2008年5月19日 (月)

CROWNⅡ optional reading

クラウンⅡ optional lesson

The Sound of Silence?

名前に何があるというのです?私たちが薔薇と呼ぶあの物は、たとえ他の名で呼ぼうとも変わらず甘く香るでしょうに。

単語とそれが言及する物には自然な関係があるのだろうか?英語の話し手はウマを‘horse’と呼ぶが、それは正しく聞こえるからである。しかし日本語の話し手にとってはその動物は‘uma’である。ドイツ語では‘Pferd’、イタリア語では‘cavallo’である。その言語の話し手にとってはすべてが“正しい”名前である。ある言語学者によれば、世界には6,000を超す言語がある。これはつまり、ウマを表す6,000以上の異なった、それでいて正しい名前があるということである!けれども、もし“正しい”という言葉を、単語とそれが言及する物の自然な関係として定義するのであれば、これはばかげている。

有名なスイス人言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールはずっと前に音と意味には何ら自然な関係はないと結論付けた。それにもかかわらず、この一般的な規則には面白い例外がある。いくつかの単語の音は実際にその単語が表すもの物を示す。“オノマトペ”と“音象徴”を見てみよう。

***

日本語のオノマトペの表現には擬音語、擬態語、擬情語がある。擬音語はニャーニャー、ワンワンなど自然界の音をまねる。擬態語はニコニコ、ニヤニヤなど外界の状態を示唆する。擬情語はイソイソ、イライラ、ソワソワなど心理状況を表現する。日本人はそうした表現を豊富に使うが、こうした例には音と意味に自然な関係がありそうである。

英国人は日本人ほどオノマトペを利用しない。けれどアメリカの漫画を読むと‘AAARGH!’…‘KABOOOM’などの単語を見かけるだろう。ここにあるのがその他の例である。‘honk’…‘baa’。

要するに、オノマトペの表現はソシュールの理論に矛盾するように見えるということである。

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音と意味が結びついているかもしれないもう一つの方法の例は音象徴で、それはある特定の音が一つの意味と結びついている。‘mal’と‘mil’という意味のない単語を使って実験が行われた。被験者はこれらの単語はサイズの異なるテーブルを言及すると言われた。彼らは二つの単語を小さいほうか大きいほうのテーブルのどちらかと結びつけて欲しいと頼まれた。少し時間を取って君自身も考えてみて欲しい。結果は‘mal’が大きいテーブル、‘mil’が小さいテーブルに結び付けられる傾向があることを示した。なぜか?母音がサイズの違いに関連しているようである。実際、ある言語学者は母音の“サイズ”が[o][u][a][e][i]の順に小さくなっていくと主張した。たとえば、[a]音を持つ‘large’という単語は実際に大きいサイズを意味し、一方、[i]音を持つ‘little’は小さいサイズを意味する。子供が小ささを表現するのに使う‘itsy-bitsy’‘teeny-weeny’もまた[i]音を持っていることに注目するのも面白い。

ここで今述べた規則は、日本語の‘chiisai’‘ookii’、フランス語の‘petit’‘grand’、ギリシャ語の‘micro-’‘macro-’という反対のものの説明にもなっている。けれど例外もある。お気づきのように、‘big’という単語は小ささを指し示さないのに[i]音を持っており、‘small’という単語は大きいサイズを指し示さないのに[o]音を持っている。

[gl]という音の連続は光と視覚に結びついているかもしれない。これは特に、‘gleam’‘glare’‘glitter’‘glimmer’‘glisten’などの単語を持つ英語に当てはまる。月光は水面で‘gleam’(する)かもしれない。太陽の‘glare’は目を傷つけるかもしれない。ダイアモンドはろうそくの‘glimmer’で‘glitter’するかもしれない。彼女の目は涙で‘glisten’するかもしれない。日本語では、音声的に[gl]音にきわめて近くて類似した意味を持つ‘gira-gira’というのがある。

音はまた形とも結びついているかもしれない。ある心理学者は人々が音と形を結びつけるかどうか確かめるため実験を行った。彼は被験者に下の絵を見てそれらの形と‘maluma’と‘takete’という二つの意味のない単語を組み合わせるよう頼んだ。

被験者の大多数は‘maluma’が曲線状の形に対応し、‘takete’が角張った形に対応すると考えた。他の言語の話し手にも類似した実験を行ってきたが、結果は同じだった。

***

音と意味の関係を見ると、音は私たちに訴えかける力を持っている気がする。広告のキャッチフレーズがしばしばオノマトペを利用するのはおそらくこのためである。たとえば次のフレーズを見て欲しい。“Clunk click, every trip”。このフレーズは英国で交通安全のキャンペーンに使われたもので、車のドアをバンと閉めた後はシートベルトをカチンと締めようという意味である。

文学では、詩人は言葉の意味に感情を付け加えるためしばしば音象徴を使う。芭蕉は静寂の音を喚起するため[s][?]の音を繰り返し使う。

静かさや

岩にしみ入る

蝉の声

ドナルド・キーンによる英訳も静けさを表現するために[s]音を使っていることに注意して欲しい。

ソシュールが音と意味とに自然な関係がないと言うのはおおむね正しい。けれども今見てきたように、オノマトペと音象徴の例は彼の理論の重要な例外である。見たり聞いたり感じたりしたことを話す際に、私たちはしばしば意味をほのめかす音を持つ単語を選ぶ。言葉を使うときはおそらく、私たちはみな詩人である。/

2008年5月18日 (日)

CROWNⅡ Reading2

クラウンⅡ reading2

Hearts and Hands

デンバーで大勢の旅行者が東に向かう急行列車に乗り込んできた。車両の一つにきれいな服を着た若くてとてもかわいい女の子が座っていた。彼女は裕福らしい物腰をしていて、旅慣れた旅行者であるように見えた。たった今乗り込んできた乗客の中に二人の男がいた。一人は若くてハンサムでいい服を着た、強い個性の持ち主と見えた。もう一人はもう少し年配で、悲しそうな顔つきとがっちりした体型をしていて、かなりみすぼらしい服を着ていた。二人は互いに手錠でつながれていた。

二人が車両を通り抜けてみると、残されていた席はあの若くてかわいい女の子の向かいだけだった。二人はそこに座った。若い女の子は一瞬、何気ない様子で彼らのほうを見た。すると彼女の顔が愛らしい笑顔でぱっと輝いた。彼女は小さな手を差し出した。その張りのある甘い声から、話しをするとき相手が自分に注意を向けることを期待しているのは明らかだった。

「あの、イーストンさん。私にどうしても先にしゃべらせたいならそうしなくてはならないかしら。あなたは西部で昔の友達に会ったら思い出せないの?」

若い方の男は彼女の声に驚いて顔を上げた。最初のうち彼は誰かが自分を知っていることに不安を覚えたようだったが、左手で彼女の手を取った。

「フェアチャイルドさん。」彼は微笑んで言った。「左手でごめん。あの、今、右手がふさがっていて。」

彼は右手を少し持ち上げて見せた。右手はもう一人の男の左手と光る手錠でつながれていた。若い女性の目に浮かぶうれしそうな様子が徐々に不信と恐怖に変わった。彼女はぽかんとしてしゃべれなかった。イーストンは少し笑って何か言おうとした。けれどちょうどそのときもう一人の男が彼を制した。悲しそうな顔をした男はさっきから女の子の顔を注意深く見つめていた。

「割り込んですまんが、あなたはこの保安官とお知り合いのようですね。刑務所に着いたら私を弁護をしてくれるようこの保安官に頼んでくれませんかね。そしたらいろいろと楽になるかもしれないので。私は彼にレブンワースに連行されるところなんですよ。通貨偽造で懲役7年でしてね。」

「まあ。」女の子は言った。顔色が戻ってきた。「ここまで来てそういう仕事をしていたのね。保安官だなんて!」

「フェアチャイルドさん。」イーストンが言った。「何かをしなくてはならなかった。お金を貯めておくっていうのは難しいこともあって、ワシントンで仲間に遅れずにやっていくにはお金が必要なんだよ。西部でこの仕事の空きを見つけてさ、まあ、保安官は外交官みたいに地位は高くはないんだけど、でも…」

「あの外交官なら。」女の子がやさしく言った。「もう連絡してこないわ。そんな必要も全然なかったのよ。それはあなたが知っているでしょう。今、あなたは西部の有名な保安官になっていて、馬にまたがって銃を撃ってありとあらゆる危険に飛び込んでいるの。ワシントンの生活とは別物ね。昔の仲間たちもあなたがいなくて寂しがっているわ。」

女の子の視線がまた興味深げに光る手錠へと注がれた。

「これのことなら心配いりません。」もう一人の男が言った。「保安官はみな犯人を逃がさないよう手錠をかけるんですよ。イーストンさんは自分の仕事を知っておられる。」

「また近いうちにワシントンで会えないかしら?」女の子が聞いた。

「すぐには無理だと思う。」イーストンが言った。「遊んでいられる時代はもう終わってしまったようだ。」

「西部は大好き。」窓の外を見ながら女の子が言った。彼女の目は優しく輝いていた。あの東部の富裕層の物腰もなく彼女は素直に無邪気に話し始めた。「私、ママとデンバーで夏を過ごしたの。ママはお父さんが病気だからって一週間前に家に帰っちゃった。私は西部で幸せに暮らしていけるんじゃないかな。ここの空気は私に合っていると思うの。お金がすべてじゃない。でも人はいつも勘違いしてずっと愚かなまま…」

「ねえ、マーシャルさん。」悲しそうな顔をした男が言った。「こんなのありですかね。私はのどが渇いたし今日はまだ全然たばこ吸ってない。もう十分話したでしょ。私を喫煙車まで連れて行って下さいよ。たばこが吸いたくてしょうがない。」

二人の繋がった旅行者は立ち上がった。イーストンは相変わらず微笑んでいた。

「彼がたばこ吸いたいと言ったらダメとは言えないな。」彼が言った。「たばこが彼のほとんど唯一の友達だからね。じゃあね、フェアチャイルドさん。これも外せない仕事なんだよ。」彼は別れを告げるために手を差し伸べた。

「あなたが東部に行かないなんてとても残念だわ。」彼女が言った。その声はいつもの話し方に戻っていた。「でもレブンワースまで行かなくてはいけないのよね。」

「ああ。」イーストンが言った。「僕はレブンワースまで行かなくてはいけない。」

二人の男は喫煙車に向かって車両を通っていった。

近くの席に座っていた他の二人の乗客が会話をほとんどを聞いていた。そのうちの一人が言った。「あの保安官はいい男だな。西部にはああいうできた奴もいる。」

「保安官にしちゃずいぶん若くないか?」もう一人が聞いた。「若い?」最初の男が言った。「何で…、そうか、分かってないんだな。あれだ、君は保安官が手錠で犯人を自分の右手につなぐのなんて見たことがあるか?」/

CROWNⅡ lesson10

クラウンⅡ lesson10

Don’t Count Me Out  ─僕を仲間はずれにするな─

難題が人生を面白くし、その克服が人生を有意義にする

君たちが今まで走った一番長いレースは何だろうか?5キロマラソン?10キロマラソン?フルマラソン?トライアスロンに挑戦したことはあるだろうか?2.4マイルのスイム、112マイルのバイク、その次に26.2マイルのフルマラソンを走るアイアンマンレースはどうだろうか?

リック・ホイトはこれらすべてのレースに何度も参加してきた。そんな驚くほどでもないって?ちなみにリック・ホイトは重い障害を持っている。歩くことも話をすることもできない。どうやって彼はレースに参加するのか?“チーム・ホイト”について読んで欲しい。

ディック・ホイトとリック・ホイトは一緒にほとんど絶え間なくマラソンに参加しているマサチューセッツの父子チームである。もし彼らがマラソンに出ていないなら、彼らはトライアスロンに出ている。彼らはアイアンマンレースを6回完走しさえした。かつて一緒に47日間でアメリカを横断して3,735マイルを旅した。これは素晴らしい記録だ。リックが歩いたり話したりできないことを考慮すればなおさらである。過去25年以上、アメリカ中を、そして数百のゴールラインを切って、ディックは息子を押したり引いたりしてきた。ディックが走っているときは、リックはディックの押す車いすの中にいる。ディックがバイクに乗っているときは、リックはバイクの前方に取り付けられた車いすのシートに乗っている。ディックが泳いでいるときは、リックはディックの引く小さなボートの中にいる。

1962年にリックが生まれたとき、ディックと妻のジュディはこの子が成長する見込みがないと告げられた。「彼が生まれてからずっと仲間はずれの繰り返しでした。」ディックは言った。「彼が生後8ヶ月のとき、医師に彼を施設に預けたほうがいいと告げられました。彼は一生、植物状態だろうと言うのです。」

夫婦は息子をできるだけ普通に育てる決心をして家に連れて帰った。リックには二人の弟がいたが、ホイト夫婦はリックが弟たちとまったく同じくらい聡明だと確信した。ディックは地元の学校が息子を拒否したことを覚えている。「息子が話せなかったため、彼らは息子が理解できるようにはならないだろうと考えたのですが、それは間違いでした。」

1975年、リックはようやく公立学校への入学を認められた。二年後、彼は父親に5マイルマラソンに参加したいと話した。ランナーではなかったけれども、ディックはリックを車いすに乗せて押すことに同意した。彼らは最後から二番目でゴールしたが、彼らは勝利を勝ち取ったと感じた。「その日の夜、」ディックは思い出す。「リックが私たちに、レースをしているときは障害者じゃなかったみたいだと話しました。」チーム・ホイトはますます多くの大会に参加し始めた。

「レース中は自分が障害者だと感じないのです。僕は他の選手と同様だし、選手のほとんども同じように感じていると思います。初めは誰も僕に近寄っては来ませんでした。ですが、いくつかレースを終えて、選手たちがぶらりとやって来て僕に話しかけるようになりました。今では多くの選手がレース前に健闘を祈りに僕のところに来てくれます。」

チーム・ホイトは当初は妨害にあったが、彼らが1981年のボストンマラソンに参加して全参加者中上位4分の1以内でゴールしてから一般の人々の態度が変わったようだった。

1985年、チーム・ホイトは初めてトライアスロンに挑んだ。そしてこのためにディックは45歳にして水泳を習得しなければならなかった。「最初は怖くて石みたいに沈んだことを覚えている。」ディックは笑って思い出す。「それに僕は六歳のとき以来バイクには乗っていなかった。」リックを前に乗せて運ぶのに適したように改造したバイクと、泳ぐときにディックの腰に結びつけられるボートを使い、ホイト父子は大会で最後から二番目に入った。

彼らはもうほとんど30年間競争してきた。20056月現在、彼らは206のトライアスロンと64のフルマラソンを終えてきた。個人記録はマラソンの2時間4047秒と10キロマラソンの3548秒という信じられないものだ。「リックはスポーツと競争を愛するそのやり方で、私を鼓舞し刺激する人間なんだ。」ディックが言った。

今では、ホイト父子には、自分たちの努力が肉体的・精神的障害を持つ人々に対する一般の人々の態度に影響を与えたことが分かる。「たいしたことです。」ディックは言った。「人々は教えられる必要があります。」リックは他の多くの家族が社会の一員として認められようと障害に向き合うのを助けている。

競技での成功はさておき、リック自身が成し遂げたことに、高校からボストン大学に進学し、そこで特殊教育の学位を取得して1993年に卒業したことが挙げられる。リックは現在、ボストン大学のコンピュータ研究所で働いている。彼は電動車いすのような機械の開発を助けているが、それは体が麻痺している人の目の動きによって操縦できるものである。

リックは自分の知名度と父の献身が世界をもっと寛容な場所にするのに役立てると確信している。

リックはタイプする。“チーム・ホイトのメッセージは、誰もがみんなと共に日常生活を送るべきだということ”/

CROWNⅡ lesson9

クラウンⅡ lesson9

Why Symmetry?  ─なぜシンメトリー?─

虎よ、虎よ。ぬばたまの夜の森に燦爛と燃え。

そも、いかなる不死の手、はたは眼の作りしや、

汝がゆゆしき均斉を。

もしかしたら他の惑星にも生物は存在するかもしれない。ジュンの学校の科学部では、他の惑星の生物は、もしいたらどんな姿をしているか話し合ってきた。手や足や顔はあるだろうか。ジュンは調べることにした。彼は次のようなことを知った。

宇宙には何十億もの銀河があり、それぞれの銀河に何十億もの星があるので、宇宙のどこかに生物が存在するかもしれない。けれどもこの太陽系にさえ、他に生物が存在するのかどうか本当は誰もよく知らない。火星に生物が存在するかどうかさえ知らない。もし他の惑星で生物の形をしたものが進化していたとしたら、彼らは私たちが知っているような生物と共通するいくつかの特徴を持っているだろうか。

確かなことは分からないが、少なくとも推測することはできる。地球では、生物は球対称から始まり、その後、二つの方向に進んだ。円錐対称を持つ植物世界と左右対称を持つ動物世界にである。どんな惑星でも生物は似たようなパターンをたどるだろうと考えるもっともな理由がある。海に浮かぶ原始的な単細胞生物は当然ながら球形を呈するだろう。しかしひとたび海底か陸地に落ち着くと上下の違いが生じる。植物の根端は頂端とは明らかに違う。けれども、海中や大気中には前後や左右の違いを生じさせるものは何もない。植物の形がたいてい円錐対称を持つのはこの理由からである。

動物の形はどうだろうか?イソギンチャクを考えて欲しい。彼らは何かにくっついていて、自力で動き回ることはできない。彼らは通常、円錐対称を持っている。クラゲのようなゆっくり動く動物も円錐対称を持っている。これらの動物は海中を漂うか海底にいるかしており、えさも危険も全方角から等しく向かってくる。だがある種がすばやく動き回る能力を得るとすぐに、その動物には前後の違いが生じてくる。海中では、すばやく動き回る能力を持った動物はえさを探す際に非常に有利である。魚は後ろではなく前に口を持っている方が効率がいい。目も口に近い先端にあった方が効率がいい。もし目が後ろについていたら、魚は自分がどっちに進んでいるか分からないだろう。ようするに、進化の過程で水中を泳ぐことが結果的に動物の前後の違いを生じさせたのである。

同時に、重力は動物の上下の違いも引き起こしていた。左右はどうだろうか?海中では右と左の違いを重要にするものが何もないことにすぐ気付くだろう。魚は前後の違いに遭遇する。一方は進む方向で、もう一方は来た方向だからである。魚はまた上下の違いにも遭遇する。上へと泳げば海面に達し、下へと泳げば海底に達する。しかし左右のいずれかに方向転換してどんな違いに遭遇するだろうか?何の違いにも遭遇しない。左に曲がれば海があるだろが、それは右に曲がった場合とまったく同じような海である。水平に下方向にのみ作用する重力のような力は存在しない。ひれや目といったパーツが左右で等しく発達する傾向があるのはこうした理由からである。

生物の形についてさらに踏み込んで推測することは可能だろうか?もし他の惑星に動物がいたら、彼らは地球の動物と何か共通点があるだろうか?答えはイエスである。魚は他の惑星の未知なる海で泳ぐなら尾ひれを使って動き回るだろう。鳥は他の惑星の大気中を飛ぶなら羽を使って移動するだろう。地上で、動物は足を使って動き回るだろう。これより簡単な方法があるだろうか?車輪を思い浮かべるかもしれないが、車輪が進化するのは難しいだろう。

もし他の惑星の生物が地球の人間が持つような知能を進化させたら、少なくともいくつか人間に似た特徴を持つだろう。目、耳、鼻が顔らしきものを形成するもっともな理由がある。指が腕の先端にあると明らかに有利である。保護のため、脳は硬いケースに入っていて、できるだけ地面から離れている必要がある。

他の惑星の海や陸、空で奇妙な姿をした生物が暮らしている可能性がある。けれども、私たちが動物だと分からないほど奇妙だということはなさそうである。それはひとえに彼らの体が左右対称を持っているからである。/

CROWNⅡ lesson8

クラウンⅡ lesson8

Zero Landmines  ─ゼロの地雷─

手段の完璧さと目的の混迷が今の時代を特徴付けているようだ

アメリカのトーク番組の司会者のロケッツ・レッドグレアは日本人音楽家の坂本龍一氏と話しをしているが、彼は『ZERO LANDMINE』というCDを制作した。

(アメリカの風景の遠距離ショット。子供の声が聞こえる。)

「僕はお母さんとおばさんの家に行きました。道沿いの農場を通り過ぎたとき、クモの巣に触れたかなと思ったんです。地雷が爆発しました。お母さんも僕もひどいけがをしました。ずっと助けが来ませんでした。夜が明けてそしてやっと朝になって僕たちはここに運ばれてきました。」

Redglare:地雷です!世界中、70を超す国々にこうした恐ろしい兵器が12000万個もあるかもしれません。これらの地雷のほとんどは地面の下にあって踏むと爆発します。しかし地雷には目や耳がありません。兵士と、子供やおばあさんやウシ、あるいはゾウとの区別ができません。どんな物でも触れると爆発します。地雷は非常に長い間、50年、あるいはもしかしたら100年間も作動したままです。

地雷を除去しようとする運動は1990年代に始まったと言われています。地雷処理活動は始まっていますが、どこの政府も機関も単独でこんな多くの地雷を処理するのはどうしても無理です。みんなで助けなくてはいけません。

R:地雷除去に力を尽くしている一人が坂本龍一です。彼は『ZERO LANDMINE』というCDを制作しました。(坂本の方を向いて)あなたが地雷の問題に関心を寄せるようになったのはいつですか?

Sakamoto:みんなと同じくこの問題のことを聞いたことはありましたが、本当に僕を考えさせたのはクリス・ムーンの番組でした。アフリカで地雷に手足を奪われたのでくじけてもおかしくなかったのに、彼は絶対あきらめませんでした。彼は義手と義足を手に入れ歩き出し、ついに走り始めました。しまいにはフルマラソンを走ることができました。何より驚いたことにクリスは1998年の長野の冬季オリンピックの聖火ランナーに選ばれましたよね。
(クリス・ムーン氏が走っているビデオクリップに変わる。ムーンの声が聞こえる。)

Moon:地雷は邪悪です。地雷は戦闘が終わってからもずっと地中で作動したままで、兵士の一歩と子供の一歩の違いを見分けられません。地雷で傷ついた人々の多くはじわじわと死んでいきます。生き延びた人々もしばしば惨めで貧しくて差別の人生を送ります。

S:クリスとモザンビークに、しかも彼が手足を失ったまさにその場所に行くことになるとは思ってもみませんでした。クリスを通じて、僕は地雷が“平和を知らない”ものだということ、そしていかに人の命を傷つけうるかということを知りました。

R:地雷の問題をあなたの音楽にどう結びつけましたか?
S
:最初に人々が地雷で死んだり傷ついたりしている国々の地図を見ました。韓国とかカンボジアとかボスニアとかアンゴラとかモザンビークとか。こういう国々で聞かれる音楽に興味を持ちました。ネットを調べました。本を読みました。それをどうやってひとまとめにして音楽に表現するかで本当に悩みました。当然ですが、どんなに真剣であってもその文化の固有の特徴を殺したらまずいんですよ。でも参加したミュージシャンの多くは、地雷の除去が“問題は暴力で解決できる”という古い考えを終わらせる第一歩だと信じていましたね。

R:たしかCDの売上は地雷除去のキャンペーンにあてられていると聞きましたが。

S:そうです。僕たちも本当にたくさんの人々に支えられているのです。
(長有紀枝氏のビデオクリップに変わる)

Osa:もしこれらの地雷を一つでも除去できれば、一つの命、あるいは一つの足を救うことができます。そしてきっと、運動が広まればずっと多くの命が救われるはずです。CD一枚一枚を売ったお金は命を救い、地雷原を田んぼや畑に戻すのに役立つのです。

(ジョディ・ウィリアムズ氏のビデオクリップに変わる)

Williams:平和宣言が出された後でも地雷は平和を認識しません。戦争は終わったのに地雷は殺し続けます。しかしここ10年で私たちは新しいやり方で始めてきたし、一緒に力を合わせて地雷のない世界を作り出したいと思います。このCDを買うことで、あなたも変化を求める声になれます。
R
:友達の贈り物にCD1ダースほど買ってあります。プロジェクトの成功を祈っています。

S:ありがとうございます。世界の子供たちは僕たちのどんな助けも必要なんです。

(中央ヨーロッパの遠距離ショット。子供の声が聞こえる。)

「僕はウシの世話をしていました。いつもは妹と手をつないでいました。妹は三歳です。ウシが急に走り出しました。ほんのちょっと妹を放したすきに地雷が爆発するのが聞こえました。妹は死にました。パニックに陥って妹にかけよったら僕も地雷に当たりました。音を聞いた人たちが助けに来てくれました。僕は生きています。」/

2008年5月15日 (木)

CROWNⅡ lesson7

クラウンⅡ lesson7

Wildness in a Bottle  ─ビンの中の原野─

原野に世界は保存されている

太郎は高校生で夏のあいだ英国を訪れている。自然環境に関心を持っていたので、彼はサセックスにあるミレニアムシードバンクを訪ねている。ガイドがプロジェクトについて話す。

皆さんの中でジュラシックパークという映画を見たことのある人は何人いますか?科学者が恐竜を生き返らせたら何が起きるかというわくわくする映画です。恐竜はずっと長いあいだ絶滅した状態にありますが、DNAを使うことによって生き返ります。DNAとは生物を作り上げるのに必要なすべてを含んだ情報を持った分子です。DNAがあればすでに絶滅した生物を作りだせると考える科学者もいます。しかし今まで絶滅した動物を生き返らせることができた人はいません。ジュラシックパークはSFです。

もし私が絶滅した生物を生き返らせることができるなんて言ったらどう思いますか?もしこれがSFではなく科学的事実だと言ったらどう思いますか?私を信じますか?

この植物を見てください。この植物は昔絶滅したのに生き返ったのだと信じますか?ええ、本当のことなのです。

1922年、英国の科学者が王家の谷でエジプト王の墓を発見しましたが、そこで彼は墓自体と同じくらい古い乾燥したエンドウを発見しました。人々は死んでいると考えたでしょうが、彼はそのエンドウの種子を使って新しい植物を育てることができました。このエンドウは今では英国やアメリカ、日本を含む世界中で植えられ栽培されています。ジュラシックパークのDNAと同様に、種子は生きている植物を作り上げるのに必要な情報を含んでいます。SFは現実となります。

今日君たちが訪れているミレニアムシードバンクは、英国中、世界中の種子を集めて貯蔵することによって、将来のために植物を保存しようとしています。種子は生物を作るのに必要な情報を含んでいるので、シードバンクを利用して絶滅危惧種を救うことができます。なぜ私たちはこのプロジェクトにこれほど努力をつぎ込んでいるのでしょうか?なぜ私たちは植物を守る必要があるのでしょうか?

最も重要なことは、植物は地球上の生命の基礎だということです。植物は数千の動物や鳥、数百万の昆虫を含む、ほとんどすべての形態の生命に食物を提供しています。かなりの植物が消滅してきたので、植物に依存する世界の他の生物も姿を消してしまったに違いないのです。

植物を失うことによる人間の損失はずっとひどいものになるでしょう。植物は食物や燃料、建築資材を提供します。植物は本当に多くの薬の供給源です。すでに薬の25パーセントは植物から来ています。けれどもその潜在的利益を得ようと研究されてきた植物は5分の1未満です。

植物がどれほど人間社会に利益をもたらしうるか知らないうちに、しばしば植物は失われてしまうということを心に留めておかなければいけません。

万が一、原野で一つの植物が絶滅するようなことがあっても、その種子がシードバンクに保存されていれば、永遠に失われるということはないでしょう。シードバンクは植物を保存するとても効率的な方法でもあります。種子は場所をほとんど取らないし手入れもほとんど必要ないからです。シードバンクには、一つの種につき何万もの種子を貯蔵することができます。一つの都市にいる人間と同じ数の種子をたった一本のビンに保存することだってできるのです!

シードバンクに貯蔵されている種子は将来環境を回復させたり、原野の絶滅危惧種の植物の個体数を増やしたりするために使われるかもしれません。

植物は、社会の、たとえば医療や農業、工業のためになる新しい方法を見つけるため、科学的研究に使われるかもしれません。

ある特定の種の多様性を保護することは、さまざまな種を保護することとまったく同じくらい重要だということを強調したいと思います。どの植物もそれ自身の特徴を持っていて、それが特定の環境下でその植物に有利に働きます。特定の種に多様性があればあるほど、ますますその種が生き残る可能性は高まります。

シードバンクは地球規模の植物の消滅と闘うのに役立ちます。熱帯地方の草、英国の野原や庭の植物、一度も人の手によって変えられたことがない野生植物など、世界中のあらゆる種の植物を一箇所に保管することができます。

私たちは世界の熱帯雨林や草原、湿地帯を守ろうとしてきましたが、国立公園でさえずっと安全だという保証はありません。シードバンクは自然環境に代わることはできませんが、保存技術に保険を提供することはできます。

最後になりますが、このシードバンクプロジェクトは世界の他の地域でも一層推進されるべきものであるということを申し上げておきたいと思います。/

2008年4月26日 (土)

CROWNⅡ lesson6

クラウンⅡ lesson6

Mysteries of the Mona Lisa  ─モナリザの謎─

As we acquire more knowledge, things do not become more comprehensive, but more mysterious.

知識を多く得るにつれ、物事は解明されるのではなく逆に謎めいてくる

彼女の顔は至る所に見かける。美術書の中だけでなく、はがきやTシャツ、広告の中にも。誰もがこの顔を知っている。私たちは彼女をモナリザと呼ぶ。

モナリザくらいありふれた絵となると、私たちは気にかけなくなる傾向がある。しかし彼女は一体誰なのか?なぜ彼女はこうも有名なのか?何かモナリザを取り巻く謎があるのだろうか?

Who is this lady?

500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチは一人の若い女性の肖像画を描いた。彼は彼女の身元をただ“フィレンツェのある貴婦人”とだけ記した。彼女を、裕福な商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻のリザだと特定した人もいる。

この絵の名声が高まるにつれ、人々は他の身元を推測し始めた。もっとも奇妙な仮説の一つが、1995年にベル研究所のコンピュータ専門家から出された。彼らはモナリザと、レオナルドが描いた通例自画像とされている老人の絵とを比較した。彼らは注目すべき類似点を発見した。コンピュータプログラムを使い、彼らはモナリザをこの老人へと変形させ、実はモナリザは自画像なのだと提唱した。けれどもこの老人が本当にレオナルドなのかどうか定かではない。証拠はこの絵が1500年より以前に描かれたことを示唆するが、その時レオナルドはまだ40代だった。それゆえ、たとえこの二枚の肖像画が同一人物だとしても、その人物が誰なのか確信を持てる人はいない。この問題は思ったより答えを出すのが難しそうだ。

Symbol of eternal femininity?

被写体が誰なのかということよりさらに興味深いのは、ルネサンス期に数多く描かれた肖像画の中でなぜこの一枚の肖像画がこうも有名になったのかという問題である。

フランス国王に売られたあと、300年近くのあいだベルサイユ宮殿にて公の場から隠されたままだった。フランス革命後、後にルーブル美術館となる場所に移された。人々は、以前は貴族だけが見ていた芸術品を見るようになった。その後まもなくして写真が生まれ、モナリザを世界へと連れ出した。

1867年、英国人作家ウォルター・ピーターはモナリザを永遠の女性として描き、人々はあの笑みの裏にはどんな意味があるのか不思議に思い始めた。ダヴィンチ・コードの作者もそうだったが、その中で彼は絵の中に秘密のシンボルが隠されていると主張する。

なぜ人々はこの絵の中に謎の意味を探すのだろうか?それがモナリザの本当の秘密の一つだ。

Why does the Mona Lisa seem mysterious?

ウォルター・ピーターがシンボルを探し始めるはるか以前、見物人はモナリザには何か奇妙なものがあると感じていた。彼女は生きているように見えるのだ。写真をみてもこの感覚は得られない。しかし実際の絵を見る人々は、それ以前の肖像画と違ってモナリザは生きているように見えるという不思議な感覚をしばしば抱いてその場を後にする。

15世紀の肖像画家は人間の顔と体つきを完璧に描くことができた。けれども、彼らの肖像画はしばしば現実の人間というよりは彫像のように見えた。その理由は背景から人物を分かつ輪郭があることだった。モナリザを見た人は誰でもレオナルドが何か違うことをしたと知った。

レオナルドの時代の画家は、レオナルドがどのようにして絵をまるで生き写しに描いたかという謎に対する答えを見つけようとこの絵を模写した。レオナルドはどんな異なることをしたのか?

An answer to the mystery

レオナルドは、背景から人物を分かつはっきりとした輪郭はないということを知っていた。彼は“soft”や“shaded”を意味するスフマートという絵の表現法を生み出し、被写体の顔と背景を混合させた。

彼はまた、私たちが人の表情を読み取ろうとするときは目の端と口の端に注意を払うことに気付いた。モナリザの目と口の端は次第に影になっている。ある時はモナリザは笑っているように見え、またある時はその顔は厳粛である。

モナリザの片側の地平線はもう片方の地平線より高くなっている。目を右から左、あるいは左から右に動かすと、女性の姿はやや背筋を伸ばして座っているか、あるいは若干前に屈んでいるように見える。

モナリザの顔は完全に左右対称というわけではない。口の左端は微笑んで持ち上がっているが、右側ははっきりとは笑っていない。彼女の表情は目を左から右に移すと彼女の表情は変化する。

こうした技法の結果、モナリザは彼女が生きているかのような印象を与える。彼女を見て、顔を背け、それから再び見ると、あなたは彼女が若干動いたか、あるいは表情を変えたように思う。

モナリザの謎は秘密のシンボルではない。おそらくその謎は、見物人を不安にさせ秘密のシンボル探しを引き起こす表現法にある。/

2008年4月25日 (金)

CROWNⅡ Reading1

クラウンⅡ Reading1

The Bike  ─自転車─

お父さんは僕に自転車を買いたがらなかった。子供はとても不注意だから怪我するんだといつもこぼしてばかりいた。僕はすごい注意しているよ、といつも言っていた。それから泣いた。それから家出してやると言った。ついにお父さんは算数のテストで10番以内に入ったら自転車を買ってやると言った。

それで昨日、僕はとても上機嫌で家に帰った。テストで10番だったから。お父さんはこれを聞くと驚いた顔をして「え、何だって!」と言い、お母さんは僕にハグして、お父さんはすぐに行って自転車を買ってきてくれるわよ、と言った。実際、僕は本当についていた。なにしろテストを受けたのはたったの11人だけで、クラスの残りのみんなは風邪で休んでいて、11番目はマシューだったんだけど、彼はどのみちいつも最下位なのだ。

今日家に帰ると、お母さんとお父さんが満面の笑みを浮かべて待っていた。

「ニコラス、びっくりするものがあるわよ!」お母さんが言い、お父さんは外に行って戻ってきたんだけど、何を持って来たと思う?自転車!僕はお母さんにかけよってハグし、お父さんにハグし、自転車にハグした。

「気を付けるって約束するな?」お父さんが言った。僕は約束し、お母さんがまた僕をハグし、おやつにチョコレートケーキを作ってあげると言って中に入っていった。

お父さんは僕と一緒に庭にいた。「俺が以前自転車のチャンピオンだったってこと知っていたか?」彼が聞いた。実のところ僕は知らなかった。サッカーとか水泳とかボクシングのチャンピオンだったということは知っていたが、自転車のほうは初耳だった。「ほら、見ていろよ。」お父さんはそう言って彼は僕の自転車に乗り、庭を走り始めた。もちろん自転車はお父さんには小さすぎて、ひざが顔のそばまできていて困ったことになっていたが、彼は何とか走った。

「今まで見たもっとも奇妙な光景の一つだ。」庭のフェンス越しに覗きながらビリングズさんが言った。ビリングズさんはご近所さんで彼とお父さんはいがみ合っていた。

「黙れ。」お父さんが言った。「自転車のイロハも知らんくせに!」

「は?俺がか?」ビリングズさんが言った。「俺は高校チャンピオンだぞ。もし妻に出会わなかったらプロに転向していただろう。」

「あんたがプロ?」お父さんが言った。「ろくすっぽ乗れやせんくせに!」

「見せてやる!」ビリングズさんは言ってフェンスを飛び越えてきた。「その自転車を貸してみろ。」ハンドルバーをつかみながら言ったが、お父さんは手を放さなかった。

「誰も誘っていないって、ビリングズさんよ。」お父さんが言った

「子供の前でかっこ悪い目に合わされるのが怖いんだろう?」ビリングズさんが言った。

「黙れ!」お父さんは言うと、ビリングズさんの手から奪うとまた庭を走り回り始めた。

僕はお父さんの後を追いかけて、自転車に乗っていいか聞いた。でもビリングズさんがお父さんを見ながら大笑いするのでお父さんは聞いていなくて、花に倒れこんだ。「何でそんなバカみたいに笑うんだ?」お父さんが言った。

「笑いたいから笑っているんだ。」ビリングさんは言った。

「気でも違ったか!」お父さんが言った。

ビリングズさんが言った。「考えがある。ブロックの周りを競争してどっちが速いか確かめよう!」

「絶対イヤだね。」お父さんが言った。

「怖気づいたか?」ビリングズさんが言った。

「怖気づいた?俺が?」お父さんが言った。「見せてやる!」そしてお父さんは自転車を引いて道路へと出て行った。僕はもういい加減うんざりし始めていた。僕は自分の新しい自転車にまだ一回も乗っていないのだ!

「いいだろう。」お父さんが言った。一人ひとりブロックを周って時間を計って、勝ったほうがチャンピオンだ。俺に言わせれば形だけのものだ。勝者はすでに分かりきっている。」

「負けを認めてくれるなんてうれしいね。」ビリングズさんが言った。

「僕はどうすれば?」僕は聞いた。

「お前か?」お父さんが言った。「お前は、そうだな、タイムを計っておれ。ビリングズさんが時計を貸してくれるから。」しかしビリングさんは子供はいつもものを壊してばかりいるといって僕に時計を貸したがらなかった。それでお父さんはなんてせこいやつだと言って自分の時計を僕に持たせた。

ビリングズさんが第一走者だった。彼は実はかなり太めだったので自転車がほとんど見えなかった。彼はあまり速くもなく、コーナーを曲がると姿が見えなくなった。彼が戻ってくるのを見たとき、彼は顔を真っ赤にして舌をだらりと垂らし、ジグザグに走っていた。

「さあ、どれくらいだ?」彼が聞いた。

9分とそれから秒針が56の間。」僕は言った。お父さんは大笑いした。

「これじゃ、」彼が言った。「ツールドフランスを走るのにまる半年かかるな!」

「つまらん冗談言ってないでせいぜいがんばったらどうだ?」ビリングズさんが言ったが、彼は息が苦しそうだった。お父さんが自転車に乗ってスタートした。

僕たちは待った。僕は時計を見ていた。お父さんには勝ってほしかったけれど、時計の針は回り続け、9分経ちもう少しで10分だった。「勝った。俺がチャンピオンだ。」ビリングズさんが叫んだ。」

15分後、まだお父さんが戻ってくる様子はなかった。

「変だ。」ビリングズさんが言った。「どうやら何が起こったのか見に行くべきだな。」そのときお父さんがやって来るのが見えた。歩いて。

ズボンは破れ、ハンカチを鼻に当て、もう片方の手で自転車を運んでいた。ハンドルバーはぐにゃりと曲がり、車輪はねじれ、ランプは壊れていた。

「ゴミ箱にぶつかった。」お父さんが言った。

翌日、マシューにそのことを話していていると、彼も自分の最初の自転車に関してもほとんど同じことが起こったと話した。

「お父さんなんて。どこでも同じだね。」マシューは言った。「みんなとても不注意で、気を付けてないと人の自転車をこわして怪我をするんだから。」/