米国発の金融危機は、大恐慌に至らないまでも長期の世界同時不況の覚悟がいるようです。この不安の時代に新聞は座右の指南書たりうるか−。
ことしのノーベル経済学賞受賞者が米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授だったことは象徴的でした。ニューヨーク・タイムズのレギュラーコラムニストでもある教授は、ブッシュ政権の極端なまでの新自由主義的政策の批判者で、住宅バブルを警告をし、世界の現況を大恐慌前夜とも語っていた人物だからです。
◆拝金主義は終わりに
教授は「格差はつくられた」(早川書房)「グローバル経済を動かす愚かな人々」(同)などの著書で、米国の格差拡大が健全な中間層を崩壊させていることを懸念し、告発しています。この三十年の米国の経済成長の大部分の恩恵にあずかったのはひと握りの裕福な人々だったというのです。
例えば、一九七〇年代の米国の代表的企業の最高経営責任者(CEO)の報酬は平均的労働者の四十倍ほどでした。それが二〇〇〇年にはCEOの平均年収は九百万ドル(九億円)で、平均労働者の給与の三百六十七倍にも膨れ上がりました。
一方で、現在は破産を申し立てる世帯が三十年前の五倍。多くの家庭で借金を抱えるようになったのですが、調査の結果、借金は批判されたような贅沢(ぜいたく)品に消費されたのではなく、例えば、より良い学区に住宅購入のため、というのが実態でした。子供に学力をつけさせ、成功のチャンスを与えたかったのです。
努力すれば報われる社会への参画の国民の強い意欲を示していますが、クルーグマン教授は米国にそんな平等社会はなく、極端な格差が中間層の夢と希望を砕き、やがては社会や政治を腐敗させてしまうと憂慮しています。
◆人間として生きる権利
確かに、経営破綻(はたん)したリーマン・ブラザーズのCEOの二〇〇〇年以降の報酬が五百億円だったとのニュースには驚かされます。金融安定化法がそんなスーパーリッチたちを救済する法だとしたら、米国民が怒りをぶちまけ、法案に反対するのも無理なし、でしょう。民主主義の危機です。
米国流の新自由主義経済に追随してきた日本の格差も深刻の度合いを増しています。すでに全労働者の三分の一は非正規雇用で、年収二百万円以下のワーキングプアは一千万人に達しました。格差の要因がグローバル経済や技術革新のせいではないという教授の指摘も重要です。
富裕層に向けた最高税率の大幅引き下げや企業へのさまざまな規制緩和と撤廃、労働組合弱体化や福祉・社会保障削減という保守派の政策こそが大格差社会を生んだという教授の分析は、そのまま日本にも当てはまりそうです。
蟹(かに)工船ブームや「希望は戦争」の論文、反貧困ネットワークなど若い世代の悲鳴はやり過ごすことができないところにきています。ジャーナリストの堤未果さんが「貧困大国アメリカ」で報告しているイラク戦争に参加した日本人青年の「人間らしく生きるための生存権を失ったとき、目の前のパンに手がのびるのは当たり前」のセリフの強烈さも忘れられません。これ以上の貧困の拡大は阻止しなければなりません。
将来の人生設計ができない不安はすでに世代を超えて広がっています。金融危機に続く今後の長期不況を覚悟しなければならないとしたらなおさらです。人間らしく生きるために社会は、政治と経済はどうあるべきか。新聞として最優先で考えたい事柄です。確かな人間の生活なくして日本の未来もないからです。
所得の再配分や年金、医療、福祉などの社会保障のあり方は根本から考え直されなければなりません。制度設計のさいには何より助け合いの精神と思いやりが必要かもしれません。
インターネット社会の進展とは裏腹に、活字メディアには逆風が吹きます。有力雑誌の休刊が相次ぎ、新聞・テレビを扱った新書「ジャーナリズム崩壊」が話題を呼びました。その批判に耳を傾けつつ、新聞にはなお多くの任務が課せられていると考えます。
◆庶民の心とコモンセンス
わたしたちの論説室の担当は一面のコラムや社説の執筆ですが「ニュース鑑定人」でなければとの思いを強くしています。あふれる情報を選択、真贋(しんがん)を見極めて評価分析して、論評、主張するのが任務だからです。
庶民の心とコモンセンスとひたすらの研鑚(けんさん)。私たちのコラムや社説が信頼され、役立つことを願うのです。ルーズベルト大統領の炉辺談話が大恐慌下の人々を慰め励ましたように、そして考えるヒントとなることを。
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