第13回
戦火の中でアニメが生まれた |
放送日
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放映日:平成12年6月27日(水)21:00〜21:42 総合テレビ
再放送: 7月2日(日)07:45〜08:28 総合テレビ(近畿のみ)
・衛星放送での再放送は祝日編成のため、ありません。
・また5月8日以降の再放送は一切 ありません。 |
出演者 |
松平 定知 アナウンサー
中條誠子アナウンサー
○ スタジオゲスト
小野 耕世(おのこうせい)【映画評論家】
戦時中のアニメ、海外のアニメに詳しい。桃太郎海の神兵のリバイバル公開時のパンフ(昭和59年)にも解説を執筆。
著書に「中国のアニメーション」など |
番組概要 |
その時:昭和20年4月12日 |
出来事:アニメ「桃太郎海の神兵」公開の時
手塚治虫が「桃太郎海の神兵」を見た映画館→大阪松竹座
(現在大阪松竹座は演劇用劇場となっており、映画上映は行っていません) |
昭和20年4月12日、焦土の中で一本のアニメーションが公開された。
セレベス島メナド落下傘奇襲作戦を題材にした、長編アニメ「桃太郎海の神兵」。 これを公開当日、大阪松竹座で見た手塚治虫は「日本でもついにこんな見事な作品が作れるようになったか!」と涙し、一生に一本でよいから漫画映画を作る決心を固めたという。
「その時」日本は世界にも稀なアニメーション大国へと歩みはじめる。
番組では、日本アニメの父・政岡憲三と、監督・瀬尾光世の師弟を主人公に、国産動画の胎動と急速な展開を遂げたその後を展望。本格的アニメ誕生に至る「その時」を描く。 |
番組の内容について |
- 紹介されたアニメ
『桃太郎海の神兵(同時収録;くもとちゅうりっぷ)』
松竹SHVベストセレクション \3,800税別
松竹ホームビデオから発売中
松竹株式会社ビデオ事業部03-3542-5551
☆その他の作品は現在簡単には見ることは出来ません。
- 番組中紹介したアニメ作品
F東京国立近代美術館フィルムセンター(F)、プラネット映画資料図書館(P)、松竹株式会社映像版権部(S)、ウォルトディズニーテレビジョン(D)、虫プロダクション(M)
各社にご協力いただきました。
以下、タイトル前のアルファベットは提供先を示します。
P『兎と亀』
作画・演出:山本早苗 1924(大正13年) 製作:北山映画製作所
F『つぼ』
監督:山本早苗 1925(大正14年) 製作:山本漫画製作所
F『難船ス物語第一篇猿ヶ島』
監督:政岡憲三 1930(昭和5年)製作:日活太秦漫画映画部
F『お猿の三吉・突撃隊の巻』
作画・監督:瀬尾光世1934(昭和9年)製作:日本マンガ・フィルム研究所
F『アリチャン』
作画・演出瀬尾光世動画:持永只仁1941(昭和16年)製作:芸術映画社(公開昭和17年)
F『桃太郎の海鷲』演出、撮影:瀬尾光世 1943(昭和18年) 製作:芸術映画社
F『くもとちゅうりっぷの原作 『よい子強い子』
横山美智子 文昭社(昭和14年9月18日)
S『桃太郎海の神兵』
脚本,撮影,演出:瀬尾光世 影絵:政岡憲三1945(昭和20年)製作:松竹株式会社
D『ファンタジア/2000』 より「魔法使いの弟子」
(この作品のみ1940年版ファンタジアと同内容です)5月7日まで東京、大阪などで上映中。 F東京アイマックスシアター
M『鉄腕アトム』
タイトル(放映年1963年:日本初の30分テレビアニメシリーズ)原作・監督・脚本:手塚治虫 製作:虫プロダクション
M『ジャングル大帝』
(放映年1965年:日本初のカラーテレビアニメシリーズ)原作:手塚治虫
第三話「動物学校」より監督:永島慎二 脚本:石郷岡豪・雪室俊一 製作:虫プロダクション
- 写真などで紹介した政岡アニメ作品
『難船ス物語第二篇海賊船(海の冒険)』
監督:政岡憲三1931(昭和6年)製作:日活太秦漫画映画部
政岡の屏風‥‥ 原画が貼ってあります。
『力と女の世の中』
監督:政岡憲三 動画:瀬尾光世他1932(昭和7年)製作:松竹蒲田映画/政岡映画製作所(日本初の本格的トーキーアニメ作品)
『仇討ち烏』
『ギャングと踊り子』
監督政岡憲三 動画:瀬尾光世他1933(昭和8年)製作松竹蒲田映画、政岡映画製作所
☆上記3本はフィルムは現存していないようです。
- 政岡憲三(1898〜1988)
アニメーション作家。大阪市西区生まれ。セル画の功績大。 日本アニメの父と称される第一人者。代表作『難船ス物語第一篇猿ヶ島』1930(昭和5年)
『力と女の世の中』1932(昭和7年)『べんけい対ウシワカ』1939(昭和14年) 『くもとちゅうりっぷ』1943(昭和18年)『桜(春の幻想)』1946(昭和21年)
『すて猫トラちゃん』1947年(昭和32年)。
- 政岡憲三の墓(人魚姫)
埼玉県・越生町・地産霊園内
- 戦後の政岡憲三の挿し絵
『小学三年生』(小学館)昭和27年 1,2,3,6,10,11月号 瀬尾光世(1911〜)アニメーション作家。本名徳一。姫路市生まれ。
戦後は童画家・瀬尾太郎として活躍。代表作は『お猿の三吉・防空戦の巻』1933(昭和8年)『アリチャン』1941(昭和16年:日本初マルチプレーン撮影)『桃太郎の海鷲』1943(昭和18年)『桃太郎海の神兵』1945(昭和20年)。現在川崎市高津区在住。
- 瀬尾太郎の本
資料提供:大阪国際児童文学館 『講談社の一年生文庫10いたずらこぶた』(昭和27) 『講談社の一年生文庫45はなぶらちゃん』(昭28)『講談社の漫画絵本おもちゃのサーカス』(昭30)
『講談社の幼児絵本三匹のこぶた』『りきぞうさん』大日本雄弁会講談社 (昭和30) 『講談社の一年生文庫はなとこぐま』(昭和32)『小学館の育児絵本67かちかちやま』(昭和41年)
『ぴーたーうさぎのぼうけん』ポッター・光吉夏弥編 光文社 (昭和31年)
- 参考にした映画資料
資料提供:阪急学園池田文庫 『キネマ旬報』「我が邦に於て漫画映画は育つかどうか」日本動画研究所 政岡憲三1939(昭和14年)3月1日号
『映画』「くもとちゅうりっぷ」紹介「漫画が動くまで」昭和17年8月号映画宣伝連合会刊 『映画評論』 「日本漫画映画のために」今村太平 昭和18年3月号Vol.3 No.3
『映画旬報』 「最近の漫画映画」今村太平 昭和18年3月1日号 No.74
- 写真提供
●日劇の写真(昭和11年&昭和17年) 社団法人映画文化協会
●手塚治虫肖像写真 写真家・江成常夫 手塚プロダクション資料室
●焼け野原の大阪 毎日新聞社フォトバンク
●政岡憲三肖像、自宅、女形 上田嘉奈女(政岡憲三の妹)
●政岡憲三の写真 木下敏雄(キノプロ社長)
●戦前の松竹動画研究所 熊川正雄(政岡憲三の弟子・アニメーター)
●戦前の大阪松竹座外観 松竹関西演劇資料室
●その他、番組のほとんどの写真は 渡辺泰氏(アニメーション研究家)から拝借したものです。
- スタジオで紹介した冊子
資料提供 豊田善敬(堺市) 『銃後の大阪』第6号 昭和19年8月15日大阪市役所市民局軍事課発行(戦地に送られていた慰問用冊子)「まんが映画くもとちゅうりっぷ」政岡憲三書き下ろしのカラーページ
- 番組に関する時代背景についてのデータ
1898 明治31年10月5日 |
政岡憲三、大阪市西区に生まれる |
1911 明治44年9月26日 |
瀬尾光世、姫路市飾磨町に生まれる |
1917 大正6年 |
日本で初めてのアニメーション「芋川椋三玄関番の巻」が作られる |
1930 昭和5年 |
政岡憲三第一作『難船ス物語第一篇猿ヶ島』公開 |
1931 昭和6年 |
満州事変 |
1932 昭和7年 |
政岡憲三、政岡映画製作所設立 瀬尾光世、政岡のもとに弟子入り |
1933 昭和8年暮 |
瀬尾光世 上京、独立 |
1936 昭和11年 |
日本で最初のニュース映画専門劇場が東京・日劇に出来る |
1937 昭和12年11月 |
政岡憲三、日本動画協会設立 |
1939 昭和14年3月1日 |
政岡憲三 「我が邦に於て漫画映画は育つかどうか」をキネマ旬報に発表 |
1939 昭和14年10月14日 |
映画法施行 |
1941 昭和16年 |
政岡憲三、松竹に入社 松竹動画研究所製作課長 |
1941 昭和16年12月8日 |
日本軍、真珠湾奇襲 |
1942 昭和17年1月11日 |
日本軍 オランダ領インドネシアセレベス島メナド付近に落下傘降下作戦 |
1942 昭和17年2月12日頃 |
瀬尾光世、海軍省から「桃太郎の海鷲」製作命令 |
1942 昭和17年2月15日 |
日本軍・山下中将とイギリス軍司令官パーシバル中将との会談 |
1942 昭和17年8月 |
ガダルカナル、アメリカ軍侵攻 |
1943 昭和18年3月25日 |
「桃太郎の海鷲」公開 興行収入64万円(現在の10億円以上) |
1943 昭和18年
2月1、4、7日 |
ガダルカナル、日本軍撤退 |
1943 昭和18年4月15日 |
「くもとちゅうりっぷ」公開 監督官庁からクレーム文部省推薦得られず |
1943 昭和18年10月18日 |
学徒出陣 神宮外苑にて壮行会挙行 |
1944 昭和19年1月 |
瀬尾光世、松竹入社 |
1944 昭和19年7月9日 |
サイパン陥落 |
1945 昭和20年3月10日 |
東京大空襲 |
1945 昭和20年4月12日 |
「桃太郎海の神兵」公開 手塚治虫、大阪松竹座にて感涙 |
1945 昭和20年 8月15日 |
終戦 その後「桃太郎海の神兵」プリント焼却 |
1963 昭和38年 1月1日 |
日本初の30分テレビアニメシリーズ「鉄腕アトム」放送開始 |
1970 昭和45年 |
日本初の30分カラーTVアニメシリーズ 「ジャングル大帝」放送開始 |
1982 昭和 57年 |
松竹大船撮影所にて 「桃太郎海の神兵」オリジナルネガ発見 |
1984 昭和59年8月 |
東京国立美術館フィルムセンターにて「桃太郎海の神兵」リバイバル上映 |
1988 昭和63年11月23日 |
政岡憲三死去(90歳) |
- 撮影協力
株式会社大船撮影所、株式会社映像鎌倉、北野天満宮 松竹不動産
- 松竹動画研究所のビル
現在の東京・歌舞伎座の隣、文明堂銀座店のビル
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番組内で使われた資料などの所蔵先一覧 |
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参考文献 |
- 参考文献
『日本アニメーション映画史』 山口且訓・渡辺泰共著・プラネット編 有文社 1977
『夢をつむぐ 大衆児童文化のパイオニア』 尾崎秀樹 光村図書 1986
『帝国の銀幕 十五年戦争と日本映画』 ピーター B. ハーイ 名古屋大学出版会
『観たり撮ったり映したり』 手塚治虫 キネマ旬報社 1995
『映画を作りながら考えたこと』高畑勲 徳間書店 1999
『アニメーション入門』森卓也1966
『劇場アニメ70年史』アニメージュ編集部編
『松竹六十年史』松竹株式会社
『日本映画史』1〜4 佐藤忠夫 岩波書店
『日本アニメの飛翔期を探る』細萱敦 読売新聞社、美術館連絡協議会2000 円
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