新聞、放送、出版などメディア関係者が倫理問題を討議する年一回のマスコミ倫理懇談会全国大会が先月末に熊本市で開かれ、参加した。その中で二十五年前、日本で初めて死刑囚から再審無罪判決を得た熊本県内在住の免田栄さん(八二)が講演した。
免田さんは、しきりに「私はいまだに死刑囚なんです」と訴えた。恥ずかしながらよく意味が分からなかったのだが、免田さんと交流のある東京経済大の大出良知教授の補足で腹に落ちた。
つまり、日本の法律は再審無罪判決が確定しても、原審の死刑判決が消えるという仕組みになっておらず、永遠に残るのだ。どうやら、この国の刑事裁判は、間違うことが想定されていないらしい。これはずいぶんと傲慢(ごうまん)というか理不尽ではないか。
神ならぬ身、人間のやることには必ず間違いが起きる。物事はまず、それを前提に考えてしかるべきではなかろうか。われわれ新聞の世界に暮らす者もミスには敏感で、犯せば当然責任を問われる。問われるが、起きたものは謝罪と訂正で対処するしかない。刑事裁判は、ここが欠落しているようだ。
このことは、報道の責務に関しても、より厳しい問いかけを突きつけている。残念ながら、冤罪(えんざい)事件に関し、マスメディアは「当初、犯人扱い報道をした」との批判は甘んじて受けなければならない傷を持つ。それは免田さんのように、一生消えない烙印(らくいん)を押し付けてしまう結果に加担していることにもなるのだ。
「私はいまだに死刑囚」。免田さんの言葉は深く、重い。
(特別編集委員・横田賢一)