打つことと書くこと。 | 98.10.26 |
パソコンは僕にとっては非常に便利な道具である。
僕のことをある程度知っている人ならば知っていることなのであるが、僕は非常に字が下手である。以前にとある友人にノートを貸した際、「僕もノート借りてる身やし、あまり偉そうなことは言われへんけどな、もうちょっときれいに書いた方がいいんとちゃう?」と言われたことがある(^^;。その時には、「そのノートは、自分さえ読めたら、って思って書いてるから。」と、言い訳がましく開き直って答えたが、普段から自分の字の下手さはよくよく分かっているとは言え、友人をしてそこまで言わしめたことに、少しショックを覚えていた。
また、以前にとある通信添削のアルバイトの募集があった際、仮採用期間中に何枚かを添削して提出したことがある。それで様子を見た上で、正式採用かどうかが決定される。自分なりに時間をかけてゆっくり丁寧に書いて仕上げたつもりだが、結局正式採用はされなかった(^^;。添削の仕方が悪かったのかも知れないが、おそらくは字のせいであろう、と僕は思っている。
そんな僕であるから、「書く」という作業には苦手意識が先行してしまう。と言うより、自分の書いた字を見ていると、何か嫌な気分になってくるのである。はぁ、どうしてこんなに下手なんだろうなぁ、と(^^;。文章を作ること自体は嫌いではないし、むしろ好きなのであるが、「書く」という作業が苦手なため、あまりしない。日記なども、字の下手さから見るのが嫌になり、長続きした試しはない。
そんな僕にとっては、パソコン(あるいはワープロでもよいのであるが)は非常に便利な道具である。字を書く代わりにキーボードを打つことで、文章を作ることが出来る。ディスプレイに表示される字も、プリントアウトされる字も、自分の下手な字とは違って、きれいに整ったものである。これは嬉しい(^^)(と言うほどのことでもないかも知れないが(^^;)。キーボードを打つ速度も、使い始めた頃に比べるとかなり速くなっているため、自分で丁寧に字を書く速度よりもはるかに速い(いや、丁寧に書くのに非常に時間がかかり過ぎているだけであろうが(^^;)。
さて、このように便利なパソコンなのであるが、あまり頼り過ぎていると困ることがある。それは、書くことよりも打つことの方が便利なために、字を練習する機会がますますなくなってしまうことである。このままだと、下手な字がますます下手になってしまう(^^;。これは一大事である(いや、すでに手遅れだとの声もあるが)。
いっそのこと、「書く」という作業が世の中から消えてしまえばいいのになぁ、パソコンやワープロを「打つ」という作業だけになればいいのになぁ、などと、途方もないことを望んだりするが、そうはいかないよなぁ、ふぅ。
やはり少しはきれいに書けるようにしないとなぁ。