UNICORNⅡ lesson7
ユニコンⅡ lesson7
The Lesson of Easter Island
①
イースター島は地球上で人が住む最遠隔地の1つである。長さ22キロ、幅11キロしかなく、南アメリカから3,200キロ、人が住む一番近い島から2,000キロ離れた太平洋上にある。
1722年の復活祭の日に最初のヨーロッパ人がやって来た。彼らは島のあちこちで、その多くが高さ6メートルを超える600体以上の巨大な石像を見つけて驚いた。問題は誰が、なぜその石像を造ったかということである。島民自身はその答えを知らなかった。それゆえイースター島は“謎の島”として有名になり、その歴史を説明するためいくつかの仮説が立てられた。
1人の有名な科学者、ノルウェイのヘイエルダールは、この島に住んだ最初の人々は南アメリカの出身だったと考えた。彼らは偉大なインカ族のものと似た彫刻や石造物の伝統を持ち込んだ。その後、他の民族が西方からやってきて、それがもとでやがてイースター島の複雑な社会を破壊する戦争が始まった。1950年ごろ書かれた彼の学説はありえることのように思えるが、他の考古学者に一般的に受け入れられることは決してなかった。
②
多くの考古学者は5世紀ごろ最初にこの島にやって来た人々はポリネシア人だったと考えている。もとのポリネシア人は東南アジアから来た。
イースター島にやってきて、彼らは環境が厳しいことを知った。問題は真水があまりなく、気温がかなり高く、土地は彼らの主食であるタロイモやヤムイモを栽培するのに栽培するのに適していなかったことである。彼らは食用にサツマイモとニワトリしか育てられないことを知った。この質素な食事の唯一の利点はサツマイモの栽培とニワトリの飼育はかなり簡単だったことで、そのため他の活動をするたくさんの時間が残った。さまざまな島の氏族のあいだで大きな式典や儀式が発展した。このような資源のあまりない小さな島の割には世界でも最も複雑な社会が作り出された。氏族の過去の首長をあがめるためといったようなほとんどの式典は海岸近くに造られた大きな石壇である300あるアフの1つで行われた。
③
それぞれのアフに1体から15体の巨大な石像が設置された。石像はラノ・ララクの採石場で彫られた。最大の問題はどうやって島を横断してアフまで石像を移動させたかである。これをなしえたであろう唯一の方法は、まず地面に木を並べ、それから採石場からアフまで木の上を滑らす方法によってだったようである。これは多くの数の木を必要としたに違いない。
近年の科学調査により、最初に人が定住したとき、イースター島には多くの草木があったことが分かってきた。人口が増加するにつれ、イモを栽培する場所を確保したり暖房や炊事用の木材を調達したりするなどといったことのため木が伐採されたのだろう。しかし最大の需要は島で多数の石像を移動させることだった。
それぞれの氏族はおそらく権力と地位を誇示するためより多くの石像を欲しがった。彼らがより多くの石像を造ろうと互いに競い合い始めるにつれ、ますます多くの木が必要とされた。その結果、1600年までには島に木がほとんど残っておらず、いくつかの石像をまだ採石場に残したまま石像造りは終わった。
④
島から木がなくなったことによって島民の日常生活に大きな変化が起きた。建築に利用可能な木がなかった。人々は洞窟や簡単なアシの住居に住み始めた。
1つの疑問は、彼らがそのとき陥っていた困難な状況から逃げだすことができたのかどうかということである。けれども材木がなかったのでもはやカヌーは作れず、長旅には適さないアシの舟だけしか作れなかった。また材木は手に入らず、網は服を作るのにも使われていたクワの木からできていたので、漁はさらに困難になった。
木を伐採することは土にも大いに影響した。木がなかったので、いい土は大雨のあいだに押し流された。そのため食物を栽培するのがより難しくなった。入手できる食物が減ったので、7,000人の人々を養うのが不可能になり、人口が減少した。
1,600年のあと、かつては複雑だったイースター島の社会はどんどん原始的になった。カヌーがなかったので、島民は自らが招いた環境破壊のせいで遠隔地の住処から逃げだす手段を持たなかった。
残った食物をめぐり氏族間で戦争が始まった。しまいに人々は共食いを始めた。
⑤
なぜ島民は生き延びるのに必要な森を破壊したのだろうか?これは重要な質問である。イースター島の没落は島民によって引き起こされたのではなく、近隣の敵対する社会かあるいは干ばつやエルニーニョ現象のような気候の変化に襲われた結果として起こったのではないかと提唱されてきた。けれどもイースター島社会が築かれたあと、イースター島社会と接触した敵や味方がいたという証拠がない。それに今のところ大きな気候の変化があったという証拠もない。
島民が森や環境を破壊することで自らの運命をもたらしたという可能性が非常に高いようである。
イースター島と現代世界の類似点はきわめて明白である。グローバル化や国際貿易、飛行機、インターネットのせいで、ちょうどイースター島の数十の氏族がそうであったように、現在の地球上のすべての国々は資源を共有し、互いに影響しあっている。イースター島は宇宙の中の地球のように大西洋に孤立している。イースター島の島民は苦境に陥ったとき、どこにも逃げることができる場所がなかった。同じことが今日の私たちにも当てはまる。
しかし私たちの状況はある重要な一点で違っている。もし島民が石器や己の筋肉のみで自然環境を破壊したというのなら、質問は私たちが強力な道具や機械でどんな損害をもたらすだろうかということである。/