Usain Boltとゲーム。関心持たないときちんと解らない
月刊『秘伝』の高岡英夫氏の連載に、面白い事が載っていました。なんでも、北京オリンピックで超活躍したウサイン・ボルト選手がゲーム好きとか。
で、私はそれは初耳なので、ちとググってみたところ、このような記事が⇒趣味はゲーム ボルトの素顔 - MSN産経ニュース
ほうほう。かなり好きなんですね。それにしても、これは興味深い。今存在する人間の中で、恐らく最高度の身体運動を体現しているボルトが、デジタルメディアの象徴であるコンピュータ・ゲームを愛好している。実に面白いではありませんか。
さて、高岡氏は基本、ゲームには否定的なので、秘伝誌の記事でも、ゲームの効用を最初に説明しつつ、後半ではゲームの悪影響について書いています。つまり、ゲームは一般に、大きく身体を動かす文化では無いが故に、身体を拘束する方向へ促し、それが心身に悪影響を与え、昨今問題視されている、というもの。
しかしこれは、実に惜しい理解なんですね。要するに、「問題視」されている事は、実際に悪影響があるかどうかとは、一応別の話なのです。
私は、高岡氏のゲーム批判論の一部には賛同している者です。すなわち、ゲームは一般に身体をあまり動かさないものだから、それは身体を固める方向に作用し、心身に好ましく無い影響を与える「可能性がある」、という部分。これ自体は、ゲーム文化の構造を踏まえた理論的考察なので、全く的外れ、という訳ではありません。
しかしながら、この後が問題。高岡氏は、昨今の社会問題の要因と一つとしてゲームを捉えていて、それが問題視された事も指摘してるのですが、その部分に関しては、事実を捉えていない、と言えます。一部の論者が言うようには治安は悪化していないし、ゲームの心身への強い悪影響が確認されている訳でも無い。「問題視」している意見の多くは、直感による不公平なゲーム論を展開しているのであって、エビデンスに乏しい。ゲーム脳や脳内汚染の欺瞞は言わずもがなです。
結局、高岡氏ほどの洞察力をもってしても、よく知らない文化について正確な分析は出来なくない、という事なのでしょう。考えてみれば当たりまえですが。洞察力に優れているが故に、よく調べずに理解出来たように錯覚する、というのもあるのでしょうね。
科学的な実証、つまりエビデンスの重視、というのも、ゆる体操方面では意識しているようですが、ゲームに関してはそれが出来ていない。
もちろん、身体を動かさない方向へ促す、という面は、よく考えられてしかるべきで、私はそこには賛同します(このブログでもよく書いている事です)。件の記事に書いてあるゲームの効用についても、なかなかに鋭いとは思います。だから、「惜しい」訳ですな。
考えてみれば、運動も度を越せば身体を壊すように、何事もやり過ぎは良くない、という話です。一種のトートロジーですが、それをきちんと理解していないで、リスクを直感によって過大評価する、というのがしばしば見られます。つまり、ちょっとやれば「やり過ぎ」という風に、勝手に決めているんですね。リスクが大きいのだから短時間でも害になる、という直感に基づいたロジック。
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