【コラム】世界最古とされてきた「無垢陀羅尼経」の真実
1024年に記録された「釈迦(しゃか)塔・重修記(修復記録)」に「無垢浄光大陀羅尼経を収めた」との記述があることを知ったのは、半月ほど前のことだ。その話はある文化財に関する専門家から知らされた。その専門家は「残念なことだが、事実は事実として明らかにするしかないだろう」と語った。
何日か悩んだ揚げ句、小学校の教科書で習った「ペンの力」という話を思い返しながら、取材を開始した。その話とは、第1次世界大戦下の英国で、新聞社の中で唯一「デーリーメール」紙だけが、「戦況は英国に不利だ」という事実を何度も報道したという逸話だ。これには「敵を利するもの」という非難が殺到した。だが前線から帰還した負傷兵を通じて「実際の戦況」が明らかになり、英国政府は兵器改善などを急ぎ、その結果連合軍は勝利した。戦争が終わった後、ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は「わたしはデーリー・メールという新聞のせいで負けた」と語った。
今回の報道に対する反応は予想通りだった。インターネットでも非難する声のほうが多かった。中央博物館の関係者も、困惑を隠せないでいる。大統領府広報主席室からは「なぜ朝鮮日報だけに資料を提供したのか」とし、経緯を書面で説明するよう指示があったという。
中央博物館が9日に発表した報道資料には、無垢浄光大陀羅尼経の製作時期に関して何の言及もなかった。ただ「1024年に釈迦塔を修復した際、無垢浄光大陀羅尼経を安置したことを重修記から確認した」とだけ記されていた。
一部のメディアは「重修記をきちんと解読すれば、無垢浄光大陀羅尼経は釈迦塔を建立した際(西暦751年)に安置され、その後高麗時代に補修工事を行った際に入れ直したことがわかる」と報道した。しかし1966年に釈迦塔仏舎利蔵置が発見された時の状況をよく知っている専門家たちは「説得力のない話」と一蹴(いっしゅう)した。
釈迦塔からは無垢浄光大陀羅尼経だけでなく、仏舎利を収めた舎利瓶や銀製の内箱・外箱、金銅製の舎利箱など、新羅時代に収められたことが明らかな「舎利蔵置の重要部分」が発見された。しかし舎利や「随錦台」など釈迦塔の中に収められた遺物の目録を詳細に記した重修記には、こうした「舎利蔵置の重要部分」に関する記述がない。そのため、重修記に記録された収蔵品は釈迦塔を補修した高麗時代に収められたと見るべきだろう。
現時点でもっともよく情況を把握している中央博物館が、公式資料の中で無垢浄光大陀羅尼経の製作時期に全く言及できないでいるのも、こうした理由があるからだ。中央博物館は、釈迦塔重修記はもちろん、釈迦塔重修記と一緒に発見された別の釈迦塔の修復記録である「形止記」(1038年)など、釈迦塔から発見された約110片に及ぶ「墨書紙片」もまだ全面的には公開していない。公開されたのは30余片に破れた「重修記」の中の2片にとどまっている、
中央博物館の苦しい立場を理解できないわけではないが、だからといっていつまでも「パンドラの箱」を閉めておくわけにもいかない。今からでも専門家らにすべての資料を公開し、共同研究を行うべきではないのか。「結果的に歪曲(わいきょく)された可能性のある神話」ではなく、「事実」を知らせるのが道理だ。もちろん共同研究を通じ、無垢浄光大陀羅尼経が新羅時代に製作されたものだと判明すれば、それはそれですばらしいことだ。
慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者(文化部)
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