新聞は世の中を映す鏡。おのずと時代を華やかに彩り、記者の記憶に刻まれる人物は少なくない。五輪競泳選手やタレントで活躍した岡山市出身の木原光知子(本名美知子)さんも、そんな方だった。
初めてお会いしたのは、本社運動部時代の一九九五年。戦後五十年の節目に、岡山スポーツ界の歴史を振り返る連載企画「岡山スポーツ半世紀」の取材が目的だった。
木原さんは六二年、一巡目岡山国体の一般女子百メートル背泳ぎで、岡山市立旭中(現岡山中央中)二年生ながら日本中学新で三位に入った。六四年、岡山山陽女高一年で迎えた東京五輪は女子四百メートルメドレーリレーでアンカー(自由形)を務め、四位入賞に貢献。その後、芸能界に転身する一方、水泳教室などの運営会社も経営し、競技の普及発展に努めた。
十三年前、東京・六本木で待ち合わせ、旭中一年で水泳を本格的に始め、トップ選手になるまでの栄光と猛練習の軌跡、熱い思いなどを聞いた。当時四十代半ばの木原さんが機敏に記憶をよみがえらせ、気さくに応じてくれた姿を思い出す。
「私の印象には五輪よりも、岡山国体のことが強く残っている」「皆さんに恩返ししたい」―。木原語録を記事化した。それを体現するように、二巡目岡山国体(二〇〇五年)では特別応援団として古里に尽くした。
時代の証言者たる記者の使命を、あらためてかみしめたい。「天才少女」「水泳の華」といわれた「ミミ」さんが五十九歳で急逝して十八日で一年―。
(新見支局・大立貴巳)