AERA 2008年10月13日号
米国発の金融危機の発端は、低所得者向け住宅ローンの破綻だった。
それと同調するように、欧州などで起きていた不動産バブルも破裂し、地価暴落の「津波」が地球上に広がりはじめた。
ロンドンは、世界不況のただなかでオリンピックを開催する都市になる。
2012年に開かれる当地3度目の五輪に向けて、街の中には槌音が響く。主会場となる東ロンドンのストラットフォード地区では五輪を契機にした大規模な再開発が進んでいる。
高級住宅地の点在する西ロンドンと比べて格段に所得の低い住民が多く住む東ロンドンでは、背の高い建物といえば低所得者向けの公営住宅と相場は決まっていた。しかし、いまでは高級アパートが目につく。
欧州の中でも不動産価格の上昇が著しかったこの街でいま、不動産価格が急落している。金融機関の集計によると、英国の平均住宅価格は昨年8月からの1年間で12・7%も下落した。
経済がグローバル化し、世界はすでに「完全連結」している。サブプライム問題に端を発した米国の金融危機は、長い好況を謳歌してきた欧州に飛び火した。
「この街は歴史上初めて不況下でオリンピックを開く都市になるんじゃないか」
ロンドンで不動産会社を経営する菊地邦夫氏は、大いに心配している。
五輪に向けて英国の不動産価格はまだ上がると楽観していた。物件を売るなら11年ごろと考えていた。ところが、サブプライム問題が表面化したとたん、英国の不動産市況は変調をきたした。菊地氏が最近のぞいた不動産関連のセミナーでは、講師のアナリストが、五輪までに不動産価格はさらに25%前後下がる、と予測してみせた。
菊地氏は「史上初」と言ったが、歴史を振り返ると、1932年のロサンゼルス五輪は大恐慌まっただなかの開催だった。選手の派遣を見送る国が相次ぎ、失業者たちのデモが会場をとりまいた。世界史に封印された忌まわしい光景が、4年後のロンドンでよみがえるかもしれない。
●家を手放す金融マン
すでにロンドン西部のホランド・パークやノッティングヒルでは、売却や賃貸の看板を掲げた住宅が目につくようになった。金融街シティーへ地下鉄で通勤しやすい立地だが、宴に酔いしれてきた金融機関のリストラが始まり、家を手放す人が増えている。
工事が中断する物件も珍しくない。イングランド中部の都市リーズでは、西欧でも指折りの超高層マンションが建設される予定だったが、資金難で業者が7月に開発を放棄した。いまは市街地に巨大な穴が放置されている。
オランダ206%、英国200%、アイルランド196%……。欧州各国では1990年代半ば以降、10年を超える長期にわたって不動産価格が上昇し続けた。米国の累積的上昇率が57%であることを考えると、欧州主要国の水準はそれをはるかに上回る。つまり不動産バブル崩壊の衝撃度は、日米両国よりも欧州のほうが強いのだ。
ニッセイ基礎研究所の石川達哉主任研究員が、主要国の不動産価格の上昇率を調べたところ、そんな結果が明らかになった(データ参照)。100%の伸びとは2倍、200%は3倍ということだから、欧州の不動産バブルがいかに激しかったかがわかるだろう。
スペインのように90年代以降に急速な経済成長を遂げた国は、バブル崩壊の深刻な後遺症に悩まされるに違いない。
陽光が降りそそぎ、深い青色をたたえた地中海に臨む都市マラガは、画家パブロ・ピカソの生誕地としても知られる。欧州中の人びとがバカンスを過ごしに訪れる有数のリゾート地だ。地中海を眺望できる山の斜面に林立する高層マンションの群れは、別荘を買い求
める人たちの需要を見込んで建てられた。
●リゾート地の「廃屋」
だが、この風光明媚な景勝地に今春以降、異変が生じている。建設途中のまま、放り出された格好の廃屋があらわれたのだ。せっかく完成しても入居者がほとんどない高級マンションもある。残骸のような建物が、高級リゾート地に姿をあらわした。
欧州先進国と比べて相対的に物価の安かったスペインには90年代以降、英独仏の投資家たちが目をつけて不動産投資を始め、ユーロ導入後はスペイン国内需要も急速に高まった。建設ラッシュで、首都マドリード郊外では水や電気の供給が追いつかなくなるほどだった。
ところが、英国同様こちらもサブプライム問題で急ブレーキがかかった。今年の新規住宅着工件数は、ピークだった06年の90万件の半数レベルにとどまる見通しだ。ラテン気質らしく「住宅価格は上がり続けると誰もが信じていた」(スペイン在住者)と楽観視されていたが、不動産価格はすでに反落し始めた。
それまでの高騰の勢いが大きかっただけに痛手も甚大だ。外国人労働者を大量に雇ってきた建設業界や、市場拡大で膨張した不動産業界は、潜在失業者を抱える羽目に陥っている。負の連鎖の拡大は計り知れない。
欧州では昨年4月にデンマークやアイルランドで不動産価格が下落に転じたのを皮切りに、いまでは統計のとれるすべての主要国で不動産価格が下がり始めている。
「値動きの早い株価と異なって、不動産価格の値動きは一方向に長引く傾向があります。上昇がきわめて長く続いただけに、おそらく下落局面も長いでしょう。3、4年は下落し続けると思います」
先の石川氏はそう見る。
高福祉社会を実現した北欧は、一方で重税国家として知られるが、石川氏によると、90年代以降、資産税や富裕税の廃止、住宅ローン減税といった税制上の優遇措置を通じて、持ち家率を高める政策誘導をはかってきた。
●元本減らないローン
それまで固定金利で住宅ローンを借りるのが一般的だった北欧諸国で、低金利を享受しようと変動金利が広がった。デンマークでは、長期にわたって利払いだけをし、満期時点に住宅を売るなどして元本を返済するという住宅ローンも登場した。月々の返済額が少なくて済む分、消費に回せるお金が増えて、経済を刺激し続けることができる。同様の非伝統的な住宅ローンは他の欧州諸国でも広がり、消費を下支えした。
米国では住宅の資産価値の上昇分に応じて借り入れが増え、それが旺盛な消費に回った。家を担保にカネを借りて消費に回すという「家サラ金」構造は、実は欧州も同じだった。世界同時に訪れた不動産暴落。そこで明らかになったのは、この「家サラ金」構造で経済成長を演出するのは、もはや不可能になったという点である。
■世界各国の地価上昇率と下落率
累積的上昇 ピークからの下落
オランダ 206.1% −0.9%
イギリス 200.7 −8.4
アイルランド 196.8 −16.0
ノルウェー 184.1 −2.2
デンマーク 164.5 −4.3
スウェーデン 139.7 −3.5
フランス 123.5 −2.9
スペイン 112.9 −2.8
日本 79.6 −55.1
オーストラリア 67.1 −2.7
アメリカ 57.3 −6.8
韓国 30.9 −0.9
※ニッセイ基礎研究所の石川達哉主任研究員の調査による。各国の公表された住宅価格を消費者物価で除した実質価格で上昇率を算出した