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2008年10月16日
No.4 褌は締めるもの! シルシルミシル出演後記。
テレビ朝日の「シルシルミシル」で褌の特集が放映されました。
放送直後から、お客様より多くのメールをいただきました.これまで「褌屋」は多くのマスコミに取り上げられてきました。テレビ出演や、最近特に増えてきたエコに関する講演会に招かれるなど、自身考えもしなかったような仕事を与えられて居ります。
私は「褌」が決して過去の遺物ではなく、機能的で清潔で極めて快適な肌着である事を言い続けて来ました.
また「褌」が老人の物、国粋主義者やゲイの人たちの使うもので、もっと酷く言えば変態性欲者の使うものとまで言われた事もありました。私は,なんとかその、まちがったイメージを払拭したいと言い続け、書き続けてきました。テレビ出演など、出演料はほとんど出ないか、頂けたとしても驚く程の低額です。それでも、褌の良さを広められるならばと時間を割いて,喜んで出演させて頂いてきました。
今回のテレビ朝日の番組では、出演依頼のあったときからもう番組の流れが出来上がってしまっていました.私にはモデルに褌の締め方の指導と、締めやすい褌、締めにくい褌について語ってほしいとのことでした。
褌の締め方をきちんとまじめに紹介されるならばと出演を承諾しました。今まで「褌」を見た事も無いと言う若い俳優さんに六尺褌が自分で締められるようにご指導しました。ただ,締められるだけでなく、テレビカメラの前でかっこ良く男らしく締められるまでご指導しました.
4時間の時間を費やし、どうにかあの俳優さんの褌を締める画面を撮り終えました。
私のインタビューに関しては,ほとんど使われませんでしたが、あんなもんであろうと納得しています。ただ残念なのが、番組の流れで,最終的に「褌」が「お笑い」で終わってしまった事です.やっぱり「褌」は変態的だ、の印象を与えるような終わり方であったのが何とも残念です.
また、褌を愛好していると言う女優さんも、ネット販売の褌で大儲けしたと言った人も、「褌」を履くと発言されていました。褌は履く物ではなく.あくまでも「締める」ものです。些細な事ですがすごく気になりました。
それでも「褌王子」の俳優さんは器用に締め方を覚えてくれました.今後の大成を願っています。
2008年3月5日
No.3 褌屋10周年 ごあいさつ
褌屋はネット上で通信販売を初めて10周年を迎えました。
この10年をふりかえりますと様々な事が思い出されます。開設当初は私自身もこれほど多くの人が褌を愛好しているとは知りませんでしたし、今となっては不遜ではありますが、まさに片手間にできればと考えておりました。
しかし、いざ「褌屋」を開設してみますと、おおくのお客様から褌制作に関するご要望を頂きました。皆様が市販の褌に不満をお持ちの事も知りました.
その一つ一つが今日の褌屋の大きな財産となっております。
10年のあいだには多くの出会いがありました。
『褌ものがたり」をはじめとする著作で知られる、越中文俊さんからは全国に伝わる褌の逸話や伝説を教えて頂きました。先年の「ふんどしブーム」とやらの先鞭をつけたのも、この人かもしれません。時折おめにかかり、酒を酌み交わすのが楽しみです.
名古屋大学医学部の吉川羊子先生は泌尿器科を専門に研究なさっておられますが、同時に老人の介護医療にも携わっておられます。吉川先生は老人介護の専門家としての立場から褌を取り上げてくれました。私に公開講座の場で講演の機会を与えてくださり、医療や介護に携わっておられる方々に、褌と晒木綿の話をさせて頂きました。
おそらく公の場で褌が褌が取り上げられた最初ではないかと思います。
ロシア文学の翻訳家として知られる米原万里さんは女性の立場から褌を応援して下さいました.「パンツの面目ふんどしの沽券」(筑摩書房刊)には興味深いヨーロッパでの体験談などが載せられています。ある方を介してお電話を頂き、褌のお話をさせて頂きましたが、電話の向こうにおられるのが女性である事を忘れさせる程、気さくにストレートな話ができました。黒猫褌について、いろいろお尋ねがありました。
残念な事に一昨年急逝されました。私が上京の際、お目にかかる約束をしながら果たせなかったのがなんとも残念です.
個々のお客様にも、思い出の深い方がいらしゃいます。
開設当初、まさに大人買いで応援して下さった方。
九州の奥からひらがなばかりのお手紙で注文をくださった92歳のおじいさん。
イラクに派遣されるにあたって私どもの褌を持っていってくれた自衛隊隊員の方々.
中国の奥地でプラント建設に携わっておられる技術者のお客様。あの頃は中国も郵便事情が悪く、お手元に商品が無事に届くかどうか、送り手も受け取る側もはらはらしていました。少し、自慢話になりますが、おおくの有名人や著名人のお客様にもかわいがって頂きました、
日本を代表するプロ野球選手は、「緊張する試合が終わったあとは、越中褌一枚でビールを飲むのが最高のリラックス」と言ってくれました。高名な日本画家は奥様から細かい注文があり、政務に忙しい代議士のお客様からは秘書の方を通してのご注文があります。
まさに褌は老若や職業を問わず愛好家がいる事がわかります。
褌の制作にあたっても思い出があります。
すでに「褌屋店主のひとりごと1」で書きましたが今となっては楽しかった事のみ思いおこされます。
ただ、残念なのが「黒猫褌」を当店でお求めになった方から、黒猫褌はこんな形ではないといったクレームを頂いた事があります。よく伺ってみると、そのお客様は。いわゆるポルノショップで売られているような局部を覆うだけのような褌を「黒猫褌」と思っていたようでした。
「黒猫褌」は前にも書きましたように日本全体がまだ貧しかった時代に水着として作られた物で、私が古い実物を参考にしながら復活させた物です。この復活にあたっても50代以上の当時をご存知のお客様から「なつかしい」との言葉を頂きました。
ポルノショップで販売されているような趣味的な褌は決して「黒猫褌」ではありません。
このような誤解も「黒猫褌」の名称が復活したればこそ起きた誤解であるかも知れません。
また、褌屋をはじめた10年前、越中褌と六尺褌はすでに市販されていたと思いますが、もっこ褌は何度も作り直して、試行錯誤の上出来上がった、褌屋オリジナルです。そして黒猫褌は、ひとりごと1に書いている通り、見本や資料などなにもなかったところに、お客様から半世紀前の当時の実物をお借りでき、試行錯誤の上、製品化できたものです。まったくの当時の形のままです。
六越褌(割褌)は越中文俊さんとの対談で生まれたもので、わたくしはこの褌こそが褌最古の形をとどめているものと思っております。この褌はもともと割褌と呼ばれるものですが、越中文俊さんが六越褌はどうでしょうとのご提案をうけ、当店では六越褌と呼んでおります。
この3点の褌は、褌屋オリジナルであり、はじめて褌屋により商品化されたものであります。店主中田はこれらの褌の復活に褌文化を再起させた自負をもっております。あっという間の10年でした。途中量産を試みた事もありましたが、結局手作りに勝る物は無いとの結論に至りました.直営店での販売も試みましたがネット販売こそが当店の原点であると思いました.
今後とも「褌屋」をお引き立てくださいますよう心よりお願い申し上げます。
2008年1月3日
No.2 紅白歌合戦には落選でした!?
新年明けましておめでとうございます。
本年も「褌屋」をお引き立てくださいますようお願い致します。
昨年は有難い事に「褌屋」がマスコミに多く取り上げられました。
これまでもNHKをはじめ、いろいろなテレビ局からの取材依頼があったのですが、いずれも褌を興味本位でとらえているとしか思われない内容でしたので、心ならずもお断りをしてきました。
関西テレビ「フジヤマ☆スタア」の依頼では、バラエティー番組ではあるものの一つのテーマを深く探りたいという番組の姿勢に、これならば褌を再認識してもらえるチャンスでもあると思い出演を了解しました。しかし30分間出ずっぱりという事に不安もありました。
普段、テレビでしかみた事のないタレントの皆さんの素顔にも触れましたが、素人の私をうまく引き立ててくれました。30分の番組を作るための作業の大変さも知りました。放映されたインタビューは実際収録された内のほんの一部でしたが、非常にうまく編集されていました。
テレビ番組をご覧頂いたお客様から、その都度感想をお寄せいただき有難くお礼申します。
また、これは結果的に実現しなかったのですが、年末の「NHK紅白歌合戦」の司会者であった笑福亭鶴瓶さんの褌衣装をおさめさせて頂いておりました。
納期の余裕もなく、デザインや生地の制約もあって難しいご注文でしたが喜んで作らせて頂きました。
紐の部分を紅白の撚り綱として、広幅の越中褌を赤と白の二枚を作っておさめていましたが、ご注文頂いたテレビ局側からも実際着用するかどうかは当日までわからないと言われており、期待は半々でしたがやはり着用は無理なようでした。
褌一枚の着用に要する時間まで問い合わせがあって、紅白歌合戦の舞台裏が細かく秒単位でつくられている様子をうかがう事ができました。
しかし、紅白歌合戦の始まる直前のNHKでの記者会見では、笑福亭鶴瓶さんがこの褌を着用してくれていました。
また、一月三日の「きらきらアフロ」では全編を通して鶴瓶さんがこの褌姿で出演していて、本当に嬉しく思いました。
今年も皆様にご満足いただける品物をお届けできますよう精進したく思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
2004年6月18日
No.1-他店で販売中の褌で御心配をおかけしたお客様へ。
昨日、多くのお客さまからメールや直接の電話をもらった。
内容は、当店と同じようにネット上で褌の販売をしている業者が、褌屋オリジナルの「六越褌」と「黒猫褌」そっくりの商品を販売しているとのことであった。
いずれも、当店を心配した上でのことである。
この業者とは直接電話で話したことも有り、同業ということもあって決して私は悪感情を抱いてはいない。
結論から言おう。
自由経済の世の中にあって、同業者が他社の商品を真似たり、参考にすることは至極当然であり、なんら当店からクレームをつけるべきではないと考える。ただ、私自身、忸怩たる思いがないわけでもない。
古くからのお客さまは開設当初の「褌屋」の姿を記憶されているに違いない。
商品のアイテム数もわずかで、まさか今日の様に年間2万枚近くも生産し、海外にまで顧客が及ぶとは考えてもいなかった。
開設当初は私の頭の中は「褌」のことで一杯だった。生地をさがしまわったり、既製品を買い集めたりして参考とした。
ある日、京都寺町の古本屋の店先で明治時代の錦絵を見た。「芝居楽屋の図」と題された錦絵の中の役者が身につけている物こそまぎれもない「もっこ褌」であった。それまで「もっこ褌」の名称は知っていても、現物は見たこともなかったし、図書館に通いつめてもどんなものかわからなかった。試行錯誤をくりかえしながら、今販売している形におちついた。単に前袋のところを二重にすればいいだろと考えてつくって着用した所、ズボンの中では縄状になってしまって使い物にならなかったのを覚えている。「六越褌」は特に思い出が深い。
越中文俊さんとの対談の中でこれはうまれた。
私が「割褌」をつくる予定があると話した時に「六越褌」はどうかと越中文俊さんが名前をつけてくれた。
このとき越中文俊さんは「商標登録」しても良いですよ、と言ってくださった。
わたしは、いずれ「六越褌」が褌のスタンダードアイテムになれば良いと考え、このありがたい申し出を遠慮した。
[六越褌]の製作も手探りではじまった。有り難いことに高知県のお客様から、高知県立博物館におさめられている古い「割褌」の情報がよせられた。真偽のほどは定かではないが徳川家康が所用したと伝えられる「割褌」も見た。完成した時、越中文俊さんが大変喜んでくれたのが昨日の事の様に鮮明に記憶に有る。「黒猫褌」はあるお客様からの要望で作った。
私自身も子供の頃着用した記憶はあったが、製作しようとは思いもしなかったし、販売しても売れるとは考えられなかった。
お客様は「たんすの隅にしまってあったものです」と半世紀ちかくも昔の「黒猫褌」を送ってくれた。
粗末な麻の生地でつくられた「黒猫褌」は貧しかった戦後の日本を語っているようで、懐かしくもかなしさもあった。
同様の麻をさがしまわった。「今時分、こんな麻を織っているところはない」の返事とともに、「なつかしいなあ」の言葉もかえってきた。
こんなめんどうくさいものをわざわざ売らなくても、、と従業の者は口を揃えたが、わたしは意地でも商品化したかった。思い出すだけでもいろいろとあった。
しかし、いつもお客様にささえられた。今回の同業者の商品について、先に言った通りなんらクレームを言うつもりもない。
ただ、、寸法等におよぶまで あまりに似た形のものを作るならば、わたしのこれまでの褌の製作にこめた情熱を踏みにじられたような気がしなくはない。要は、業者の品格の問題である。
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