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大胆予言「ダメなら他で」 益川敏英さん座談会

2008年10月10日12時24分

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写真九後太一氏と話す益川敏英氏(左)=7日午後9時50分、京都市北区、寺脇毅撮影

 ノーベル物理学賞を受けた益川敏英・京都産業大教授(68)と、後輩で親交の深い九後(くご)太一・京都大教授(59)に、研究の道のりを聞いた。(聞き手・臼倉恒介・大阪本社科学医療エディター)

 ――同時受賞者は、イタリアの理論物理学者カビボ博士だと思っていました。南部陽一郎さんとの組み合わせは予想していましたか。

 益川 僕も考えていなかった。南部さんは当然受賞すべきだと思っていましたが、我々と一緒になることは想像もしなかった。この組み合わせを考えたのは、ノーベル賞選考委員会の大ヒットだと思う。

 九後 73年の論文発表から35年。ずいぶん待ちましたね。

 益川 理論を実証するのに、それだけかかるほど素粒子物理学は進化してしまった、ということだと思うんです。科学の宿命です。加速器のような巨大な規模で科学を組み立てて、やってしまうと、もっと大規模にデータを集めざるを得ない。それで高エネルギー物理が、巨大科学のフェーズに入ってしまった。ゆくゆくはすべての学問がそうなると思う。

 ――6種類のクォークは、お風呂で考えついたそうですが、そもそもこのような独創的なアイデアの源泉はどこにあるのですか?

 益川 名古屋大の恩師の坂田昌一先生の敷いた路線があった。坂田モデルとも言われる複合粒子モデルは、クォークモデルの先駆け。素粒子と思われていた陽子や中性子、パイ中間子などには、さらに基本粒子があるというもので、こうした思想が、大学に入った時に名古屋に充満していた。そこで育ったから自然に身についた。だが当時は、素粒子の下に基本粒子があるなんて信じられないというのが世界の潮流だった。こうした立場の違いを、よく論争して、面白かった。

 九後 益川先生たちは、当時、全然信用されていなかった場の理論の精密な論理を適用した。これは朝永流だ。さらに、クォークは6種類あるという大胆な予言をした。これは湯川先生の伝統を受け継ぐ。そういう意味で益川先生は湯川・朝永・坂田の3巨頭の流れをくむ研究者の筆頭ですね。

 ――小林先生と共同研究するようになったきっかけは何ですか。

 益川 小林君が名古屋大大学院生のとき、共同研究した。僕が京都大に移ったころ、小林君がいろんな質問をしてくるようになった。名古屋と京都の手紙のやりとり、ラブレターですね。そのうち一緒に仕事しようやということになった。小林君が京都大に72年4月にきて、5月の連休明けに始まった。

 ――論文をまとめるのに2人でよく議論したのですか。

 益川 強いて分担を言えば、僕は「破れ」がどうしたら起こるかという理論を組み立てる役割で、小林君はその理論が実験と矛盾せず本当に使えるのか、厳しくチェックした。約2カ月後の6月末には答えが出て、僕が日本語で原稿を書き、小林君が英文にした。

 ――すっきり説明できて、実験にも耐えたエレガントな理論と呼ばれています。

 益川 6番目のトップクォークが90年代半ばに発見され、理論がOKとなったのが02年。それまでは超高速で粒子をぶつけて物質の成り立ちに迫る加速器のエネルギーが足りなかったのです。実験の仲間からはよく、益川は加速器を何台壊せばいいんだと言われました。

 九後 本当にクォークは6種類あると信じていたのですか。

 益川 論文を書いた後、同じような質問を受けました。我々の理論の中で、CP対称性の破れを説明しようとしたら、六ついる。なかったら、ほかの理論を考える。

 九後 当時は3種類しか見つかっていなかったが、益川さんたちは70年ごろ、宇宙線の写真の報告をみて、四つ目のチャームクォークらしき存在を知っていた。四つ目を信じていたことは大事なことだったと思う。

 ――受賞スピーチは英語でしますか?

 益川 どうして英語でやらんといかんの? 僕は英語はしゃべりません。英語でしゃべるなら遠慮します(笑い)。

 九後 この時期はいつもノーベル賞候補者としてマスコミ攻勢が大変だったでしょう。来年から逃れられますね。

 益川 それが一番うれしい。

 ――若い人に望むことは何ですか。

 益川 今の人は、金をもらい成果報告を書かなければならないが、過去の論文を変形してお茶を濁すことはするなと言いたい。研究を始めた人たちは、論文にオリジナルなことを書かなければいけない。オリジナルなことを書くと、「運動」が起きる。それを発展させようとか、そういう形で新しいことが生まれていく。重要な問題に正面からアプローチして対象に向かい、一歩一歩、歩いていけ。その過程で、新しく外から得る知識も使えるだろう。

     ◇

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