アルバイト情報誌で有名な「an」シリーズ「学生援護会」の醜聞(1)

 井上美悠紀会長の女遊び


「金鳥」社長の<「絶倫・乱交・買春」の現場>という『フライデー』(1999年9月17日号)“現場写真”を載せた理由を説明しなければなるまい。

「(株)学生援護会」現会長井上美悠紀の実兄美旭弥が昭和42年、初代社長として“貸間斡旋業”を始めたが経営が苦しく美旭弥の実妹の井上陽子を中心に再建し、陽子が死去した昭和56年から陽子の実弟である美悠紀が3代目社長になった。
 この美悠紀が昭和45年ごろの関西支社長時代に広告代理店社長や作家のS・Mらと夜ごと大阪北新地のクラブ「桔梗屋」に通っていたのが「金鳥」を天下に知らしめた「大日本除虫菊(株)」会長上山英介(当時は専務)で、言ってみれば飲み仲間だった。

 この『フライデー』の写真は、上山が20歳前後の女子大生らとホテルで8Pを行っていたといい、1人に10万円ずつ払ったという、まさに大名遊びをスッパ抜いたもの。「上山さんと会えば1人3万円。エッチまですると10万円がもらえる」とのコメントまである。

 笑ってしまうのは上山のコメントで「私は若くないし、タダでは来てくれません」というもので、反面カワイソー。当時「学生援護会」が発行していた『アルバイトニュース』は、国鉄、地下鉄などで販売するようになり、前年は3000部だった発行部数は1万3000部と急激なのびをみせた。したがって、この時期に美悠紀はクラブホステスを愛人として53年夏に上京させ杉並区 に住まわせるが、その後兵庫県内に家を買い与えて2人の女の子を生ませている。


井上会長の大阪時代のH仲間だった「キンチョール」の上山英介会長の"ワルノリ"(『フライデー』より)『an』、『DODA』、『Salida』などを発行する

井上美悠紀会長

井上が"愛人"に住居を「贈与」したことを示す謄本

 こうして美悠紀が大阪で夜遊びしたころは、大阪城の天守閣の見える天満橋近くの高級マンションに住む当時22歳のホステスをめぐっての酬聞は「金鳥」の上山の乱脈ぶりとともに目をおおうばかり。当時一緒に遊んだS・Mの話によると、そのホステスに美悠紀は200万円を渡し、その前にも250万円を振り込んでいたという。

 ホステスは「井上さんにひどいことを言われたから200万円を返したかった」とか、JCの関係の歯医者にかかったホステスには、この飲み仲間で治療費を数百万円も払ってやり、気がついたらホステスはハワイに逃げていた、とかもうメチャクチャ。

 当時は国鉄の販売店である鉄道弘済会に切られたら大打撃となることから、安倍晋太郎、藤本孝夫、春日一幸、栗原祐幸、川村勝、塚本三郎などと親密で、「ANトレーディング」というダミー会社を政界の裏金づくりの拠点にした。もちろん美悠紀は広域暴力団とも関係は深いといわれている。


井上美悠紀から200万をもらった中国人女性

六本木クラブの中国人女性

 そして、それから30年近い昨今になっても、今だ女に対する執着は旺盛で、最近でも六本木のホステスをしていた中国人女性に、ポンと200万円を渡したり、上海へ帰ると追いかけてゆき、その中国人女性と上海のクラブへ行った際、10数万円を請求されて「高い」と猛烈に怒り出したという。

 この女性には、「上海に店(ナイトクラブ)を出してやる」と持ちかけたらしいが、新しい女が出来ると急にそっけなくなったらしい。この他にもアジア人女性との援交には、枚挙に暇が無いとのことである。

 「たかが中国人の女」と外国人女性をカネで自由にして約束を守らない、ということが事実であれば、日本人に対する評価はどうなるのか。これは単なる男と女の問題ではなく、美悠紀の下賎な人格を表しているということになる。

 
   昭和40年代の大阪支社


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