2008-10-10
■日本はそろそろノーベル賞のクレクレをやめてもよい国だと思う
今年のノーベル賞はいろいろな意味で興味深かったし、質の高いエントリが沢山書かれたと思います。
研究の奥深さや学問の素晴らしさがアピールされる一方、ノーベル賞の不完全さにもスポットライトが当たった点が特に面白かったですね。
例えばこんな記事たち。
Douglas Prasher博士のケース、ノーベル化学賞の裏側で
このかたは、下村博士のおられたところ同じ海洋研究所にいて博士がみつけたGFPタンパク質の遺伝子をつかまえてその配列やアミノ酸配列を決めたものでした。
それで、まさにこの遺伝子をもちいてチャルフィー博士など今回の受賞となった研究をしようとしたのだけれども、継続困難で、研究費を打ち切られ職もうしなってしまったのだそうです。
つまりだ。これは三人ともいえるが彼らはノーベル賞が来たことによって自分たちの研究が評価されたことが分かるレベルの人々ではないのだ。それどころか、ノーベル賞をとっていないことによってノーベル賞を物理学会の最高の賞と呼ぶには躊躇するよね、と思わせるほどなのである。
そう、ノーベル賞はもちろん意義深い賞ではあるけれど、制約や間違いも普通に存在する一つの評価基準にすぎません。確かに無名の田中さんを探し出してくるとかニクいところもあるんですが、人工癌とかロボトミーとか、いろいろポカもあるわけです。
なにより人数制限はありますし、亡くなった人は無視される。
それはノーベル財団という一つの団体が出す賞なのだから仕方がないのですが、しかし日本という国家が国として「ノーベル賞30個!」を目指すのってどうなんでしょうか。
平成18年3月に閣議決定された第3期科学技術基本計画においても、第2期科学技術基本計画に引き続き、「50年間にノーベル賞受賞者30人程度」という目標に言及しています。
発展途上にある国なら分かります。ノーベル賞は科学技術を導入し、国民を鼓舞する大きな励みになるでしょう。
しかしそろそろ日本はサイエンスを「いただく」側から「生み出す」「与える」側に移ってもよい頃あいではないでしょうか。
ノーベル賞にしろ、あるいはNature、Scienceにしろ、素晴らしいメディアではあるけれど、国の科学評価が海外の雑誌や財団に頼りきっているという状況はそろそろ変わってもいいでしょう。
そのためにはノーベル賞やNature、Scienceに先立つような学術賞や学術誌、「これを取ったらノーベル賞も確実だね」、いずれは「ノーベル財団より見る目があるよね」、といわれるような目利きを育てていかなくてはなりません。*1
いつまでも褒めてもらうのを待っていてはいけないように思うし、堂々と自ら価値を判断し、むしろ相手を褒めることの出来る立場に立ってこそ日本のサイエンスは一人前、といえるのではないかと思います。
追記
ips騒ぎの時にも思ったのですが、アメリカなら山中先生のラボでヒト細胞に一年先駆けてマウスの結果が出た時点で、研究と知財の大規模プロジェクトが動くでしょう。重要な芽は、特にビジネスにしたいなら発表されてからでは遅いのです。
基礎にしろ、実用にしろ、「目利き」がとにかく足りない。日本の科学を何とかしたいのなら、まず手を打つべきはこの点だと思います。
木村 2008/10/10 22:03 ノーベル賞は欧米と言ってもノルウェーやスゥエーデンといった僻地でやってるわけですから、選定なんかは日本よりそういう中立的な国にやってもらった方がいいと思います。
isikaribetu07 2008/10/11 00:49 京都賞にはそういう野心があるやに聞きますね。ノーベル賞とは受賞者がかぶらないようになってますし。ただ基礎科学部門に限っても、受賞者の分野がバラバラすぎて散漫な印象を受けるのが残念なところです。
sivad 2008/10/11 09:59 どうもです。
どこの国でもなかなか完全に中立というのは難しいですから、結局結果で判断するしかないんじゃないでしょうか。
確かに京都賞にはそういう野心を感じますね。印象が薄いのも仰るとおりで。
はじめはイグ・ノーベル賞のようにコンセプトをハッキリさせた方がよいのかもしれません。
canine000 2008/10/11 10:51 目利きは文理またがったヒトじゃないとできなそうな。特に、社会科学系の知識は必須ではないかと。シンクタンクとかが共同で財団みたいなの作れないんでしょうか。
tny 2008/10/11 14:18 海外の資源に頼る状況を打開するのに必要なのは、目利きと、
日本産の資源を評価し積極的に利用しようとするユーザです。
なぜsivadさんが前者の方を優先して主張したのか、、と考え、
結局ユーザは目利きによる評価を待たなければ動かないからか、
と判断しましたがいかがでしょうか。
bak_a_mono 2008/10/12 01:23 目利きの問題というか、もっと社会全体の評価の仕方に問題があるのではないかと感じました。減点主義のところと、加点主義のところと、うまく使い分け出来たらいいなと...。
べらんめい 2008/10/12 01:54 目利きの問題は根が深いですよ。
制度や個人の問題と言うより、研究業界の精神構造の問題ですから。
大きな業績が国内で冷遇されて、外国の権威者の認知を受けてはじめて認知される、
なんてのがしょっちゅうです。物理のような日本が世界レベルにある学問でも、
自前の評価ができない精神構造がなぜか牢固として残ってます。
そのような環境に最適化された戦略として、外国の権威のもとで
まずまずの共著論文を書き、それが国内の権威の源泉、ってのが
いまだに主流だったりします。
そのような凡庸と二番煎じの支配の中から、時たま遥かに突き抜けた
南部先生のような天才が出てくるのが、むしろ不思議なくらいです。
あと、関係ないですが、上の伊東さんの、戸塚さんなんちゃら説は、
個々の事実の指摘はいいとして、趣旨はちょっと外してますよ。
sivad 2008/10/13 21:48 沢山のコメントありがとうございます。
canine000さん
そうですね、文理というか、異分野であってもどこが重要かが分かる勘というか嗅覚のある人が必要なんでしょうね。社会的なところも含めて。賞はある程度権威も必要なので、どう人をまとめるかですかね。
tnyさん
確かにバナナが突然売り切れる世の中ですからね。ユーザの目の開拓も大事ですが、技術や科学の場合与えられたものを評価するだけでなく、掘り出し物を目ざとく見つける攻めの目利きが必要でしょう。
bak_a_monoさん
点で評価できるものはまだ簡単なんですよ。新しいモノは質で評価しなくてはなりません。点数化される以前に。
べらんめいさん
タブー中のタブーに触(ry