『信仰と光』共同体の召命

― 知的障害者を通して福音を受ける ―

 

 以下にご紹介する文章は、信仰と光が1987年に日本にもたらされて5年目、国際事務局から認可されて1年と少し経った1992年12月号の、カトリックの「声」誌に掲載されたものです。

  その年の始めに、ジャン・バニエが来日し、黙想会と共に、『信仰と光』共同体のアジアゾーン会議が日本で開かれました。当時、奈良におられたルーニー神父様が同時通訳をしてくださり、ジャン・バニエの話や会議中の発言をもらさずお聞きすることに恵まれました。

 そのおかげで、この文の基には、貴重な『信仰と光』共同体のエッセンスがたくさん含まれていて、その本質は年月を経ても変わるものではありません。

 そこで、この当時とは異なる状況の変化も多々あるのですが、敢えて当時の文章をそのまま載せさせていただくことにしました。

共同体の数など、今日に至る変化は、文末に記させていただくことと致します。

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 Mくんは、ご両親でもてこずるパニックを起こすことがあり、長いこと教会に家族で出かけることなど考えられませんでした。ある日、その教会へ私たち『信仰と光』共同体が巡礼に行くことになりました。そこには私たちの共同体のメンバー、KさんとUくんとそのお母さんが居て、いつも一番遠くから集まりに参加していたので、今度はみんなが行って、教会の人々に三人が私たちの友人であることを知らせ、また『信仰と光』のことも紹介したいと考えたためでした。

 Mくんの存在はその少し前に分かったばかりで、Mくんとお母さんに会うのは初めてでした。Mくんのご両親は教会へ行こうというUくんのお母さんの誘いに戸惑いを隠せませんでしたが、車を出して下さったTさんの応援もあってやって未ました。けれど心配に反して、ミサの間も、『信仰と光』の集まりでも彼が機嫌よく静かにしているので、お母さんは驚くやら喜ぶやらで、その後いつも日曜日に教会へ連れて行くようになり、そのお手伝いをしたTさんは、「今まで誤っていました。神様ごめんなさい。主の晩餐を初めて味わいましたと言い、やがてお父さんも長いことまたがなかった教会の敷居をまたいだのです。共同体の仲間は、それが私たちの努力の結果ではないことを知っていましたので、このことによって主イエズスが私たちと共に働かれていることを実感し、喜びに満たされ、改めて神に感謝と賛美を捧げました。

 Dちゃんは『信仰と光』が大好きで、ある時家出の最中に、どうやってそこから来たのか分からないのですが日時を党えていて、『信仰と光』の集まりにちゃんと来たことがあります。Kさんは「今からイエズス様がKさんのお腹にはいられるよ」と言われて、ご聖体拝領の後そっと涙をこぼしていたこと、普段は自発語のほとんど無いUくんが、ルルドの大聖堂のミサで皆がアレルヤの祈りを捧げている最中に「来年もルルドに行きます」と大声で叫んだことなど、このできごとは、その程度や内容はさまざまですが、全て何らかの知的障害を持った人々の話です。そしてこれらのエピソードは、知的障害者と『信仰と光』共同体の結びつき、また知的障害者と主イエズスの関係をよく表していると思います。

 

『信仰の光』と『ラルシユ』

 今年一月*1、ジャン・パニエによる「最も小さな者にしなかったことは、私にしてくれなかったことである」というテーマの黙想会が行われ、続いて,『信仰と光』共同体のアジアゾーンの会議が開かれました。ジャン・ハニ工という名は、福祉関係者の間では知的障害者と共に暮らす家族的共同体である『ラルシュ』の創設者として知られていますが、彼はまた、マリー・エレン・マチューと共に『信仰と光』共同体の創設者でもあります。彼はゾーン会議で『信仰と光』の使命について触れ、「教会と社会のために私たちは存在し、ハンディキャップの美しさを世に知らせること」もそのひとつであると述べ、自分たちの集まりを熱心にするだけでなく世にも働きかけて欲しいと言われました。このたび、この誌面をお借りしてお話できることは、私たちにとって本当に神様の御計らいによる恵みと感謝しております。

『信仰と光』の起こり

 マリー・エレン・マチューが以前語ったものから、簡単に,『信仰と光』の歴史を紹介致します。『信仰と光』共同体は、1968年、知的障害者の子供を連れてルルド巡礼に同行することを「混乱を招くだけで、何の意味もない」と教会からも断られ、深い孤独と苦しみを味わったひとつの家族から生まれました。どんな家族も孤立しないで居られる場があってほしいという願いを込めて、知的障害を持つ人とその両親のために、友人、特に青年を誘ってルルド巡礼のための小さな共同体が組織ざれたのです。15〜30人のグループを作り、共に祈り、互いを知り、共に楽しみ祝い、巡礼の意味を深く理解するため定期的に集まりを持つように提案された小さな共同体が、三年間でロコミで膨れ上がり、1971年の復活祭に集まった巡礼団のメンバーは1万2千人にもなりました。ルルドで起こったことは、想像を遥かに越えて、頭ではなく心の奇跡でした。

 多くを話すことのできない一団は、突然堆を切ったように、ただひとつの共通語「アレルヤ」で歌いだし、祈り、あいさつを交わし合い、その三日間ルルドの町は大きな平和と喜びの場に変容しました。親たちは、自分の子供が平和と喜びの源になりうるのだということを発見し、ハンディキャップを持つ人は、この催しが自分たちのためのものであり、多くの人々に喜びをもたらしたのが彼ら自身であったことを悟り、手助けするために同伴した青年たちは、してあげたことよりも多くのものを受け取っていることを発見し、ハンディキャップを持つ人と強い絆で結ばれました。

 この巡礼でハンディキャップを持つ人は、単にしてもらうだけの立場ではなく、本当は人に与えるのが役割だということが、明らかになり、それがはっきりと証明されたのです。「このルルドでの貴重な贈り物を、もう勝手に埋もれさせておく権利は私たちにはない。≪愛≫ よって道を知ること、≪愛≫によって促され続けることこそ私たちの今なすべきことである。」というジャンの呼びかけに応えてこれらの小さい共同体は継続され、増え、広がり、日本へも1987年の彼の黙想会と講演会によりもたらざれました。

 この歴史について、何度か目や耳にした方がおられるかと思いますが、『信仰と光』共同体を語る時、これ以上に正しく完全にはその本質を語れないほど、全てのメッセージがこのできごとの中に含まれています。それは、私たちが信仰を語る時、よくアブラハムの旅や、モーセのエジプトからの脱出を語るように、基本的で具体的で本質的なものを含んでいます。

 「主イエズスが偏愛とも言える愛で愛しておられる、貧しい者であり虐げられた者の一人である知的障害者に手を差し伸べる時、主は、手を差し伸べたその相手を通して彼の愛の秘密を示してくださる」とジャンは語っていますが、出発点となったこの巡礼の実現のために≪愛≫によって促されて手を差し伸べた人々に、主が聖霊の働きを通して示されたもの、それが『信仰と光』共同体の霊性の源であると言えます。

『信仰と光』の霊性を伝える

 『信仰と光』共同体はこの二十年間*2に地球規模で広がり、統一のためではなく一致のための逆ピラミッド型のサポートシステム*3が生まれて来ましたが、それは、創立当初から神からいただいたこの召命に忠実に従い、霊性を養い、それを正しく伝えるため、また世界各地にあるひとつひとつの共同体の成長を支えるためにほかなりません。しばしば疑問が投げかけられることに、『信仰と光』共同体になるために認可がなぜ必要かという問題がありますが、それは『信仰と光』共同体が、今お話ししたように人の意図によってではなく、神のみ旨により聖霊の働きによって生まれ、成長し続けて来たことを思い起こす時、より理解し易くなるのではないかと思います。「実際、同じ課題を持っているとか、互いに愛しあっているから共同体なのではなく、神によって共に呼ばれたから共同体なのである」と、ジャンは述べています。

 では、『信仰と光』共同体の活動についてお話ししますが、その基本は創立当初と変わりません。ひとつの共同体は、知的障害者、その家族、友人になりたいと望む15〜30人から成り、またその霊的指導者として司牧者の存在が望まれています。前もってコーディネーティングチームと言われる数人の人々が集まって祈り、どうしたらメンバーのひとりひとりの成長を支えられるかを考えたり、前の集まりの反省や次の準備をします。そして1か月に1度、共同体全員で定期的に集まります。集まりは、「分かち合い」、「祝い」、「祈り」の三つの部分から成り立っています。例えば、お互いの話に耳を傾けたり、ゲームをしたり、簡単なものを作ったりしながらお互いに知り合い、「分かち合い」をし、メンバーの誕生日や共同体の記念日などの祝い日があれば、ひとりひとりが特別に神から祝福され愛されている存在であることを喜んで「祝い」、言葉だけでなく歌を歌ったりしながら共同体の仲間とその家族のため、またそこに集まっていない全世界の知的障害者と全ての人々のためにも「祈って」います。大切なことは何かをすることではなく、お互いがお互いを必要としていることを知り、友情の絆を結ぶことです。

 そのやり方は『信仰と光』国際事務局から発行されるガイドラインに従いながら、それぞれの共同体に合わせて工夫をしています。集まりは、以上の三つの部分から成りますが『信仰と光』共同体の必要不可欠な要素として、「信仰的要素」(キリスト教以外の宗教にも開かれている)、「共同体的要素」、「弱い人々の存在の場」(=福音を知らせる)の3つをジャンは挙げています。「それがどんなに仲良く楽しくても、スポーツや踊りや歌だけであれば、もはや『信仰と光』ではありません。」と彼は言います。国際事務局からは、この他に、憲章、規約、リーダーのための手引き書他も出されていますが、それらは共同体と共同体に属するひとりひとりの成長を助けることができるように、祈りとたくさんの経験によって実に細やかに具体的に書かれています。

 

『信仰と光』の弱さを通してイエズスにきく

 さて、厳しい現実問題もあります。たいていのご両親の絶えざる不安や心配は、障害者である子供が義務教育を終了してからの学校や社会生活、自分たちの死んだ後の暮らしにあることが多いのです。しかし『信仰と光』は『ラルシュ』のように共同生活をする場ではなく、また通所施設でも、教育組織でもありません。『信仰と光』共同体はこの現実に応えずに、親にとってどういう意味を持つのでしょうか?

 ジャンは言います。「現実と理想のギャップは大きいのにどうしてやっていけるか?この現実から発する呼びかけの他に、何か呼びかけがあります。それはイエズスからの呼びかけであり、この呼びかけのうちに、この愛のうちに成長することが『信仰と光』の使命です。何かを始めるとどうなるか。複雑な問題ですが、私たちに与えられた使命から離れないように」。「障害を持つ人々のうちを、神がそこを過ぎ越して居られ、それを通して私たちを変革します。神様は彼らを使って私たちを司牧されるのです」と。

 またマリー・エレンは「私たちは、傷ついた小烏を育てる手のくぼみとなるように呼ばれています。それは、苦しみ、怒り、抑鬱、自信のなさなどの弱さだけでなく、彼らの光、希望、成長と進歩のカをも連れて行くためです。弱い人々は彼らを連れて行く者たち自身が己の心を理解するのを助けることによって、生命を与え、目覚めさせ、呼び、引っ張って行きます。こうして信頼と愛の絆が形作られてゆきます。この絆は神からの贈り物であり、契約です。」「十字架から降ろされたイエズスの肉体を受け取るのは、マリアにとってひどい苦しみです。しかし絶望が彼女の心を苛むことはありません。マリアは障害者の親たちが、悪霊と死が既に負かされたという確かさのうちに生きるのを助け、イエズスから彼女が学んだことを私たちに教えたい、彼らの親たちと彼女の召命とを一致させたい、それによって御復活の神秘が毎日の新しい発見となるように望んでいます」とメッセージしています。私たちはご両親の不安を解決したり、苦しみを代わりに担うことはできませんが、彼らが差し出してくださる知的障害者との絆の内に、共に祈り、成長することを望んでいます。

日本での展開

ところで、日本における,『信仰と光』共同体の歴史は、前述のようにまだ浅く、1987年に種が蒔かれたばかりで、昨年1991年の復活祭に、10年毎に行われる『信仰と光』のルルド巡礼に参加し、その9月に日本が『信仰と光』共同体の存在する国であると認められ、申請の出ていた大阪、奈良、神戸、岡山のグループが認可されました。この他に、名古屋のグルーブが現在認可を申請中で、横浜に小さい産声をあげたてのグループがあり、東京に連絡を取っているグループがありますが、まだ本当に小さい共同体です。ジャンは「現代の日本における『信仰と光』共同体の果たす福音宣教的役割は非常に大きいと思われます。」と言われますが、この小ささでいったいその役目が担えるのでしょうか?しかし、「共同体を愛するのではなく、兄弟を愛すように。共同体を愛することは共同体の破壊となります。私たちの模範は、ヨゼフ、マリア、ヨハネ、十字架と一緒に歩いた者です。大きなカリスマ的なものでなく、小さく単純だが、イエズスの神秘がそこにあります。貧しい人、苦しんでいる人、知恵よりも心が勝っている人と共に居ると、それを教わります。枚しあい、祝い、祈りのうちに成長するように。それを信じています。」ともジャンは告げています。

虐げられた者の取り成し手である聖母マリアによって招かれ、自分に死んで御父に全てを委ねたベルナデッタに倣うよう導かれ、最も小さい者の一人である知的障害者と愛の絆を結ぶ時、私たちのそばにはいつも主イエズスがおられ、彼の愛の神秘を私たちに示して下さいます。「私たちが不完全でありながら、多くの欠点にもかかわらず、神の道具として、この世を愛する彼の計画に私たちを用いてくださるように神に祈りましょう。」とジャン・バニエは勧めていますが、私たちがそのように変えられること以上にすばらしい奇跡を望むことはできません。『信仰と光』共同体の召命は、死すべき身体からの復活の約束と喜びに、既にこの世にあって与ることができることをこの世に示すことにあると思います。

 *1:1992年1月 
 *2:1971年を誕生の年として、1991年で20年。 
 *3: 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*4『信仰と光』のホームページにある「毎月のガイドライン」というのがそれです。

*5同じくホームページにある「憲章と規約」がそれです。

*6最初に認可された4つの共同体の中で、残念ながら岡山のグループは現在活動を行っておりません。現在の共同体についてはホームページの「日本各地の信仰と光」をごらんください。



追補

『1992年以後の歩みをふりかえって』

 あれから、10年何年かが過ぎ、東京方面に『信仰と光』の共同体やグループがいくつか生まれて育っています。この間、横浜のY子さん家族を中心にした人々が、ひとつひとつの出会いを大切に、労を惜しまなかった種蒔きの時代があってのことですが、あることがきっかけで、パッと芽を出したのです。それは、意外にも、開催直前に計画がつぶれた黙想会でした。指導司祭が骨折するというハプニングだったのですが、翌年にそれが再計画された時に、先に予定した関西の場所は塞がっていて、関東方面で開催するしかないという状況になり、東京方面から多くの参加者が来られました。聖霊は風を送って、私たちの舟を運んでくださったのです。時々、こういう予定外のことが起きる経験を経て、いつの間にか私たちは、自分たちの計画はつぶれても、それが次の新しい展開になることを、だんだん学んできて、信仰と光にはハプニングが付き物だからと、誰もあたふたしなくなりました。

 今、ふり返りをして一番心に沸き起こるのは、この共同体の中で出会い、語り合い、いっしょに行動し、祈りあった人々と、理解し合えなかったり、衝突したり、篤い思い故に傷つけ合ったりした後、互いに誤解を解くことなく、あるいは和解できずに、別れたままになっている人々がたくさんおられるということです。この共同体を去って行った人々の中には、残って今も共同体の一員である私たちよりも、ずっと『信仰と光』のことをわかっていて、その霊性に生きている人々が、きっとおられることと思います。これらのことについて、去っていかれた人々と、現在の信仰と光に属する人々、そして人々をお招きになったイエス様に対し、まず心からお赦しを願わねばなりません。

 語り尽くせないたくさんの出会いとできごとから私たちが学んだことは、受け入れあったり、赦し合えたりしたうれしいできごとだけでなく、たとえ深く傷つけ合ってしまったことであっても、失敗やくじけそうになった経験からも、どんなできごとからも、お互いに成長し、さらに新しく歩み続けるための力と恵みを、神様から各々にいただくことができるという確信です。私たちの乗る頼りないボートの舳先(へさき)にはイエスが立っていらっしゃり、必要なら風を起こし、導いてくださいます。だから、私たちはイエスの招く風のままに帆を張って、そちらへ行くよう整えるだけです。そうすると必要に応じて養っていただけます。

 前国際チャプレンのジョゼフ・ラルセン(Joseph Larsen)神父がいたずらっぽい目をしながら「リトルミラクル!」と呼ぶ、私たちの間に神様が介在してくださっている徴を、何気ない日々の生活の中に見い出そうとする視点が、イエスの導く方向を見究めるために大切であることも、私たちは共同体の中で学んできました。
 そして、私たちを養うイエス様の一番の助け手となったのは、もちろん、私たちの特別の友人である知的障害を負った人々ですし、喧々諤々となっても本心からの分かち合いと祈りを大切にしてきた共同体という「場」の存在でした。

2001年復活祭の二度目の『信仰と光』国際ルルド巡礼でも、私たちは、知的障害を負っている人々こそ、国や民族、言語、習慣の壁を倒して私たちを導いてくださる人々、人類に対し、神様が平和の使者として特別に送ってくださっている人々だと、参加者全員で実感いたしました。

 そして、本文の冒頭に挙げたようなできごとは、今でもつづいています。

 Yさんは盲目で言葉を話すこともできませんが、心に悲しさや痛みを抱えている時に隣に坐ると、いつものお茶目ないたずらをしないで、そっと胸に抱いていてくれます。そういう時の彼女の心は鎮まっていて、ほんとうに深いところに迎え入れてくださるので、いつのまにか癒されます。

 Nくんが盲目のおとうさんと歩く姿には惚れ惚れするとKさんは言います。駅の階段で手すりをお父さんに示すと、彼はさっさと昇って行きますが一番上におとうさんが到達するころにはまた近くに来て、いつでも支えられる距離を適度に保ちながら歩くそうです。初聖体の時に、くるりと会衆の方へ振り向いて「○」と手で表したのも彼です。

 Kくんは共同宣言の時に、自分のことではなくて、必ずそこに居ない人々や、病気の人や、世界の戦争で苦しむ人たちのために熱心に祈ります。

 M子さんは、恐る恐る黙想会へM子さんを伴ってきた妹さんの心配をよそに、帰りの時には「また黙想会へ来ます。『信仰と光』の全国集会へ行きます」と宣言し、その後洗礼への道もさっさと歩みました。妹さんは、「マリア様の『ハイ』と同じ様に応答しながら信仰に生きる彼女には圧倒される」ほどで、「『教会』と『信仰と光』は彼女にとって同意義であり、『真の我が家』であると彼女の態度と言葉によって示されたし、洗礼の神秘も、あらためてM子さんを通して悟らせていただいた」と言います。

 Nさんは、評議会の時も全国集会の時も司会やタイムキーパーとして欠かせない存在です。彼女の、喜びいっぱいに明るく黙々と自分の分に任せられた仕事をする姿に照らされて、私たちは難しい問題を抱えて対立している時でも、個人的な思惑に惑わされることを免れ、よりよい識別をしながら会議を進めることができるのです。

 Sさんは、生きていることとお祈りしていることとは切り離せないことなのだと示してくださっています。彼女の姿が見えない時は祭壇かマリアさまの前か鐘楼の下を探したらそこに居ます。彼女にお祈りをお願いした時に口をついて出てくる言葉から、お祈りは彼女の日常の神様との会話であり、イエス様も天のお父様もマリア様も本当は私たちにどんなに身近な存在かということがよくわかります。

 Kちゃんは恥ずかしがりで、少し俯き加減で静かに坐っていることが多いのですが、彼女の大好きなことは、他の人を祝福することです。集いの最後には、S子さんとふたりによってメンバー全員(神父様も含めて)が祝福を受けて派遣されるのは『信仰と光』」の本質をあらわす素晴らしい瞬間です。

 Kくんは特に平和の人です。いつもお祈りは平和のことです。けんかやいじめにすごく心を痛めます。彼は、彼を受け入れてくれる人と、何をするからではなくて、いっしょに行動と時を共有していることが大好きです。ある時電話をしたら「今日はあなた平和ですね」と言われました。言われてみて自分がいつもよりゆったりとした気分でいるのに気づき、普段自ら平和を追い出していることが多いのに気づかせていただきました。

 Mくんは、小学生の時に家族ぐるみ『信仰と光』のメンバーのことがありましたが、おばあちゃんたちのお世話のために引越しをしてから何年間も会っていませんでした。ある時教会の庭で自転車に乗っている彼に出会ってから、日曜日によく見かけるようになりましたが、自転車で遊びに来ているのだというくらいに思っていました。しかし、ちゃんと訳があったのです。ある日、ミサの最中に、何かを探すかのようにひとりで通路を歩いている姿が人々の目を引き、どうしたいのかなあと思っていると、ご聖体拝領の列に並びました。けれど、彼を知らないご聖体奉仕者にうまく説明できず、祝福しかいただけませんでした。戸惑って戻ってくる様子に「ご聖体をいただきたいですか?」と訊ねると、すぐさま「ハイ」と返事があったので、いっしょに列に並んでご聖体をいただきました。とてもうれしそうでした。それから毎週、彼はミサに与り、ご聖体をいただいて帰って行きます。さらに、彼はこちらをみつけると、目を見合わせるかどうかに関らず心に生じたであろう、自由で純粋な微笑そのものであいさつしてくださいます。

 全てのメンバーについて、語るべきことは、もちろんまだまだたくさんあるですが、ここではこのくらいにしておきます。後は、みなさまが実際に体験して味わってください。

こうして、いつも、神様は彼らを通して私たちに働きかけ、命とは、平和とは、人間としてほんとうに大切なことは、生きるとは、人との絆とは、愛するとは?と、問いかけ、導いておられます。

 また、ご両親や兄弟姉妹の人々の視点から見えることや経験を分かち合っていただいて得た恵みもたくさんあります。長い間の葛藤の末に、己とは異なる感性を持ち、異なる思考や行動をとる人間をありのままに受け入れて生きるようになった姿を見せていただいたり、不条理に立ち向かった闘いの挙げ句に神からの招きを理解した経験を打ち明けていただいたり、苦労をしながら子供を育て、その愛があふれて周り中の人を包み、頼りにされているおかあさんにも会いました。大変な苦しみと背中合わせに、それを上回る神様のくださる神秘的な恵みと喜びがあることも知りました。障害を負った孫が実は家の宝だとわかったと喜ぶ老紳士にも、娘さんによって信仰を深めることになったご両親にも会いました。しかし、憤りや恨みをぶつけられて戸惑い、怒りがこみ上げてきたこともあり、期待されても応えられない弱さと、自己防衛に走る自分を見い出して愕然と落ち込んだこともあります。持ち合わせた力で対抗しようとした時、「私たちはパワーレスになるように呼ばれている」というある神父の言葉で間違いに気づかせていただいたこともあります。その度に自分と向き合い、自分の実体を知り、心の深くに潜む自我の凄さに対面することになりました。家族の視点から鋭く痛い意見が飛んできて、価値観の変革を迫られ、生ぬるさに生きている自分が丸裸にされていく恐れを今も感じます。しかし、たくさんの衣を脱いで、自由になり、だんだんと「心」に生きるように、与えられた命「キリストの命」に合わせて生きることこそ、十全に最も豊かに生きることだと呼ばれているのも感じています。この招きは、特別に「信仰と光」を通して神様から呼ばれたものです。

 おそらく、わたしだけではなく、『信仰と光』に関った人々は皆、名指しでイエスから呼ばれ、その人固有の本来の生き方へと変えられていくのを感じていることと思います。そんな意味では、『信仰と光』は命の泉です。そこに集う全ての人に、例外なく惜しみなく泉は湧いて与えられています。それを受け取ろうとさえするなら・・・。

 『信仰と光』の霊性に生きる道では、確かに友情が培われ、信頼で人々と結ばれ、安らぎと喜びと楽しさを大いに味わえますが、しかしそれは、地味で、つらさを伴うこともあり、恐れや弱さも抱えている普段の日常生活の中から、またそれを分かち合う本気の、心開いた集いの中からこそ生まれているのを忘れてはいけません。

 私たちの間で時々交わされた言葉に『「信仰と光」は、足抜けしたいのにできないどこかの組織みたいなところがある。』『意見も気も合わないと思っていた人々がいつの間にか兄弟や家族にさえ感じる』」『自分から望んでやってきた人は意外に少ない。でもなぜかずっとここに居る。』『僕らの仲間(知的に障害を負った友)がいない社会では生きられない』『結局神様から呼ばれたからとしか言いようがない。これが召命ということなのかなあ。』というのがあります。さまざまなきっかけで人々は『信仰と光』に所属しますが、去らずに残っている人々の多くに、確固たる「自分]の計画を持っていなかったという共通点があるように思えます。心の奥の方で呼ばれていて、呼ぶ声を無視できない、裏切れない、捨て去れないでここにいるというのが、私たちの絆の基にあるような気がしています。ああ、また『信仰と光』の集いがある!どうしよう?と言いつつ、なぜかスケジュールを開けてしまう私たちです。

最後に、ジャン・バニエの著書から引用させていただきます。

理想的な共同体は存在しない。共同体は、人々の豊かさと同時に弱さ、貧しさから成り、互いに受け入れ、ゆるし合う人々によって成り立つ。完全さ、献身よりも謙遜と信頼が共同生活の基なのである。」 (共同体ゆるしと祭りの場  伊従信子訳 女子パウロ会)
 
                                  文責;濱本緑