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永田町で45年を過ごした経験を元に、「日本の将来を託せる政治家の育成」のために自身の体験と理論の全てを注入いたします。「人間と政治」「日本人と政治」「日本の議会政治」等の問題を解明し、さらに時々の政治問題なども分析して解説していきます。

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2008/08/01

平野貞夫のCMF政治塾 第21号 2008年8月1日

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 平野貞夫のCMF政治塾     第21号  2008年8月1日発行
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□□□□                 筆者 : 土佐南学会塾長 平野貞夫    
□□□□□□□       発行 : CMF国際財団
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『政治家である前に人間であれ』
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7月23日、京都に日帰り旅行をした。故前尾繁三郎先生(元衆院議長)の28
回忌で、嵯峨の清涼寺で墓参した。野中広務元自民党幹事長も一緒で、久しぶり
に歓談した。世間では野中さんと私は、政治改革や政治路線をめぐって敵対関係
にあると見ている。民主党の小沢一郎代表に対する厳しい批判などで、私とは犬
猿の仲といわれている。ところが「前尾繁三郎」という人物を縁にすれば、同志
となるので不思議である。



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『政治と経済をどう指導したであろうか』
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前尾先生は昭和48年5月から同51年12月まで、3年8ヵ月衆院議長を勤め
た。京都府の出身で、当時の野中府会議員と関係があった。私は衆院事務局から
出た議長秘書をやっていた。その頃京都府知事は共産党の推薦する著名な人物で、
前尾・野中のコンビで、昭和53年に自民党公認候補に奪還するのに苦労を重ね
ていた。

前尾先生が亡くなられたのは、昭和56年7月23日、その秋の補欠選挙で野中
さんが衆院議員に当選して、国政で活躍されることになる。私が平成4年7月の
参院選挙に高知地方区から出馬することになったのは、小沢一郎さんの薦めもあ
ったが、実務的に指導してくれたのは、当時、自民党総務局長の野中さんであっ
た。

この頃、小沢・野中の関係は経世会(竹下派)の幹部として良好であった。法事、
墓参の後、前尾先生と縁の深い岡崎の『つる家』で、会食した。話題となったの
は、いま、前尾先生が存命していたなら、政治と経済をどう指導したであろうか、
ということであった。昭和50年代の初めは、第一次石油ショックが収拾した頃
で、日本経済の新しい方向について、いろいろな意見が出されており、前尾議長
も機会ある度に真剣な主張をしていた。当時、もっとも接触のあった私が、思い
出を話した。



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『心配していたとおりの日本となった』
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前尾議長がもっとも危惧していたのは、当時、経済界の主流であった輸出増大に
よる貿易による利益拡大論の危険性であった。前尾理論は、貿易による国際収支
は黒字が拡大することが必要だが、異常な黒字拡大は必ず赤字圏からさまざまな
方法で、反発を受ける。そしてバブル経済を起し、経済を混迷させる。輸出を拡
大させると同じ程度の輸入により、収支のバランスをはかることが、もっとも大
切だ。というものであった。そのためには、日本経済の構造改革が必要だと、し
きりに主張していた。

日本政府の政策も経済界も、この前尾理論を理解しなかった。日本の乱熟した高
度経済成長は、益々国際収支の黒字を拡大させ、日米経済摩擦を激しくし、昭和
60年(1985年)9月にはブラザー合意となる。ドル安円高を誘導して、日
本は異常なバブル経済となる。そして平成時代に入って、バブルが崩れ、構造不
況が続き、今日の混迷経済が日本を襲ったままである。前尾議長が心配していた
とおりの日本となった。

何故日本はこうなったのか。前尾さんはこう言ったと思う。
「戦後の日本の経済発展は世界史上奇跡だったよ。その評価と反省が足りないか
ら、こんな日本になったんだ。」

昭和30年〜50年までの日本の経済成長は、世界の資源を使い尽し、高い技術
の商品を売りまくったのだ。豊かになった日本人は当り前と思ったろうが、相手
国はそれなりに被害を受けていたのだ。技術と流通のグローバル化で、資源をも
つ国が大きく発展するようになった。米国に従属して先進国の既得権を貪ってい
た日本に、歴史の神はペナルティーを科そうというのが、昨今の原油や穀物高で
混乱する日本の姿だ。

さて、今日何がもっとも大事か。それは日本の混迷の原因を知らない政治家が目
覚めることだ。前尾さんの遺言は「政治家である前に人間であれ」というもので
あった。



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