給と養子縁組を求めて提訴するなど事態は混とんとした。その間、男性の母親が現地のアパートで女児の世話をしてきた。結局、代理出産に関する法律が未整備との理由で、インド政府が「渡航許可証」を発行する形でこのほど出国を許可し、日本のビザも出る見通しだ。
インドの代理出産ビジネスは、90年代前半に最貧困州のグジャラート州の医師らが始めた。謝礼は平均約60万円で、仲介料などを加えても米国の5分の1程度。90年代後半から欧州など海外からの依頼が集まり、今は年約2000件の出産例があるという。
「結婚前から、代理出産で子どもを得るための情報を集めていた。2人目、3人目も代理出産で欲しい」。男性は8月、毎日新聞の取材に答えている。
不妊カップルの願いをかなえるため、人工授精や体外受精、第三者からの卵子などの提供、代理出産など、さまざまな不妊治療が実現されてきた。国内で体外受精で生まれる子どもは60人に1人になる。だが、生殖補助医療に関して、国内には公的な規制はない。
厚生労働省の生殖補助医療部会は03年、代理出産を禁じる報告書をまとめ、国に法制化を求めたが、国会議員の反対などで頓挫した。日本産科婦人科学会が指針で禁じているが強制力はない。
これに対し、長野県の医師が計15組への実施を明らかにし、タレントの向井亜紀さん夫婦ら海外で実施する日本人も相次ぎ、学会指針は無視されてきた。
このため日本学術会議は4月、代理出産を原則禁止する報告書をまとめた。妊娠・出産は命にかかわる▽遺伝的につながりのない女性の胎内で発育する影響が不明▽通常の生殖活動からの逸脱が大きい--などの理由だ。
報告書では、営利目的の代理出産は、海外の貧しい女性の搾取につながると指摘し、処罰対象とすべきだとした。
男性単独の代理出産依頼は、これまでの日本人による代理出産の例から見ても特異であり、報告書をまとめた鴨下重彦・小児医学研究振興財団理事長は「我々の検討の範囲を超えたモラルにかかわる問題だ。ルールがなければ同様の混乱が続く」と、早急な法整備を求める。だが厚労省は「役所が決める問題ではなく、広い観点からの意見集約が必要」と消極的だ。
日本産科婦人科学会の星合昊(ひろし)・倫理委員長は「出産の危険、子どもの引き取り拒否など、海外で起きた問題を日本社会は実感として認識していない。技術があるから、子どもが欲しいから、と何をしてもいいわけではない」と話す。
法務省は、大使館が女児にビザを発給後、「短期滞在」や「特定活動」など期限付きの在留資格を与えて日本での父親との生活を認める方針だ。
父親が女児の日本国籍取得を希望する場合はどうか。母親が不明で無国籍の女児の場合、国籍取得のハードルは高いが、家裁が父親との養子縁組を許可すれば、1年以上の日本滞在で取得が可能。あるいは、女児を出産した女性が独身だと証明できれば、非嫡出子として父親が認知することもできる。
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■ことば
不妊に悩むカップルが、第三者の女性に妊娠・出産してもらうこと。カップルの卵子と精子を受精させてできた受精卵を出産してもらう方法と、男性の精子と第三者の女性の卵子を受精させて出産してもらう方法などがある。前者の子どもはカップルの遺伝情報を、後者は男性と卵子提供者の遺伝情報を受け継ぐ。
毎日新聞 2008年10月22日 東京朝刊