2007年11月30日

ローマの哲人セネカ

セネカはローマ帝政の初期という時代に生きた。 皇帝ネロの家庭教師を務めたことで有名。皇帝即位後は政策の助言を行うが、のちにその立場から退きかつての教え子であった皇帝ネロから謀反に加担したと疑われ、自殺を命じられ死ぬ。 


そんなセネカが言っていたが「心の病は、体の病より遥かに破壊的である。」 「残虐はすべて弱さから生ずる。」云々などと・・・・


悪名高いカリギュラが帝位に就く頃にネロの父ドミティウスが死去、ネロの実母小アグリッピナはカリギュラの寵愛を失い、流刑となる。

父ドミティウスの遺産はカリグラの手に入り、ネロは叔母のドミティア・ルピダのもとで育てられた。その後、カリギュラが暗殺されカリギュラの妻カエサニア、娘ユリア・ドルッシラも殺害され、親衛隊の独断で伯父のクラウディウスが擁立され、第4代ローマ皇帝となる。クラウディウスによってネロの母アグリッピナはローマに戻る事を許された。


皇帝ネロは、ローマに放火したとかキリスト教徒を迫害したとかやはり悪名が高いのだが・・ペテロがネロの迫害下で逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。 ・・これまた暗殺に毒殺に彩られる帝位を巡る陰謀渦巻くローマ社会の疑心暗鬼が暴君を生んだという見方も出来るかと思う。


「心の病は、体の病より遥かに破壊的である。」 「残虐はすべて弱さから生ずる。」


などと言葉を残し、ローマ帝国史の草創期を生きたセネカの言葉を幾つか・・・・

「生きることの最大の障害は期待を持つということである。それは明日に依存して今日を失うことである。」


「自分を堕落させる者は自分だけを台無しにするのみか、もしもこの者が善に化せられたならば恐らく彼が役立つと思われる他人をも、ことごとく台無しにすることになるが、それとちょうど逆に、自己のために良く尽くす者は誰でも、他人のために将来役立つものを用意するという、正にそのことによって他人に役立つことになる。」


「本当に偉いということの証拠は、殴られても気にしないという態度である。 たとえば、犬どもの吠え立てる方をゆっくりと見返す大きな野獣のごときである。 打ち寄せた波が当たっては空しく砕ける巨大な岩礁のごときである。 怒らない人は被害に動ずることなく、しっかりと立ち続ける。 怒っている人は動かされているのだ。」


「大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。われわれは侮辱に腹を立ててもいけないし、尊敬を喜んでもいけない。そうしなければ、われわれは軽蔑への恐怖または嫌悪のために、多くの必要なことを止めることになろう。また、何か気に染まぬことを聞くのではないかという女のような心配がわれわれを締め付ける限り、公的にせよ私的にせよ、もろもろの義務をあえて遂行しようとはしないであろう― たとえそれらの義務が有益なものであるときにも。

また、時にはわれわれは有力者に憤慨して、自分の感情を勝手自由にむき出す。しかし、自由とは何事にも我慢しない、ということではない。われわれは誤っている。自由とは心を侮辱から超越せしめ、心そのものを、心の喜びが流れ出る唯一の源たらしめ、外的なもろもろの雑事を心自体から引き離すことである。

それは結局は、世間一般の嘲笑や、同じく世間一般の評判を恐れて、不安な生活を送るようにさせないためである。なぜというに、世間の誰か一人が軽蔑を行なうことが出来るならば、軽蔑を行なうことが出来ない人というのは一体誰か、ということになるからである。」


「幸福にしてあげたいなら、その人の持ち物を増やさず、欲望を減らしてやるがよい。」



というパンとサーカスと奴隷制の帝政ローマの哲人セネカの言葉を眺めていると、教え子ネロの歩みと側近の凄まじい権力闘争とともにひとつの言葉を思い出す。

死ぬ事を終生学べと説き、教え子ネロにより死を命じられたセネカが我が子を失い嘆くマルキアに宛てた手紙に一節である。


「ならば、個々のこと一つ一つに涙したところでそれが何になりますか?涙すべきものがあるとしたら、それは人生全体です。あなたが古いごたごたを片付け終える前に、もう新しいごたごたが次々と押し寄せてきます。それゆえにあなたがたが際限もなく嘆くことは、とくに抑制されねばならず、人間は心の力を多くの苦痛へと分かたなければならぬのです。

であるのに、そういうあなたのものでありまた一般的でもある状況を忘れるなんてことが、どうして起こるのでしょう?死すべき者としてあなたは生まれ、死すべき者をあなたは産んだのです。あなたが、いくつもの病の種子(たね)を宿した脆くて締まりのない肉体を持つあなた自身が、そのような弱い素材の中に、確かなるもの、永遠なるものを宿そうとでも望んだのですか?
 
あなたの息子は亡くなりました。ということはすなわち、彼はあの目的地へ行ったのです。あなたがあなたの子供より幸福だと思っている人々みながそこへと急いでいるところへ。そこへこそ彼らもみな行くのです。いまフォーラムで訴訟を争っている者も、劇場で見物している者も、神殿で祷っている者も、あの群集全員が、不揃いな足並みで、しかし必ず。あなたが愛する人も、あなたが軽蔑する人も、ひとしく一握りの灰になるのです。
 
そのことをこそ、デルフォイの神託といわれるあの言葉「汝自分を知れ」は言っているのです。人間とは一体何か?任意の揺さぶり、任意の突っころばしで壊れてしまう容器です。あなたを吹きとばすのに大きな嵐など必要ありません。どこへ衝突してもあなたはバラバラになるでしょう。人間とは一体なんですか?弱い、壊れやすい肉体です。裸で、生まれつき無防備で、他のものの助けを必要とする、運命のあらゆる虐待のままに委ねられた存在です。」


セネカの教え子であったネロもクーデターにより元老院から「国家の敵」とまで言われ、自殺に追い込まれ・・・ローマ帝国は、更なる戦乱の時期を迎えるのだが・・・・



「徳高き者に茨(いばら)の道は付き物と心得ております。それよりも、意地の悪い者どもにかれこれ言われるからといって、やるべきことをやめてしまってはなりますまい。そんな連中は、立派な船と見れば卑しい大口を開けて、落ちて来もしない餌(えさ)をうろうろ待っている鱶(ふか)のようなものです。

人がどんなに善い事をしても、心がゆがみ目がかすんだ者の口を通せば、手柄はよそに移ったり、消えてしまったりしがちなものです。逆に愚かな行いが、自分たちの尺度にぴったりなので、最高の業績などとほめられたりいたします。」

シェイクスピア


「人間はみな気狂いだと気づいたとたん、人生のふしぎは消えて自明になる。」

マーク・トウェイン


ローマの哲人のことなどを思いつつ時を下って、二人の作家の言葉なども思い起こす朝でありました。



(-∧-)合掌・・・

nohohonkoubou at 10:51 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

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