4月20日、テレヒ放送のニュース番組で、血液型人間学について検証を行なうという内容で取材を受けました。
取材の質問内容と研究センターの回答を掲載します。(http://www.mbs.jp/voice/)
(番組内では時間が限られるため、内容の一部が伝えられています。)
Q1.血液型人間学の定義をお聞かせ下さい。
【A】血液型と人間の気質体質の特性及び社会現象などとの関わりを相対的に研究し、人間性の理解やコミュニケーションのあり方を科学的探究により深めていこうとする学問。
Q2.血液型で人間を4つに分類することは可能ですか?
【A】血液型が人間の材質差に影響を及ぼす一因とは考えているが、あくまでも気質を形づくるさまざまな要因の1つであり、単純に4つに分類することなどはできるはずがない。
その前提の上で、血液型という材質から見た場合の考え方としては、ABO式血液型という素材があり、それぞれの血液型がその素材を生かして、環境やその他の影響を受けながら、一人一人固有の個性が千差万別に生まれていると考える。
例えば、料理を作るときに、ある素材を生かしてさまざまな調理法により多様な料理を完成させるのと同じだと理解してもらえばよい。ただ、そこには、肉には肉の、野菜には野菜の素材の持ち味が生かされていると言える。血液型も、100人のA型がいたら100の個性があるが、そこにはA型の持ち味がどこか生かされているのである。
Q3.血液型ごとの特徴を表すのに、同じような言い回しや言い換えともとれる表現がありますが、そのことに対する見解をお聞かせ下さい。
【A】言葉には限界があり、気質を言葉で的確に表そうとするのは非常に難しいのは事実である。
血液型という特性はあくまでも素材であり、気質(基質とも言える)であると考える。そしてそれをもとに、他の影響を受けたり適応したりした結果、表現される行動が性格である。同じ行動表現に見えても、それがどんな気質や思考傾向から発せられたものなのかが血液型によって違う。その持ち味の違いを、ニュアンスやカラー(色)の違いとして感覚的に捉えてもらうために、さまざまな表現で伝えている。
ここに一例をあげる。例えば、O型に「行動力がある」とあったとしても、それはO型の気質特性を言っているのではない。O型にも行動力がある人とない人、いろいろいる。O型の目的志向性の強さやストレートな思考行動性という気質特性が、そのO型の行動となって表現されたときに、あの人は行動力があるという印象を与えている。同じように、B型にも行動力のある人ない人はいる。しかし、あるB型が行動力を見せる時には、「未来に対して楽観的で柔軟性がある」という気質特性が、B型の自由な行動性となり、あの人は行動力があるという印象を同じように与えることになる。このように、同じように見える性格行動でも、その基にある部分、その行動がどんな気質から発生してきているのかが血液型によって違うと考えている。
または、現実的や合理的、あるいはロマンチストやメルヘンチックなど、そのニュアンスの違いでその血液型の特性を理解してもらおうと試みている。血液型人間学への理解が浅いと、言葉の言い換えと思う人もあるようだが、よりニュアンスの違いを的確に表現しているとして、この研究を支持してくれている人々からは評価を得てきている。
あるいは、1人の人間の中でも、状況や立場、年代によって、相手によって、性格行動の表れ方は違っている。あるタイプは、ある状況の時には警戒心が強いが、他の状況では開放的になるなど、人間の性格行動は常に相対的なものである。その複雑な人間の行動表現を血液型を軸に分析しているのである。
従って、断片的な情報だけが氾濫すると、誤解を招く恐れがあるため、その時々に応じて説明を心がけているが、中には面白半分に、あるいは間違った血液型情報が流用されていることもあるようだ。
Q4.血液型で人間を分類することが差別につながるという批判がありますが、そのことに対するご見解をお聞かせ下さい。
【A】人の人格や尊厳を否定するような差別が実際行なわれているとすれば、それは大変問題であり、非常に残念でもある。そこには私どもの研究内容が正しく伝わっていない面があり、今後いっそうの努力が必要だと思っている。
血液型人間学の創始者である能見正比古は、30年前に血液型人間学の誤用を懸念し、以下のようなものを掲げた。
【血液型十戒】
1. 血液型で人の性格を決め付けてはいけない。
2. 血液型は気質の傾向を示すのであり、それが性格のすべてであると思ってはいけない。
3. 血液型で善悪を分けたり、人を非難してはいけない。
4. 血液型で頭の良し悪しを言ってはいけない。
5. 血液型で、性格はもう変わらないと早合点してはいけない。
6. 血液型は適性適職に対して重要ではあるが、それですべてを決めてはならない。
7. 成功や業績は人間の努力の結果、それを血液型で割り引いてはいけない。
8. 血液型人間学は新しい専門分野であり、既存の科学の領分と勘違いしてはいけない。
9. 血液型を占いの一種と思ってはいけない。
10. 血液型の違いより、人間どうしの共通性の方がはるかに大きいと思うべきである。
人間の繊細で複雑な気質や心の問題、性格行動を扱う学問は、長い時間をかけた緻密な人間観察の経験が必要となってくる。占いなどと単に安直に組み合わせたり、表面的な特徴だけを取上げて断片的な情報を流す場面もあちこちで見られるが、これらのまちまちな断片情報が氾濫することは、一般の人々に誤解を与えかねない。発信者側も受け取り側も、情報はよく吟味して検討して活用して欲しいと願う。
以上のことを充分考慮した上で次のように考えている。
人間をどのようにも分類したり、それにより差別を行なってはいけないということは、人の道として当然だが、現代社会においてその考えを一層強化しているのは、人類が、人間を科学的、客観的に観察する術も無かった時代に、人種や宗教その他により非道な差別を数多く行なってきてしまった歴史があるからだろう。
しかし、考えてほしいのは、もしも、ある人々に特異な特性があるとすれば、その特性を大いに活かしてあげる工夫をする必要があるのではないだろうか。じっと机に向かってコツコツ努力をするのが苦手な特性を持つ子がいたとして、この子に不真面目な人間であるというだけの評価を与えてしまっては、その子の可能性を摘んでしまうことになりかねない。
私たちは、とかく表面に表れた性格行動だけを評価して、その人間の本質を上手く引き出したり見抜くことがなかなかできない。血液型の特性を研究するということは、その持ち味の違いを知る一方で、逆に全ての人間における共通性、共感部分を見出そうとするものだと考えている。相違点と共通点の両方を正しく整理し認識することで、人間への本当の理解が生まれると考える。
Q5.血液型が人間の性格に影響することは科学的に証明されておらず、偽科学ではないかという批判がありますが、そのことに対する見解をお聞かせ下さい。
【A】血液型が人間の性格行動に何らかの影響を及ぼしているに違いないという、観察データや統計データなどによる証明や実証は、能見正比古が35年前に、おびただしいデータ量により既に行なっている。
例えば、通常大学などの研究室では数百人の生徒のデータを集めて統計的数値を導き出していることが多いが、能見正比古のデータは数千人単位で行なってきたものも多い。その手法も統計学にのっとっているものであり、数百件以上の有意差が認められている。アンケート調査などにおいても、なるべく主観の混じらない質問を心がけたものであり、内容は神経質なほどに検討し、試行錯誤を重ねたものである。これだけの調査を35年前に1人の人間が行なった例は世界的にも少ないはずだ。その努力と功績もさることながら、それだけ多くの人々がこの研究に関心が高く協力的であったと言える。
偽科学と批判をするには、能見正比古と同じだけのデータを取り、その証明をして見せなければならないはずだ。そのような実証を行なった人は未だにいない。
いずれにしても、遺伝子が人間の行動や機能にどのような影響を及ぼしているかなど、遺伝子の研究が近年盛んであることは皆さんもご存知だと思う。血液型遺伝子も人間の遺伝子の1つである。血液型遺伝子と行動の関係を観察分析する研究を科学と言わずに何というべきなのだろうか。
ただし、血液型遺伝子がどのようなメカニズムで人間の気質に影響を及ぼしているのかという生化学的な面は解明されていない。しかしそのようなことは血液型に限ったことではない。人間の臓器に関しても、機能特性を観測的に知ることはできていても、その全てを知ったわけではない。あるいは脳の活動に至っては、血液型のメカニズムと同じぐらいに未知のことがほとんどなのである。近年の遺伝子研究の進歩が、血液型遺伝子の働きも解き明かす方向に向かうことを願う。
科学というものは、まず最初は観察することから始まるのである。今、科学的とされる全てのものが最初は観察することから始まっているのであり、その後も観察することがやはり大事なことなのである。血液型と人間気質の関わりも、もっとも大事なことは環境と共にダイナミックに、相対的に変化する人間のありようを客観的、自然科学的なものさしにより観察しつづけることであり、それが科学的姿勢に他ならない。多くの人々の科学というものに対する正しい認識と理解を求めたい。
Q6.血液型人間学を今後どのような目的でどのような方面に広げていきたいかお考えをお聞かせ下さい。
【A】現代社会は、人口密度も高く複雑きわまりないが、その中で人々が抱えるストレスは大きい。私たち人間は、科学技術の進歩に伴って、それを扱う人間としての心の成長を迫られているのではないだろうか。そうであるにも関わらず、コミュニケーションや人間への理解、心の成長において指針になるものが何もない。むしろ、人との接触を避けたり警戒したりする気持ちは若い人々を中心に増大しているように見受けられる。そんな中で、私たち人間は客観的な人間の情報を切実に必要としているのである。
21世紀は心の科学を探求解明するべき世紀であるとして、世界各国で各方面から盛んに研究を進めているが、血液型と気質体質の研究は、その一端を担うものとなっていくはずだ。
複雑な人間を理解するのは簡単ではない。この研究は始まったばかりであり、今後は各分野の専門家たちの協力を得ながらより深い調査と研究を行わなければならない。そして多くの人が、人間を理解する1つの客観情報として正しく活用できるようにし、提案をしていく必要がある。
血液型は全ての人類共通の情報である。血液型人間学は、国や宗教もこえた人間の特性の違いを理解することになり、そこからより分けられた人間の本質的な共通性を探ろうとするものであり、その目的は、人間社会の真の連帯と人間愛を育てることにある。
(回答者:市川)