諫早市出身の明治の漢詩人野口寧斎(1867‐1905)の功績をたたえる顕彰碑が、寧斎とゆかりの深い同市立諫早図書館(東小路町)の敷地内に建立され、25日に除幕式がある。寧斎は卓越した才能を評価されながらも、20代で患ったハンセン病への偏見などにより、歴史に埋もれた人物。地元では碑建立を機に再評価が進むことを願っている。
■ハンセン病への偏見災い 業績再評価の契機に
寧斎は同市八坂町生まれ。藩校の教官だった父親と上京し、18歳で当時の漢詩界の第一人者森春涛に弟子入り。豊かな才能を発揮し、正岡子規とともに明治詩壇の両雄と称された。陸軍大将乃木希典や山県有朋、副島種臣ら明治の知名士に詩作を指導するとともに、地方の図書館の重要性も訴え、諫早図書館の前身に当たる「諫早文庫」の設立にも尽力した。
しかし、寧斎の死後、ハンセン病患者の隔離政策が始まるなど偏見が強まったことや、義弟が殺人犯として逮捕されたこともあって、業績に光が当たることがなくなったという。
3年前、没後100年の記念式典を同市で開いたことをきっかけに、地元の文化関係者らが野口寧斎顕彰碑建立検討委員会(会長・古賀力諫早史談会会長)を設立。顕彰碑の建立を目指していた。
顕彰碑には地元の小長井産の石が用いられ、約100万円の建設費は諫早南ロータリークラブが創立10周年記念事業として出資。顕彰碑の隣には寧斎の業績と詩を紹介する案内板も設置された。
郷土史家で同委員会委員の上村紀元さん(68)は「諫早の文学者を語るとき、寧斎は伊東静雄より先に語られるべき人物。碑の建立を、作品や業績を見直すきっかけにしたい」と話している。
=2008/10/19付 西日本新聞朝刊=