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2008/08/27 更新

わたしたちは、日本語の 表記(文字)について かんがえ、その 改革を めざして 運動して います。
漢字は 字数が あまりにも おおく、また、つかいかたも 音よみ・訓よみ それぞれ いろいろ あり、規則性が なさすぎて 学習に ムダな 時間が かかり、しかも 日本語の 本来の スガタを ゆがめて います。また、もとからの 日本語に たいしては、漢語の 乱用の 結果、これに おきかわって しまい、そのため きいただけでは わかりにくい コトバが おおく なって います。
漢字を あつかう ことの できる パソコンや ワープロの 出現に より、漢字に よる 事務の 非能率に ついての 問題も 解決されたかの ように かんがえる ひとも いますが、漢字変換を しなければ なりませんので 非能率は かわりません。
カナモジカイは、この 問題に はやく から 気がついた ひとたちに より、1920年に 創立され、日常 つかう 文字と しては、漢字を 廃止して、ヨコがきの カタカナを もちいる ことを うったえて 運動して きました。世間では カタカナは よみにくいと 感じる ひとが おおいの ですが、これは 書体の 改良に よって 解決 できます。
実際の 運動と しては、この ヨコがき カタカナ ばかりで なく、ヨコがきが ふえるのも、漢字が へるのも、それなりの 収穫と かんがえて いますので、機関誌「カナノヒカリ」や この ホームページでは、ほかにも いろいろな かきかたを こころみて います。(漢字を できるだけ すくなく した 文章。漢字カナまじり だが ワカチガキを した 文章、カタカナ・ひらがな・まじり文、ひらがな文 など。)
この ホームページを おとずれて くださった ことを 機会に、文字と コトバの 問題に ついて おかんがえ いただければ サイワイ です。
ニホンゴを かきあらわすの には カンジと カナが もちいられて いますが、カンジの カズの おおさや ツカイカタの フクザツサ (ヒトツの カンジに ヨミカタが いくつも ある など)の ため、ニホンゴの カキアラワシ〜カタは、セカイに レイの ない フゴウリな ものと なって おり、フベンや さまざまな ワザワイを もたらして います。
センゴの コクゴ〜カイカク ―― これ には、カナモジカイも おおきな コウケンを しました ―― に よって モジの よめない ヒトは ほとんど いなくなりました。 また、キカイで カンジを あつかう ギジュツも ヒヤクテキに シンポ しました。
しかし、ワタシタチは これで モンダイが カイケツ された とは かんがえて いません。
1. カンジは、ニホンゴを ただしく かきあらわす ことが できない フカンゼンな モジ です。
「私」と いう カンジは 「わたし」 とも 「わたくし」 とも よめます。 「明日」は 「あす」 とも 「あした」 とも 「みょうにち」 とも よめます。 どれが ただしい ヨミ なの かは、それを かいた ひとに しか わかりません。
「わたし」 「わたくし」、「あす」 「あした」 「みょうにち」は、それぞれ イミは ちかくても ベツの コトバ ですから、それらを クベツ できる ように うつしだす ことが できなければ、モジと しての ヤクワリを はたして いる とは いえません。
2. カンジは ニホンゴの デントウを ゆがめ、ハカイ しました。
「くさい」と 「くさる」、 「おもい」と 「おもな」は、ニホンゴと しては キョウダイの コトバ ですが、チュウゴクゴを まねて 「臭い」 「腐る」、「重い」 「主な」 と ことなる カンジを あてて かきわける ため、それぞれの コトバの カンケイが わからなく なり、したがって、コトバの ホントウの イミも わからなく なりました。
また、「微笑む」と かいて 「ほほえむ」と よませる ことも おこなわれて いますが、これは ゆるすまじき こと です。 「ほほえむ」 とは ホンライ 「ホホが えむ」と いう イミ ですが、「微笑む」と かいたの では その ことが みえなく なり、「微(かす)かに わらう」と いう イミに すりかわって しまいます。
3. カンジは ニホンゴの ハッタツを さまたげて きました。
ニホン では、ながい アイダ カンジを ありがたがり、カンジに イゾン して きた ため、メで みれば イミが わかっても、ミミで きいて わからない カンゴが おおく つくられて きましたし、いまも つくられて います。 (たとえば、「防汚」 「放鳥」 「廃農」 など)
また、カンジの オトは きわめて かぎられた もので ある ため、カンゴの ほとんどは ドウオン〜イギゴと なって しまいます。 そのため、ハナシコトバと しての チカラが よわまった だけで なく、ホンライの ニホンゴ(ヤマトコトバ)に よる ゾウゴ〜ホウの ハッタツが さまたげられ、「カタカナ〜ゴ」が ヒツヨウ イジョウに ふえる ゲンインの ヒトツ とも なりました。
ミミで きいて わからない コトバ でも、ジを みれば イミが わかる から カンジは ベンリだ、などと かんがえる のは、サカダチ した カンガエ〜カタ です。
4. カンジは、コトバの ジャクシャを うみだしました。
メの フジユウな ヒトビト などに とって、カンジを まなぶ ことは きわめて コンナン です。 ニホンゴを カンジに イゾン する コトバの ままに して きた ことが おびただしい カズの ミミで きいて わからない コトバを つくりだして きた ので あり、カンジを つかわない ヒトビトに たいする カベを つくって きたの です。 このことは、かれらに たいする サベツで ある と いっても いいすぎ では ありません。
5. カンジは、キョウイクの うえで オモニと なって います。
センゴの コクゴ〜カイカクも、カンジの カズの おおさや ツカイカタの フクザツサに よる ガクシュウの ムズカシサを いくらか やわらげたに すぎません。 そのため、 ホンライは コトバ そのもの では なく、その ウツワで ある はずの モジの ガクシュウ ―― その ダイブブンは カンジの ガクシュウ ―― が おもい フタンと なって います。 ガッコウ での 「コクゴ〜ガクシュウ」は 「カンジ〜ガクシュウ」に かたよった ものに なって います。
6. カンジは、ガイコクジンに とっても おおきな カベと なって います。
ニホンゴは、ハツオンも ブンポウも けっして むずかしい もの では なく、はなすだけ なら、それほどの クロウは ない と いわれます。 カンジが ショウガイと なり、とりわけ 「カンジ〜ブンカ〜ケン」に ぞくさない ヒトビトの ニホンゴを まなぼうと する イヨクを そいで いる のは、とても ザンネンな こと です。
ニホンの ガッコウで まなぶ ガイコクジンの コドモが ニホンゴを ミに つける ことが できずに おちこぼれて いく のは シンコクな シャカイ〜モンダイに なって いますが、カンジの ムズカシサも その ゲンインの ヒトツで ある ことは うたがいようも ありません。
7. カンジは、シャカイ〜セイカツの ノウリツを ひくい ものに して います。
いまは、コンピューター などで カンジを ―― イゼンに くらべれば ―― たやすく あつかう ことが できます。 しかし、カンジ への ヘンカンと いう サギョウが ノウリツを おおきく さまたげて います。
カンジは おぼえる ことが むずかしく、カキ〜マチガイや ヨミ〜マチガイも おこりやすい ため、しばしば トラブルの もとに なって います。
また、オクリガナの ツケカタ など まよう ことも すくなく ありません。 (問合せ? 問合わせ? 問い合せ? 問い合わせ?) これは、ジカンの ムダ です。
カンジの もたらした ワザワイは まだまだ ありますが、ここ では はぶきます。
カナモジカイの モクテキを ヒトコトで いえば、カンジを ハイシ する ことに よって ニホンゴの カキアラワシ〜カタを ゴウリカ し、ニホンゴの デントウを まもり、かつ ニホンゴの ホンライの セイメイ〜リョクを はなひらかせよう と いう こと です。
もっと みじかく いえば、ニホンゴを あいし、タイセツに して いこう と いう こと です。
この モクテキを ジツゲン する ため、カナモジカイ では、カタカナ だけで ブンショウを かく ことを となえる と ともに、カタカナ だけて かいても よみやすい デザインの カナモジ〜ショタイを つくる などの カツドウを して きました。
が、さしあたっては、ひらがな でも よいの です。 カンジに たよらない ニホンゴを そだてて いきましょう。
(Y−S)

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