シリーズ追跡

増える救急車出動/有料化は必要か

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「救える命」も危なく

 「一年間に五十回近く救急車をタクシー代わりに呼んだ男逮捕」(三月)「公務執行妨害や傷害の罪で同男に懲役三年六月の判決」(七月)―。高松発のショッキングなニュースが全国に流れたばかり。折しも総務省消防庁は、増える救急車出動の対策として有料化や民間活用をテーマに専門家による検討会を五月に発足させた。緊急度の低い不適切な利用のために、本当に必要としている人が「後回し」になる懸念が現実味を帯びているからだ。救急の現場はどうなっているのか。県内一出動件数の多い高松市消防局の救急出動の現場を密着ルポするとともに、専門家たちの話から有料化をめぐる問題に迫った。

最前線で=後絶たぬ迷惑通報 到着遅れ、指令室ジレンマ
119番通報で出動する救急隊員。命を左右し分秒を争う現場には緊張感が漂う=高松市宮脇町、高松市消防局
119番通報で出動する救急隊員。命を左右し分秒を争う現場には緊張感が漂う=高松市宮脇町、高松市消防局

 高松市宮脇町一丁目、高松市消防局四階の「指令管制室」。七月のある夜、職員の案内で中に入ると、まず目に飛び込んだのが前面の大型モニターだ。そこには救急・消防車両の運行状況や防災情報、七十倍ズーム機能を持つ高所カメラによる市街地の映像が表示されている。
 「ここで一一九番通報を受け、救急車の出動を指令するんです」とは、常時待機する六人の中でもベテランの指令管制員。説明を聞いている間にも続々と通報が入る。「呼吸してますか」「家の前の道は救急車入れますか」。指令管制員は通報者に事情を聴きつつ、瞬時に手元のモニターに付近の地図を表示、最も現場に近い救急車に指令を出していく。
 午後六時からの一時間で、交通事故や居酒屋での急病、子供のけがなど八件に救急車を出動させる慌ただしさ。その間、病院の照会やいたずら電話も少なくなかった。

 多い“常連”
 「えらいんや。来ていたあ」。午後八時ごろ、年配の女性から通報が入った。中堅の指令管制員は、即座に最寄りの救急車に出動を指令。ただ、ベテランはさえない表情を浮かべ、つぶやいた。「実はこの女性、いわゆる“常連”なんです」。
 案の定、現場に到着した救急係は女性に搬送を拒否され、やむを得ず引き揚げたという。「万が一の場合もあるんで、出動はしますよ。姿が見えんと判断は難しいですから」とベテラン。中堅も「困ったことに常連は二十人近くいますね」。
 通報が一段落した時間帯、指令管制員らは「単なる骨折り損で済まないんですよ」と、こんな迷惑通報に熱弁をふるう。内容はこうだ。市消防局は委託も含め高松市と国分寺、綾南、綾上の三町を管轄。これを救急車両十台(高松北消防署が二台、エリアごとの三署・二分署・三出張所が各一台)を運用して網羅している。
 このため、出張所などの救急車が出動すると、本来の最寄り車両が使えず、次に近い車両を「繰り上げ出動」させざるを得なくなる。「特に繰り上げが連鎖した場合、後発がどんどん遠方からになり到着が相当遅れるんです」と強調する中堅。心肺停止などの一刻を争う事案も想定されるだけに、訴えは切実だ。

通報を受け救急車に出動指令を出す指令管制室。迷惑通報や緊急度の低い要請は、救える命を脅かしかねない=高松市消防局
通報を受け救急車に出動指令を出す指令管制室。迷惑通報や緊急度の低い要請は、救える命を脅かしかねない=高松市消防局


崩れる前提

 この夜、午前零時までの救急車の出動件数は四十五件。うち軽症は十七件で、不搬送は年配女性のほかに一件あった。夜に「遊具で遊んでいた娘が出血した」として、親が通報。現場に向かう途中に再度、「もう大丈夫です」との連絡が入ったのがそれだ。
 軽症と不搬送が目立つ点を別室で待機中の救急係に指摘すると、「血を見て気が動転することもあり、一概に軽症の通報が悪いとは言えない」。つまり、本人や家族には“重症”であり、「安心を支えるサービスの意味でも出動しなければいけない」(同救急係)。
 消防行政は、「通報者は善意」が大前提だ。それは取りも直さず無料制度の前提でもあり、利用者が崩せば制度の根幹が揺らぐ。善意でない通報が増加し、「サービス」よりも優先すべき「救える命を救う」という業務を脅かしている今が、まさにその時だろう。
 翌日未明、取材を終え指令管制室を出る際、指令管制員の一人がこう嘆いた。「いつでも、誰でもが安心して頼れる存在でありたい。でも、このままだとその維持が難しい。大きなジレンマを抱えてるんですよ」

 

現状は=軽症4割、タクシー代わりも
高松市消防局の救急出動

 「コンタクトレンズが外れない」。そんな女性の通報を受け、高松市消防局の救急係は女性宅に急行、病院に搬送した。しかし、タクシーでも行ける状況だったと指摘すると、「対応が悪い」と抗議されたという。
 ほかにも擦り傷や虫さされ、歯痛、さらに検査のための通院など“タクシー代わり”に利用する通報が目立っており、救急車の出動件数はうなぎ上り。なかには▽夜間に病院への問い合わせが面倒▽待たずに受診できるとの思い込み―など、極端なモラルハザード(倫理観の欠如)もあるようだ。現状を数字で検証してみると…。

10年で7割増
 高松市消防局の二〇〇四年の救急車の出動件数をみると、前年比千件増(6・7%増)の一万五千八百二十六件で過去最多を更新。うち入院の必要がない軽症は五千八百三十九件に上り、全体の約四割を占める。
 十年前と比較すると、出動件数は六千三百十八件増(66・4%増)と激増。高齢化を背景に基礎的需要が増大したのに加え、「一部で安易に呼ぶ傾向が強まり、パンク寸前になっている」(市消防局)という。
 一方で、消防庁の基準に基づく救急車の台数は変わっていない。このため現場到着までの所要時間は、十年前に全体の29・4%だった「五分未満」が〇四年は25・2%と4ポイント以上も低下。平均所要時間は十年前が五分台後半だとされるのに対し、約六・三分にまで延びている。
 心停止時間は「六分が生死の分かれ目」といった目安もあり、こういった傾向が続けば「市民の命綱」がますます危うくなる。

毅然と対応
 「一年間に五十回近く救急車を呼んだ中で、身勝手な要求を拒否され隊員に暴行を加えるなど犯行は極めて悪質」。七月初旬、高松地裁。公務執行妨害や傷害などの罪に問われた男に懲役三年六月が言い渡された。
 契機は、市北消防署の告発だった。冨永典郎市消防局長は「今後も悪質なケースには毅然(きぜん)とした対応を取り、不当な通報を抑止していく」との方針を強調。一方で地道な啓発にも取り組み、現状に理解を求めるという。
 ただ、七月中旬で前年同期比約四百七十件増と、前年に引き続き一年で千件程度増えるペース。啓発には即効性を期待しづらいのが実態だ。
 このままではアメリカのほぼ全土やヨーロッパの一部都市のように、救急車の出動に数万円を支払う状況も現実味を帯びてくる。果たして、現行制度を守れるかどうか。それは、「タクシーや自家用車で病院に行ける場合は救急車を呼ばない」という、当たり前のモラルにかかっている。
 誰かの生死がかかっているかもしれないと想像すれば、そう難しくはないはずだ。今それができなければ、失うものは余りにも大きすぎる。

インタビュー 県立中央病院救命救急センター部長・長野修

現行制度の周知が先 “無駄遣い”排除へ知恵を

 ―中央病院救命救急センターへの救急車による搬入患者の動向は。
 長野修部長 概算だが二〇〇四年の救命救急センター外来は月平均約千人。そのうち救急車による搬入が二百三十人前後で、およそ四人に一人の割合になる。救急車で搬送された約半数が入院している状況だ。

 ―緊急度の低い救急車利用が問題になっているが、最近の特徴は。
 長野 外来受診日に救急車でやって来て、歩いて診察室へ向かうお年寄りもいた。急に熱を出した幼い子供を抱きかかえて救急車から降りてくる母親もいる。母親は昼間は大したことないと思っていたが、夜帰宅した父親が気が気でなくなったような例だ。昔から言われているが、核家族化が進み、相談できる年配者が周囲にいないのも一因かもしれない。

 ―不必要な使われ方も少なくないということだが、分秒を争って九死に一生を得たような例もあるのか。
 長野 交通事故で外見は大したけがには見えなかったが、腹腔(ふっくう)内出血を起こしているのが検査で分かり手術で助かったケース。建設現場で転落し鉄骨が数本体に刺さったまま運ばれて来たが全治したケース。いずれも処置が早かったのが好結果につながった例だ。

 ―増え続ける救急需要対策として消防庁は緊急度の低いケースの有料化について検討を始めた。救命救急の現場からはどう考えるのか。
 長野 有料化に対しては反対ではない。少なくとも緊急度の低い軽傷者の利用が減るメリットはあるだろう。しかし問題点も多い。▽救急隊の業務(料金徴収)が増える▽制度変更に伴うトラブルも増える▽有料、無料の線引きが難しい▽有料、無料の決定を病院に求められても現場の新たな負担になる―。これらは受け入れる側から考えた実務的な問題点。
 また、利用者の立場から考えれば、▽有料化すれば逆にタクシー化して本来の使われ方ができない懸念▽料金が払えないからと緊急時にも(必要とする人が)ちゅうちょする懸念―がある。
 むしろ、現行制度の中で、いかに不必要な使用を減らすかに全力を尽くす方が先だと思う。ちょうど渇水で節水の大切さが呼び掛けられているように、もっと住民に周知する方法があるのではないか。不必要な使用によるコストの浪費など数字を示して無駄遣いを減らすべき。どうしても改善が見られないなら、受益者負担(有料化)を考えざるを得ないだろう。

 ―住民としてはどう対処すべきか。
 長野 救急や医療サイドが敷居を高くしてしまうのは良くない。「軽めに考えて近くより、重めに考えて遠くへ」という考え方がある。疾患を軽く見ず、高次医療病院に搬送することは救急隊の判断でも許されている。万が一に備え万全を期す意味からだ。
 急病人や周囲の人にとっても同じことは言える。病状の判断、緊急度の判断がつかない時は「一一九番」するのは基本的に許される。その際、パニックに陥らず冷静に現状を話し、指示に従ったり、自力で病院に行けるかどうかを判断するのも大切になる。緊急時に相談できるかかりつけ医を持っておくことも重要だ。

 ◆ながの・おさむ 1957年愛媛県生まれ。岡山大学医学部卒、専門は救急医学。91年から岡山大学付属病院に勤務。04年から県立中央病院救命救急センター部長。

 佐竹圭一、岩部芳樹が担当しました。

(2005年7月17日四国新聞掲載)

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