« シューベルト/交響曲第4番 | トップページ | シューベルト/交響曲D944 »

2008/10/20

Library of the Year 2008

 例の図書館総合展で行われるLibrary of the Year 2008の選考対象に,今年は千代田区立千代田図書館が選ばれたばかりか,あろうことか「図書館」ですらない団体が選ばれたことが,ごく一部で物議をかもしているようで何よりです(^^;).昨年のこの催しにて,選考対象に「矢祭もったいない図書館」が選ばれたことに,この期に及んで今もなお異議を唱えている方を某所で見つけて吹き出してしまったわけですが,そこまで「図書館」(この場合の「図書館」は「公共図書館」否「公立図書館」とほとんど同義か)の概念と機能を限定して,というよりも「純化」してどうしようというのだか,さっぱりその先が見えてこないところが,如何にも『市民の図書館』信者だなあ,と,それを読みながら思ったことでした.

 そして恐らく,2時間に1本列車が通るかどうか,というド田舎に「公共図書館」を名乗る「場所」がありそこに本がある,そのこと自体が,どれだけその地域にとって僥倖であるのか,それすら全くわかっていない都会人の発想/認識なんて,所詮はその程度だろうな,ということもよくわかりました.さらに『市民の図書館』信者の面目躍如なのが,矢祭が現在寄贈受付を停止していることを以って,新刊書籍が無い公共図書館なんて,とほざいていたこと.新刊書だけが知的好奇心を刺激するんですかねえ(^^;).だとしたら,僕のように今になって鈴木栄太郎(1894-1966)や矢崎武夫(1916-2005)の仕事を追いかけて苦労している人間は,『市民の図書館』信者が旨とする公共図書館のサービスの対象外ということになりますわな.実際,近所の公共図書館に鈴木栄太郎の所蔵は無かったしorz 現物貸借頼むなら自分の勤務先でやりますが,もしも近所で間に合うならその方が安上がりだったんですけどね.

 思うに「公共図書館」という存在,もしくは概念の拡大は受益者に多大の権利と利益をもたらすでしょうが,その真逆,即ち『市民の図書館』に基幹をおいて「公共図書館」の概念を「公立図書館」と「それ以外」とに,狭く純粋に捉えようと業界がし続け「あれは公立図書館ではない」「これは真の意味での公共図書館ではない」と言い募り続けることは,結局は受益者から本当の意味での利益と権利を奪うだけにとどまらず,純化路線の目的が最終的には「公務員の既得権益護持」であることを疑われる結果に終わるでしょうね.

 これ以上の『市民の図書館』信者の暴走を止めるためにも,Library of the Year 2008におかれましては是非「図書館」ではない団体が大賞を獲得することを密かに願っておりますよ(^^;).

|

図書館系」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/38016/42853151

この記事へのトラックバック一覧です: Library of the Year 2008:

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。