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【まち語りもの語り】離島の病院 宮城・網地島 最高の医療で恩返し (2/3ページ)
真っ暗な海の上。横波がぶつかるたびに船と輸液ポンプを支える安田が大きく揺れる。しかし千代子に恐怖はなかった。「大丈夫、今夜も安田先生が付いている」。間もなく、対岸の港の明かりが彼女の顔を照らした。
待機していた救急車に乗り込み、午前0時ごろ同市内の病院に到着。夫は一命を取り留め、2週間後に島へ戻ることができた。
「この年になっても夫婦で島に住めるなんて、夢のような話です」
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網小医院は平成11年9月に開業した。栃木県で「とちの木病院」を運営する早乙女勇(60)が、廃校が決まった旧網長小学校の校舎を改装して設立した。19床の入院施設や手術室のほか、CT室も備える本格的な病院だ。名称は、島の人たちに親しまれていた旧網長小学校の愛称「網小」から付けられた。
早乙女はこの少し前、豊かな海の幸とリアス式の絶景に恵まれたこの島に魅了され、とちの木病院の保養所を島に造っていた。同時に、中学に上がって以来の不登校が続いていた次男を立ち直らせようと、妻と一緒に次男を島に住まわせていた。島の自然や人々に支えられて次男は立ち直り、その春には中学を卒業できるまでに回復した。
島に恩返しがしたい−。そんな早乙女に、世話になった旧牡鹿町教育委員会の当時の教育長が「小学校の校舎を活用させたい。いい案はないか」と相談を持ちかけた。校舎を眺めた早乙女は思いついた。「小学校は病院に似ている。病院を造ったらどうだろう」
旧牡鹿町からは、年2000万円の補助金を受けられることが決まった。院長には、とちの木病院に勤務した後、ネパールで医療ボランティアに従事していた安田を迎えた。「島の人に最高の医療を提供したい」と、早乙女は赤字覚悟で高度な医療機器を導入し、ほかの離島には例を見ない充実した病院が完成した。