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2008-09-09
■「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」 キングスレイ・ウォード
ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 新潮文庫 (新潮文庫)
- 作者: G.キングスレイウォード, G.Kingsley Ward, 城山三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1994/04/01
- メディア: 文庫
ビジネスのルールと、生き方のルールの二つが書かれている一冊。知識だけを伝えるのでも、気持ちだけを伝えるのでもない、タイトルの通り「ビジネスマンの父から息子へ宛てた手紙」だからこそ伝わってくるものがある。
P94 「最後に、君は常に部下の成績を評価しなければならぬことを忘れないでほしい。ことに入社したての部下については、私たちの基準を満たしているかどうかを判定しなければならない。しかし、長年会社で働いている部下の成績が下がっているとき、あるいは基準に満たないときには、それを君に対する停止信号と見るべきだろう。立ち止まって、反省するように。この人の成績はなぜ下がったのか? 君のほうに落度がないとしたら、この成績の低下の裏には、考慮しなければならない、差し迫った個人的な理由があるのではないか? その人と話し合って、以前の彼らしくない、と言うがいい。こちらで正せる問題があるだろうか? 自分で解決すべき問題でも、私たちもそれを支援できないだろうか? 部下の効率を取り戻すために、わずか1時間でできることの大きさに驚かされる。考えてみよう。君の一時間と部下の一時間は合わせて約50ドルに相当する。一方、ミラー氏の後任として適確な人材を訓練する費用は5000ドルになるだろう。」
P126 「人は人情として(少なくとも大部分の人は)、金持に惹かれ、その友だちになりたいと思う。なぜかそれだけで心丈夫に感じるらしい。たくさんの人が君の友人のひとりにみなされたいと思うだろう。心からそう願う人も、うわべだけの人もいる。君の家には財産があるというだけの理由で、君の友人の仲間に加わりたがる人に警戒しなければならないが、一方、正直で、地道な人たちが、純粋な友情を君に誤解されることを恐れて、控えめに距離を保っているのを見過ごすことのないように。彼らは遠慮して、君が喜んで出席するような行事にさえ、出席してもらえたらうれしいのに、と思いながら、招待状を送らないだろう。この人たちは大切にすべきである。君のほうから先に招待すれば、彼らもそのお返しとして、君を気易く招くことができる。」
P127 「友人をたやすく失う確実な方法のひとつは、金を貸して欲しいと頼まれて、それに応じることである。これは絶対にいけない。もし君が親しい友だちの窮乏を知って、援助が必要だと思ったら、自分から申し出る方がずっといい。君が自分から支援を申し出る友人は、ふつうそれを返済して、友情を裏切らない。君に借金を頼み込む友人は見限るしかないだろう。金を借りたければ銀行へ行けばいい。」
P145 「よくある不作法に、人の話をさえぎることがある。いわば話し方の癖で、私の見るかぎり、多くの人がそれでイメージを落としている。話してはこのようなあからさまな侮辱に腹を立てる。話し手の考えに興味がなく、それを尊重するつもりもない証拠で、その考えがあまり重要ではないという含みがある。これはたいてい、自己中心的な人、聞くことよりも、つい話すことに夢中になる人の癖で、こういう性格は、誰にとってもあまり魅力的な、あるいは好ましいものではない。相手が話しているときには慇懃な沈黙が金である。沈黙は相手の知性と考え方に対する敬意を表すからである。」
P196 「新しい装置が届けられ、設置されて、運転が開始されれば、君たちのチームの下した決定の正しさが判定できるだろう。彼らもそれに、いわゆる「評価」に参加させるように。君たちが全員で正しい選択をした場合には、そう告げれば、彼らも私と一緒に歓声をあげるだろう」
P200 「君が心を成長させ、態度を選び自由を行使するとき、君は容易に人生の責任を認め、受け入れて、果すことができるだろう。それは当然である。責任は、フランクルの言葉で言えば「人間存在の基礎」である。私の観察では、責任を受け入れる人は、最も実り多い人生を過ごす人である。多くの人は、生来、責任を受け入れるときに、失敗の不安に似たものを感じるらしい、そのような人は、努力した上で失敗するのは恥ではないことを思いだしてもらいたい。試みなかったことが悲劇なのである。責任を受け入れることは、挑戦を受け入れることである。挑戦を受け入れることは、すばらしい成果を迎え入れるために、扉を開くことである。 この地上に生きた、あるいはいまも生きている偉大な人びとについて読むことは、偉大な心に触れることである。彼らはみな、周囲の圧力に屈しないで、自分の胸のなかの羅針盤で人生の航路を選び、常に選択と態度の自由、そして個人的な責任の受容を指針としている。私はこの偉大な人びとの生涯について、そして彼らが成功の高みに登る途上で乗り越えた数々の失敗や落胆について読むたびに、その忍耐力、勇気、そして粘り強さに畏敬の念を覚える。「偉大な高みに導く道は険しい」とセネカは紀元五〇年の昔に言った。この道の険しさは今も変わらない。」
P219 「強い人に特徴的な習性は、(紀元前五〇〇年に孔子が言ったように)、「自分に及ばない友人は持たない」ことである。彼の助言が示唆しているのは、私たちは自分と同等かそれ以上の水準の人たちとだけ友だちになることによって、自分自身を向上させることができる、ということになるらしい。私たちをよりよい方向へ導くことは出来ても、悪い方向へ引きずることのない人びと、と言う意味である。確かにその通りで、私は更に付け加えたい。 自分が尊敬し、好意を持つ人に好かれれば、当然、自信がつくだろう。君も相手から尊敬され、好かれ、話し相手として、あるいは連れとして、求められていることがわかるからである。非情にうれしいこと、あるいは快いお世辞のひとつは、好意を持っている人から、何かの催しに招待されることで、それが特別の行事や親しい集まりであればなおさらである。」
P220 「「親友」とは何か? どう説明するのが最も的確だろう? 私の観察によれば、一緒に泣いてくれる人は多いが、心から一緒に喜んでくれる人は少ない。したがって、私の考えでは、親友は君の成功を、嫉妬心を交えないで喜べる人である。「すばらしい! もう一度やってくれ、その気になれば、もっとうまくいくから!」心からそう思ってくれる人である。」
P274 「いつだったか、私はこのような旅行中に、私流の問題解決の方法を君に話したことがある。なかなか決心がつかなくて、行き詰まったら、関連のある事実をすべて揃えて、その問題を君の心に預け、しばらく寝かせるといい。カヌーを漕いだり、釣りをしたり、獲物を追ったりしているうちに、時間がたてば無意識のうちに考えが整理され、まとまってくる。それはまるで、個人用の目に見えないコンピュータを持っていて、さし当たり何かをしている間に、君のお思いどおりに作業するよう、プログラムできるようなものである。これは必ずうまくいった。釣りや狩りの旅が終わりに近づくころには、問題の解決さくなり、行動指針なりが決まっている。それはしばしば直感的な解決で、そのためには、静かな自然の執務室ほど役に立つものはない。私には、自然はこの世の中で最高の経営顧問だと思っている。」
P287 「もうひとつ、最後に言わせてもらえるだろうか。これまでいろいろ言ってきたから、百万番目の助言になるだろうか? 「宴席で作法を守るように、人生の作法を守ることを忘れてはならない。ご馳走が回ってきて、自分の前に来たら、礼儀正しく一人分を取る。次にまわっていくのを滞らせることのないように。まだまわってこないうちから欲しそうにしないで、自分の前に来るまで待つように。子どもについても、妻についても、地位についても、富についても同じことである。」 この言葉を書いたエピクテートスは紀元五十〜百二十年頃の人である。その七十年の生涯は恐らく学問と教育に費やされたことだろう。この世に七十年生きながら、わずか八十語で、幸福な実り多い人生の完璧な形態を明らかにしている。考えさせられることではないか。 私は霊魂の再来を信じないが、もし彼の地でそういうことがあるとわかったら、君の息子として送り返して欲しいと願うだろう。君の父親であったおかげで、すばらしい人生だった。(私の墓石にそう刻んでくれてもいい)。 愛をこめて。 父さんより」@泣ける
いたるところで息子への深い愛情が感じ取れる。自分に父がいない分だけそれを強く感じるのかもしれないが、P287のラストの部分は、本当に泣けてくる。自分もこんな手紙を贈れる家族を、いつか持てたらいいなと心から思う。