2008年10月13日

血液型4こま漫画掲載誌のご紹介

KOKOの4コマ漫画、雑誌掲載のお知らせです!
(センターのABO'S隊長KOKOは、イラストレターでもあります。)


旅の手帳(交通新聞社)2008年11月号

“わたしのひとり旅”をテーマに「血液型別おすすめひとり旅」

さて、それぞれの血液型が楽しめるひとり旅とは?
旅にはアクシデントもつきもので、それがまた良い思い出にもなります。
4コマでは、血液型別にありがちな、ほのぼの失敗談をご紹介しています。

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KOKOが血液型の4コマ漫画をブログで日々更新しています。

http://ameblo.jp/kokoabos/

素材の持ち味が性格行動となって表れるのが血液型特性。
よくあるエピソードや日常の会話を4コマにしてみると、
ナルホドねって思えることがたくさんあるんです。

ちょっと頭がガチガチになっていたら、
KOKOの4コマを見て、ひととき微笑んでみて下さい。
それはもちろん、チクリと痛いところもあるけど、
あの人だってこの人だって、自分とそう大して変わらないでしょ?
みんな同じような失敗をして、
みんな同じように喜び、泣き、笑い、
みんな地球に生きているただの人間たちです。

心と目をゆったり開いていると、
血液型のことって、
鮮やかに目に入ってきます。
それはまるで、3Dアートが見えたときみたいな感動。

ユーモアと笑いの中で人間観察…っていうのもおつなものなんです。

2008年10月09日

読売テレビ「情報ライブミヤネ屋」に対する抗議文

2008年9月30日、読売テレビ「情報ライブミヤネ屋」で血液型特集を行い、その中の一部資料提供と取材協力をしました。ところが、番組の中で能見正比古に対するコメンテーターの大変不愉快な発言がありました。能見正比古の読者の方や、当法人の支援者の方からの抗議もあり、当センターは、読売テレビに、以下のような抗議文を提出しました。

読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」のコメンテーター発言に対する抗議文

2008年9月30日(火)放送の「情報ライブミヤネ屋」においての血液型に関する情報コーナーの中で、コメンテーター松尾貴史氏の発言に対して、当センターは強い怒りを感じ、抗議するとともに発言に対する謝罪を要求します。

番組の中で最近の血液型と性格に対する人々の関心度の高さをテーマに取り上げられましたが、当センターの前身である故、能見正比古(のみまさひこ)について、松尾貴史氏は、
「でも、この監修してる、のうみさんゆうて、もう亡くなった人ですけどね、もう、この人の書いてる本読んだら、ほんまにアホかっ、みたいな事、いっぱい書いてありますよ」
と言われました。
この発言は明らかに、能見正比古の研究、著作、及び能見正比古故人を意味もなく安易に侮辱する言葉と受け取れます。

放送当日、当センターのスタッフは、この番組が昼間の放送であったこともあり、番組を観ておりませんでしたが、番組終了後、数名の能見正比古の以前からの読者、または当センターの支援者らよりお電話を頂き、「能見先生について大変不快な発言があった。このような番組になぜ協力をしたのか」という怒りのご指摘がありました。
当センターは、翌日番組担当者に電話をし、事情のやりとりを致しました。また、その事実を確認するのに、更に翌日の10月2日、番組のプロデューサーがVTRを持参されました。
その際、当センターは松尾貴史氏に対して、番組の中でのこれらの発言に対する謝罪を求めると伝えました。ご説明に来られたプロデューサーの方は、誠意を持って対応して下さいましたが、番組側の見解では、“確かに発言は不適切であるが、謝罪するには及ばない範囲である”という回答でした。

しかし、私どもとしては納得するに至らず、このような文書で改めて謝罪の申し入れを致します。
今回、私どもは「情報ライブ ミヤネ屋」に対して、その放送の前日より資料の提供、及びその内容についての説明を求められ、大変急な要望でありましたが、血液型の情報について少しでも事実が伝わればと考え、当研究センターの所長を務める市川が対応させて頂きました。そしてその際、番組内で非常に安易に私どもの研究が扱われるのであれば協力できないということも事前にお伝えしています。担当者の方も丁寧な応対をして下さったので、快く応じることになったのです。それにもかかわらず、このような発言が行われたことは、大変遺憾に存じます。

当センターは、能見正比古の著作と研究を全て引き継ぎ、能見が提唱してきた「血液型人間学」の発展のために全精力で尽くしております。そして、それを支えて下さっているのは、能見の研究40年来の大勢の読者の方々であり、この研究に対する支持者の方々であり、あるいは当センターの支援者の方々、更には、大切な知的財産を預けて下さっている能見正比古のご家族の方々です。当センターは、その方たちの助けを頂いてはじめて成り立ち運営しております。研究に直接関わる当センターだけではなく、これらの方々にも非常に不快を与えてしまったことは残念でなりませんし、申し訳ない思いでございます。

能見が提唱した「血液型人間学」は、わずか40年程しか経っておりません。まだまだ研究は完成されているものではありませんので、さまざまな方面からのご批判やご指摘は大変ありがたいものでございます。コメンテーターのそれぞれのご意見が交わされるのも大いに重要と考えております。しかし、能見正比古と能見俊賢が、全人生を賭けて研究発表してきたことに対し、正義や信念を持った批判ではなく、大変軽率な発言で指摘したことへは、強い怒りを感じております。
ある読者の方からは、「この発言は居酒屋で身内で言うのなら許される範囲であろう。しかし、全国放送の中でしかも故人に対して発言するべき言葉ではない」というご意見も頂いています。また、電話での応対での番組責任者の方の見解では、松尾氏の発言に対して司会者が「ムチャクチャ言いますね」と言ったことでフォローをしているとも申しておりましたが、そのような表現とムードでは、誠実なフォローがなされていたとは、私どもには感じられません。
これまで能見正比古、その後を引き継ぎ2006年に亡くなった能見俊賢、そして今のセンターに至るまでの40年近く、テレビ番組には、数百回となく協力をさせて頂いて参りました。今回も、誠心誠意協力をした結果がこのような形になったことは、大変遺憾でございます。

血液型と性格の関係について、このように日本中に広まったのは能見正比古の研究報告が発端です。そして誰もがご存知のように、血液型と性格のテーマは、日本の多くの人々が関心を寄せるものです。現在では小学生や中学生、高校生の多くの子供たちも高い関心を持っています。そのような中で、その情報は大変断片的なものである場合も見受けられ、誤解や不信を抱きやすい側面が多く残されています。ましてテレビ放送のような形式の、大変短時間の中では研究の事実は伝わりにくく、さまざまな形で誤解を生じてしまう場合が多々あるのも実情です。

情報の発信元となっている当センターとしましては、出来る限り正しい知識と活用法、あるいは研究状況の事実を伝える必要と義務があり、そのために活動しております。したがって、人々に強い影響を与えるであろうテレビ番組においての、安易な発言に対しては、慎重に対処させて頂く所存でございます。
このテーマが、人間の心を扱う大変繊細な面があるだけに、決め付けた内容も問題がある代わりに、軽率に扱われることもまた、無意味に視聴者の混乱を招くということを、制作側に認識して頂きたいのです。

以上の経緯から、当研究センターは、今回の松尾貴史氏の発言に対し、番組内での発言の撤回、謝罪を要求します。

2008年10月6日


2008年08月30日

能見正比古・俊賢の血液型について

※ネット上で以下のような疑問が生じているということで、お問い合わせを頂きましたので、質問の要約と回答を掲載します。

血液型による性格の分類というのはまったく信じていませんが、最近では血液型による性格判断の本が売れており、雑誌でも頻繁に特集が組まれています。
ただ、問題になっていることも多いと思います。例えば、最近目にすることの多い「B型バッシング」です。
これはマスコミの過剰な扱いが原因だとはわかっています。
しかし、その根拠になっているのは、恐らくこちらのサイトに書かれている事柄なのではないかと思います。

また、「O型男子は血液型占いを悪用している」という書き込みが以下のような内容でネット上であり、、その根拠のひとつに「能見親子はO型である」ということです。
[血液型占いの創始者でA型とB型の相性を決めた人間・能見親子。能見親子の血液型に関する開示請求に対して、病院側は、医師法による守秘義務を理由に開示されず。能見親子側は、個人情報として自分たちの血液型を記す証拠となるカルテ開示などを拒否。あるある大事典の監修を務め、O型♂を日本で一番優れた人間に仕立て上げた能見息子は、O型という説が根強い。

公式の発表では違うことがわかりますが、こういった書き込みが為されるたびに、「だからO型は」という新しい差別が生まれる可能性は十分に考えられます。
実際はどうだったのでしょうか?

----回答致します------------

まず、能見正比古、俊賢の血液型とその開示です。
能見正比古はB型です。また、能見俊賢はA型です。
これは、著書の中でも、あるいはプロフィールでも、さまざまな場所で、能見正比古が「血液型人間学」を提唱して以来、両者共に随時伝えてきております。
また、開示を求められたということについてですが、能見両氏が、血液型の開示を何らかの団体、もしくは個人から求められた事実はございません。
従って病院への開示を求めた事実もないでしょう。
能見正比古も能見俊賢も、皆さんに研究の成果を納得して頂くためにも、研究者として自分の血液型を明らかにするのは当然のことで、自分の血液型を偽る理由もどこにも存在しません。

これらの事実は、ある研究を世の中に発表する立場に立った者の、社会的モラルとしてあまりに当然のことなので、証拠や証明を示すまでもないと思いますが、20年以上、能見俊賢の秘書を務めさせていただき、その家族とも交流をしてきた私が保証致します。
尚、能見正比古の初期の著書「血液型でわかる相性」や「血液型人間学」などには、研究の発端からその経緯など詳細を記してありますので、御一読される機会があれば、一層ご理解頂けるのではと思います。


※質問の中にありました他の内容についても一応の見解を加えておきます。

「あるある大辞典」の監修を行ったのは事実です。
その後の同番組で捏造問題が起こったために、血液型が取り上げられた回における幼稚園児の行動実験も捏造と、誤解していらっしゃる方がおられるかもしれませんので、ここで、その捏造の事実は否定させていただきます。
私どもは36年間、同じような行動実験を繰り返し、園児たちを対象に行ってきましたが、血液型ごとの行動の違いはいつも確認できます。韓国の園児たちでもほぼ同様の結果になります。
さまざまなシチュエーションでの事実の確認を行ってきております。

ところで、O型の人たちが血液型を悪用しているという事実があるのかどうか、またどのような方法で悪用できるのかも、全く知ることができませんが、ある血液型を過大評価、過小評価、そのいずれも、研究者としてそれを行う意味が全くなく、その意図が研究者側にあろうはずがないのは当然のことです。
また、相性の良い悪いを単に決めるような考え方でこの研究を進めてきたのでもありません。

能見正比古は、36年前に「血液型人間学」を提唱し、研究の成果を全て一般著書という形で提案してまいりました。
もちろん、“占い”という分野ではなく、人間科学という新しい学問として研究することで提案しています。
血液型と性格についての情報は、既にその以前より、占いのような形で非常に断片的に、安易に取り扱われていました。
しかし、それは科学的、客観的に研究されるべきものと考え、再調査に取り組んだのが能見正比古といえます。
それら能見の考えや研究手法、研究内容については、能見正比古の著書に記されております。
ただ、その研究内容が、さまざまな形で流用されている事実があるのは認識しています。
それが、大変に表面的な情報であることが多いのも事実です。

「血液型人間学」を提唱して40年近くといっても、それは人間の心や体の問題について語りつくすには大変短い年月といえます。
さまざまな各専門家や一般の方々と共に、今後も常に研究報告や研究内容を吟味する必要があります。
能見の「血液型人間学」は、人間の気質や体質を科学的姿勢をもって、客観的に観察分析しようとするものであります。
またその活用も、誤解や偏見のない、人間の生活において有益なものでなければ意味のないものとなってしまいます。

当研究センターは、血液型にまつわるさまざまな背景も充分考え、今後更に研究努力をし、血液型と気質体質の関係性を、皆さんが理解と納得できる形でご提案する工夫をしていかなければならないと思っております。

今回のご意見ご質問は、私どもに改めて努力の方向性を示して下さいました。
誠にありがとうございました。


NPO ヒューマンサイエンスABOセンター
所長 市川千枝子

2008年06月30日

蚊に刺されやすいのは?

【質問】
O型は蚊に刺されやすいというのを聞きましたし、こちらの情報にもありましたが、AB型もかなり刺されやすいように思います。どうなんでしょうか?

【回答です】

蚊に刺されやすい人と血液型の関係性を調査した報告は国内外にいくつかあります。
いずれも、O型が一番刺されやすいとのことです。
日本で行なわれた専門家やTVの実験報告のいくつかから、O型に次いで蚊に刺されやすいのはAB型だったというのがあります。

ちなみに、他の読者さんの報告では、
AB型の女性ですが、「自分のA型やB型の家族と一緒にいるときはいつも自分が多く刺されるのに、O型の友人と一緒にいるときには、なぜかO型の友人の方が刺されるんです」

というお話も聞いています。

害虫研究の専門家とお話をしたこともあるのですが、彼らもなぜそのような違いがおこるのか、詳細は解明できていないそうです。
今のところ、そういう現象だという事実があるということです。

海外を含めた論文等もありますので、詳細な情報が集まり次第掲載したいと思います。

ご質問ありがとうございました。

(質問と回答:2006.09.30)

2008年06月18日

「情報ライブ ミヤネ屋」質問内容とコメント

読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」(2008年6月19日放送予定)という番組制作のため、質問のコメントを求められました。
質問内容を以下に公開します。

-----------------------------------
◎次の2点はホームページをご覧下さい。
(http://www.human-abo.org/databank/)
Q)世界の血液型分布
http://www.human-abo.org/databank/worldmap.html
Q)日本人の血液型分布
http://www.human-abo.org/databank/japanmap.html

Q)血液型が世に広まりだした時期

日本で最初に血液型と性格の研究をした古川竹二(A型)さんのしばらく後、作家の能見正比古(B型)が、長い年月をかけて最初は個人的興味で調査を重ねていた。彼がそれらの調査分析内容を「血液型でわかる相性」(青春出版社)という本にまとめ、1971年に出版されたが、人々の大きな話題をよんだ。そして、それから更に研究を深めた能見正比古が「血液型人間学」という本を1973年に出したが、その研究内容が大変興味深く、理解しやすく、納得できるものだったから、多くの読者の評価を得た。これが血液型が一般の人々に広まりだした大きなきっかけとなった。


血液型の研究が始まったきっかけについて・・・
Q)どのようなきっかけで血液型と性格が結びつくことになったのか。

血液型が発見されたのは1901年。それまでは、人間というのは生物一様性と言って、男女の違い以外では、黒人も白人も、どの民族も、誰もが同じ材質で作られていると思っていた。しかしこの発見によって、材質の違うものが血液や体内中にあるということが解った。これはそれまでの常識を覆す発見。材質にそれだけはっきりとした違いが認められるということは、人間の性格や体質にも違いがあるのではないかという思いで、いろいろな国の学者たちが関心を持った。
この当時は、どの方の研究も初歩段階だが、血液型と性格との関連はありそうだ、というそれなりの成果や結果は出ていた。しかし、他の国では、民族も多種多様に入り混じり、被験者に4つの血液型がなかなか揃わないという事情があり、断片的な研究になっている。日本では、最初に研究をしたのは古川竹二という教育心理学者。日本は、4つの血液型がまんべんなく揃っているので、観察や調査が行いやすかった。ただ、古川さんの研究は、法医学会による反発で、残念ながら途中で断念することになる。


Q)血液型別主な性格行動

※ホームページを参考にして下さい。
http://www.human-abo.org/guidance/index.html

Q)なぜB型本が売れているか?
※このご質問の意図が少々理解できませんでしたが、一応回答しておきます。

B型性というのは、そもそも型や枠にとらわれず、ユニークな行動や柔軟な発想をする傾向にある。そうした言動というのは、他の人にとって、とても大変興味深く面白いのではないでしょうか。
B型性が非常にユニークで面白いので、周囲からも注目を集めやすい。そして、それなら他の血液型は?ということになり、だんだん興味が広がるのではないですか?

Q)血液型の本がみんなの興味をひくのは何でですか?

血液型への関心は、能見正比古が研究報告をして以来、ずっと興味を持たれています。
誰もが人間について知りたいと思っているのは同じです。
多くの人が、自分や人間関係を良くするために、「私はどういう人なのか」「相手はどういう人なのか」、客観的で納得できる知識や情報を得たいと考えているということです。
血液型は、そんなみんなの知りたい情報に、解りやすく、納得できる答えを出してくれるからではないでしょうか。
それだけ、血液型と性格行動というのが、誰にも見て解るほどに、はっきり違いを示しているのでしょう。
-------------------


★実際に番組で使われたコメントは次の内容のみです。

Q≫なぜB型の本が売れいているのか?

回答のコメント:「B型は形や枠にとらわれず、ユニークな行動や柔軟な発想をする傾向にある。そうした言動は、他の人にとっても大変興味深いのでは・・・」

2008年06月06日

得意な教科ってありますか?

【質問】
血液型の違いで得意な教科が決まってくるなんてことあるんでしょうか?
私の家族はAB型とA型ですが、全員、国語や音楽が得意で数学などの理系が苦手です。

【回答です】
教科の得意不得意は、環境の影響も充分にあるのではないでしょうか。
例えば子どもの頃から音楽によく触れる環境や、本などがたくさん置いてあり読む環境にあれば、やはり身につきやすくなります。

ただ、A型は文科系の方が好きだという傾向は少なからずあるようです。
特に勉強する上での国語というのは、実は理論的で枠組みがきちんとある分野だと言えます。
そうした秩序が整っている方が理解しやすいA型にとっては、国語は得意科目になることも多いのでしょう。
逆に理系は、たとえ数式があっても、それはあくまで基礎で、そこからの可能性は無限だといえます。
そうなると、B型などの方が好む傾向にあるようです。
B型は、記号化されたものを扱うのが得意な人が多いようです。

いずれにしても、統計をとった場合の全体の傾向に多少表れるということなので、ひとりひとりの個人では、血液型によらず、得意な教科不得意な教科はさまざまだと思います。
今後更に調査が必要です。

(質問と回答の日:2006.10.19)

2008年04月20日

2008.4.20/テレビ取材

4月20日、テレヒ放送のニュース番組で、血液型人間学について検証を行なうという内容で取材を受けました。
取材の質問内容と研究センターの回答を掲載します。(http://www.mbs.jp/voice/)
(番組内では時間が限られるため、内容の一部が伝えられています。)


Q1.血液型人間学の定義をお聞かせ下さい。

【A】血液型と人間の気質体質の特性及び社会現象などとの関わりを相対的に研究し、人間性の理解やコミュニケーションのあり方を科学的探究により深めていこうとする学問。


Q2.血液型で人間を4つに分類することは可能ですか?

【A】血液型が人間の材質差に影響を及ぼす一因とは考えているが、あくまでも気質を形づくるさまざまな要因の1つであり、単純に4つに分類することなどはできるはずがない。
その前提の上で、血液型という材質から見た場合の考え方としては、ABO式血液型という素材があり、それぞれの血液型がその素材を生かして、環境やその他の影響を受けながら、一人一人固有の個性が千差万別に生まれていると考える。
例えば、料理を作るときに、ある素材を生かしてさまざまな調理法により多様な料理を完成させるのと同じだと理解してもらえばよい。ただ、そこには、肉には肉の、野菜には野菜の素材の持ち味が生かされていると言える。血液型も、100人のA型がいたら100の個性があるが、そこにはA型の持ち味がどこか生かされているのである。


Q3.血液型ごとの特徴を表すのに、同じような言い回しや言い換えともとれる表現がありますが、そのことに対する見解をお聞かせ下さい。

【A】言葉には限界があり、気質を言葉で的確に表そうとするのは非常に難しいのは事実である。
血液型という特性はあくまでも素材であり、気質(基質とも言える)であると考える。そしてそれをもとに、他の影響を受けたり適応したりした結果、表現される行動が性格である。同じ行動表現に見えても、それがどんな気質や思考傾向から発せられたものなのかが血液型によって違う。その持ち味の違いを、ニュアンスやカラー(色)の違いとして感覚的に捉えてもらうために、さまざまな表現で伝えている。

ここに一例をあげる。例えば、O型に「行動力がある」とあったとしても、それはO型の気質特性を言っているのではない。O型にも行動力がある人とない人、いろいろいる。O型の目的志向性の強さやストレートな思考行動性という気質特性が、そのO型の行動となって表現されたときに、あの人は行動力があるという印象を与えている。同じように、B型にも行動力のある人ない人はいる。しかし、あるB型が行動力を見せる時には、「未来に対して楽観的で柔軟性がある」という気質特性が、B型の自由な行動性となり、あの人は行動力があるという印象を同じように与えることになる。このように、同じように見える性格行動でも、その基にある部分、その行動がどんな気質から発生してきているのかが血液型によって違うと考えている。
または、現実的や合理的、あるいはロマンチストやメルヘンチックなど、そのニュアンスの違いでその血液型の特性を理解してもらおうと試みている。血液型人間学への理解が浅いと、言葉の言い換えと思う人もあるようだが、よりニュアンスの違いを的確に表現しているとして、この研究を支持してくれている人々からは評価を得てきている。
あるいは、1人の人間の中でも、状況や立場、年代によって、相手によって、性格行動の表れ方は違っている。あるタイプは、ある状況の時には警戒心が強いが、他の状況では開放的になるなど、人間の性格行動は常に相対的なものである。その複雑な人間の行動表現を血液型を軸に分析しているのである。
従って、断片的な情報だけが氾濫すると、誤解を招く恐れがあるため、その時々に応じて説明を心がけているが、中には面白半分に、あるいは間違った血液型情報が流用されていることもあるようだ。


Q4.血液型で人間を分類することが差別につながるという批判がありますが、そのことに対するご見解をお聞かせ下さい。

【A】人の人格や尊厳を否定するような差別が実際行なわれているとすれば、それは大変問題であり、非常に残念でもある。そこには私どもの研究内容が正しく伝わっていない面があり、今後いっそうの努力が必要だと思っている。

血液型人間学の創始者である能見正比古は、30年前に血液型人間学の誤用を懸念し、以下のようなものを掲げた。
【血液型十戒】
1. 血液型で人の性格を決め付けてはいけない。
2. 血液型は気質の傾向を示すのであり、それが性格のすべてであると思ってはいけない。
3. 血液型で善悪を分けたり、人を非難してはいけない。
4. 血液型で頭の良し悪しを言ってはいけない。
5. 血液型で、性格はもう変わらないと早合点してはいけない。
6. 血液型は適性適職に対して重要ではあるが、それですべてを決めてはならない。
7. 成功や業績は人間の努力の結果、それを血液型で割り引いてはいけない。
8. 血液型人間学は新しい専門分野であり、既存の科学の領分と勘違いしてはいけない。
9. 血液型を占いの一種と思ってはいけない。
10. 血液型の違いより、人間どうしの共通性の方がはるかに大きいと思うべきである。

人間の繊細で複雑な気質や心の問題、性格行動を扱う学問は、長い時間をかけた緻密な人間観察の経験が必要となってくる。占いなどと単に安直に組み合わせたり、表面的な特徴だけを取上げて断片的な情報を流す場面もあちこちで見られるが、これらのまちまちな断片情報が氾濫することは、一般の人々に誤解を与えかねない。発信者側も受け取り側も、情報はよく吟味して検討して活用して欲しいと願う。

以上のことを充分考慮した上で次のように考えている。
人間をどのようにも分類したり、それにより差別を行なってはいけないということは、人の道として当然だが、現代社会においてその考えを一層強化しているのは、人類が、人間を科学的、客観的に観察する術も無かった時代に、人種や宗教その他により非道な差別を数多く行なってきてしまった歴史があるからだろう。
しかし、考えてほしいのは、もしも、ある人々に特異な特性があるとすれば、その特性を大いに活かしてあげる工夫をする必要があるのではないだろうか。じっと机に向かってコツコツ努力をするのが苦手な特性を持つ子がいたとして、この子に不真面目な人間であるというだけの評価を与えてしまっては、その子の可能性を摘んでしまうことになりかねない。
私たちは、とかく表面に表れた性格行動だけを評価して、その人間の本質を上手く引き出したり見抜くことがなかなかできない。血液型の特性を研究するということは、その持ち味の違いを知る一方で、逆に全ての人間における共通性、共感部分を見出そうとするものだと考えている。相違点と共通点の両方を正しく整理し認識することで、人間への本当の理解が生まれると考える。


Q5.血液型が人間の性格に影響することは科学的に証明されておらず、偽科学ではないかという批判がありますが、そのことに対する見解をお聞かせ下さい。

【A】血液型が人間の性格行動に何らかの影響を及ぼしているに違いないという、観察データや統計データなどによる証明や実証は、能見正比古が35年前に、おびただしいデータ量により既に行なっている。
例えば、通常大学などの研究室では数百人の生徒のデータを集めて統計的数値を導き出していることが多いが、能見正比古のデータは数千人単位で行なってきたものも多い。その手法も統計学にのっとっているものであり、数百件以上の有意差が認められている。アンケート調査などにおいても、なるべく主観の混じらない質問を心がけたものであり、内容は神経質なほどに検討し、試行錯誤を重ねたものである。これだけの調査を35年前に1人の人間が行なった例は世界的にも少ないはずだ。その努力と功績もさることながら、それだけ多くの人々がこの研究に関心が高く協力的であったと言える。
偽科学と批判をするには、能見正比古と同じだけのデータを取り、その証明をして見せなければならないはずだ。そのような実証を行なった人は未だにいない。
いずれにしても、遺伝子が人間の行動や機能にどのような影響を及ぼしているかなど、遺伝子の研究が近年盛んであることは皆さんもご存知だと思う。血液型遺伝子も人間の遺伝子の1つである。血液型遺伝子と行動の関係を観察分析する研究を科学と言わずに何というべきなのだろうか。
ただし、血液型遺伝子がどのようなメカニズムで人間の気質に影響を及ぼしているのかという生化学的な面は解明されていない。しかしそのようなことは血液型に限ったことではない。人間の臓器に関しても、機能特性を観測的に知ることはできていても、その全てを知ったわけではない。あるいは脳の活動に至っては、血液型のメカニズムと同じぐらいに未知のことがほとんどなのである。近年の遺伝子研究の進歩が、血液型遺伝子の働きも解き明かす方向に向かうことを願う。

科学というものは、まず最初は観察することから始まるのである。今、科学的とされる全てのものが最初は観察することから始まっているのであり、その後も観察することがやはり大事なことなのである。血液型と人間気質の関わりも、もっとも大事なことは環境と共にダイナミックに、相対的に変化する人間のありようを客観的、自然科学的なものさしにより観察しつづけることであり、それが科学的姿勢に他ならない。多くの人々の科学というものに対する正しい認識と理解を求めたい。


Q6.血液型人間学を今後どのような目的でどのような方面に広げていきたいかお考えをお聞かせ下さい。

【A】現代社会は、人口密度も高く複雑きわまりないが、その中で人々が抱えるストレスは大きい。私たち人間は、科学技術の進歩に伴って、それを扱う人間としての心の成長を迫られているのではないだろうか。そうであるにも関わらず、コミュニケーションや人間への理解、心の成長において指針になるものが何もない。むしろ、人との接触を避けたり警戒したりする気持ちは若い人々を中心に増大しているように見受けられる。そんな中で、私たち人間は客観的な人間の情報を切実に必要としているのである。
21世紀は心の科学を探求解明するべき世紀であるとして、世界各国で各方面から盛んに研究を進めているが、血液型と気質体質の研究は、その一端を担うものとなっていくはずだ。
複雑な人間を理解するのは簡単ではない。この研究は始まったばかりであり、今後は各分野の専門家たちの協力を得ながらより深い調査と研究を行わなければならない。そして多くの人が、人間を理解する1つの客観情報として正しく活用できるようにし、提案をしていく必要がある。

血液型は全ての人類共通の情報である。血液型人間学は、国や宗教もこえた人間の特性の違いを理解することになり、そこからより分けられた人間の本質的な共通性を探ろうとするものであり、その目的は、人間社会の真の連帯と人間愛を育てることにある。

(回答者:市川)

2008年01月13日

Q.血液型と性格の関係は科学的に証明されていないといわれていますがどうなんですか?

A.)

科学的証明とは、どのような形になれば認められたということになるのか?
ということを、まず考えなければならない面があると思います。

しかし、それはさておいても、能見正比古は、血液型と人間に関する数万単位のデータを取ってきました。その中で統計的有意差が認められたのは100件以上にのぼります。
もちろん、科学的統計手法によるデータです。
例えば多くの大学の研究室では数百のデータで、しかも数件の有意差が認められれば証明できたとします。
数値だけ比べても、能見のデータは明らかに証明したということになります。

中に、能見は学者ではなく、作家だから研究データも怪しい…などということまで言う方がいるのですが、
それは見当違いです。
大学の教授や研究員しか科学の研究をしてはいけない?
そうでない人が行なったものは偽物?
などということがあろうはずがありません。
これまで世界中で、そうした学術的権威のあるところに属さなくてもりっぱな研究を発表した人はたくさんいらっしゃいます。

また、読者のアンケート調査は統計データとして認められないと言う方もいます。
しかし、能見が最初に行なったアンケートはその発端は読者ですが、それは5000人の一部でかありません。
それよりも何よりも、各分野の血液型の偏りを調べれば、一目瞭然に血液型の偏りが見られました。

ところで、私たちが単に血液型と呼んでいるのは「血液型遺伝子」のことですが、何も血液の型を示すだけのものではありません。
その分布といったら、爪から髪の毛、胃やリンパ、とにかくあらゆるところにあります。
脳内には血液が流れないから血液型は人間の行動に関係ないという人もいるようですが、それは大きな間違い。
血液型遺伝子は、血液という形で存在しているとは限らないのです。
もちろん、生化学的な解明ということではまだこれからでしょう。
ただこれは、血液型に限ったことではありません。
私たち人間は何でも解ってしまったように時々錯覚を起こしますが、
心臓がなぜ動くのか?ということも完全には理解していないし、
脳の働きについても、MRIなどでやっと活動の有無を観察できるようになったというのが現状です。

もともと、今現在、私たちが科学的だと思っていることが全て正しいと言えるのでしょうか?
全ては、あくまでも今の時点で人間が理解できるという確認を取り合ったに過ぎず、判定の基準など実はないのです。
だから、昨日まで正しいと信じていたことが、実は間違っていて、新しい見解が生まれたということなど日常茶飯事です。
そして、現在証明されている事柄にしても、最初はある1人の人物が観察をして、自然界の不思議を発見したところから始まっているのです。
血液型と気質の関係も、まずは観察から始まりました。
そして裏づけデータを取りながら観察と一致する部分を分析し、気質の傾向を導き出してきました。

科学的に証明されていないというのは、一部の学者の方がおっしゃられているのでしょうが、その方の現在の見解ではそう思うということなのでしょう。
恐らく、血液型と気質について専門的にそれなりの時間をかけて調査し、出した結論ではないと思います。
一方能見は、数十年に及び、この研究を専門的に調査し、「関係がある」ことを証明してきました。
とはいっても、研究はまだ40年近くしかたっておらず、始まったばかりです。
今の研究報告も完成されているわけではなく、今後研究を続ける中でどんどん進化するでしょう。

(C.I)