2008年10月17日
祈りのことば
ヘルパーさんが訪問してくださったときは、まだ手を振っていたというんです。その翌日は、前日より気温が一気に10℃も下がりました。どこかで、その変化が気にはなっていました。
第一発見者が家族でない場合、不審死になってしまいます。
だから、市役所のひとに言われるままに、僕はがんばってマンションの扉を開けて、父の姿を見ました。
全裸でした。やせ衰え、脱水症状がみてとれる体でした。顔は、カーテンの向こうにおおわれていて、見えませんでした。
僕の視野には、父の死体しか入っていませんでした。そのまわりの光景は捨象されたかのように暗闇に沈み、奇妙にそれだけがくっきりと浮かび上がっていたのです。
自宅に帰った僕は、おそらく最後まで父の葬儀に出ようとしないだろう母に向かって「父さんの部屋、意外ときれいに片付いていたよ」と報告しました。
しかし、その後部屋の片付けに訪れた僕は驚きました。足の踏み場もないほど、乱雑に物が散らかっていたからです。遺品を整理しながら、心底奇妙な経験に思えました。あの瞬間の僕の視野からは、父の死体以外のものはすべて消え去ってしまっていたのでした。
僕は、霊安室からいったん黙って立ち去ろうとしました。幼少期から、僕と母への、さらには兄への怪物めいた数々の行為を思えば、遺体を見るだけでも、見てやっただけでもどれほどのことだろうか、と思っていたのですから。
しかし、階段を5段降りたところで僕は立ち止まり、再び戻って扉を開けました。そして父の遺体の枕もとにおかれた線香立てに、マッチで火を点けた線香を3本だけ立てました。
その煙を吸い込みながら、思わずクリスチャンの僕は、手のひらを合わせて「どうか天国に行かせてあげてください」とお祈りをしました。
それは、あの父のためだったのでしょうか。
ゆきずりのひとであっても、見知らぬひとであったとしても、死にゆくひとであれば僕は等しくそう祈るだろう、そんな祈りの言葉だったように思えるのです。
こんな話を聞いた。