育ち直しの歌

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少年院から/15限目 ラップに挑戦=毛利甚八 (土曜文化)

 ◇垣根低く、やる気引き出す

 篤志面接委員として、大分県にある中津少年学院に出入りするようになって丸五年が過ぎた。

 月に一回、あいかわらず楽器やCDを車に積んで、少年院に行く。時折「どうしてこんなことをしているのかなぁ」と考えるのだけれど、不思議と苦役や奉仕活動をやっている意識はない。

 物書きとして、またアマチュアミュージシャンとして、自分の私生活に「少年院で少年たちに会う」という項目が自然に組み込まれてしまったらしい。こんな言い方をすると少年たちに失礼かも知れないが、「たまには温泉にでも行くか」という楽しみに似た月例行事になってしまったのだ。

 ここ三カ月ほど少年と一緒にラップという音楽をやっている。ラップはアメリカの黒人たちが始めた音楽で、リズム&ブルース(ソウルやロック)やブラック・コンテンポラリー(音楽性の高い歌謡曲)に飽き足らなくなった人たちが過剰な歌詞をマシンガンのように歌って、自分たちの日常や政治的な風刺を表現しようとしたものだ。最近は日本でもラップが盛んで、日本語でラップを歌う人たちが増えている。

 ラップに挑戦する気になったのは、ある少年がきっかけだった。

 多くの少年はウクレレ教室を心待ちにしていて、熱心に弾(ひ)くのだが、その少年だけが一人だけ超然として周りを傍観しているのである。声をかけてコードの押さえ方を教えている時は仕方なしにやっているのだが、目を離すと、ウクレレを人に渡して、退屈そうに下を向いている。

 なかなか喧嘩(けんか)が強そうだ。けっこうヤンチャなことをしてきたように見える。

 「こんなガキみたいなこと、馬鹿馬鹿しくてやってられっか」というセリフが、すました顔から聞こえてくるようだ。

 そこで、「××くんは、どんな音楽が好きなの?」と聞いてみた。

 「ラップです」

 「どんなミュージシャンの、どんな曲?」

 「DS455のナイト・クルーズ」という答えである。

 さっそく聴いてみた。甲高いギターの前奏、宇宙的な広がりをあらわすシンセサイザーのメロディ、コンピューターで打ち込んだドラム音の正確なビート、うねるベース、拍手。装飾音は多いが、思ったよりシンプルな楽曲だ。

人の男性ボーカルが、横浜あたりの町並みを自慢の外車で走りながら美しい夜景を愛でる若者の心を、ラップ特有の速射砲のような歌い方で歌いあげる。「空から小さな自分をみつめれば、いろんなことがあるけど、みんなが愛しい」という内容の、けっこう行儀のいい歌詞だ。ここに歌われている風俗やミュージシャンのクールで悪ぶった風貌が少年の好みなのだろう。

 めったに使わないベースを引っ張り出して、音をとってみる。CDのように高度なリズムは刻めないけれど、ルート音はなんとか弾(ひ)ける。驚いたことに、コード(和音)はたったのふたつだ。そしてコード進行はずっと一緒である。ギターのフレーズも二、三種類の組み合わせで、繰り返しがとても多い。

 「なんだ、盆踊りにそっくりじゃないか」

 これなら少年たちもできる。エレキベース、ベースアンプ、エレキギター、ギターアンプ、ウクレレ二台を車に積んで少年院に向かった。

 「これから××くんの好きな曲をやるからね」

 そう宣言してCDをかけると、彼はうっすらと笑った。

 他の少年はやる気満々である。ベースをやってみたいという少年が、さっそく弾(ひ)き始める。押さえる音は三つだけ。太いベースの絃を弾(ひ)きつづけられるかどうか、体力の勝負だ。CDに合わせて歌い始める子もいる。

 簡単なギターのフレーズを弾(ひ)いてみせ、「やってみる?」と声をかけると、××くんは照れながら席を立ち上がった。ギターを抱える。

 私はそのこと自体にびっくりして、とても感動しているのだが、その素振りは見せない。

 彼は熱心に練習をした。ただし、指がとても痛かったようだ。十分ほどすると、人差し指に制服の袖を巻きつけて、ひりひりする指をかばっている。ベースの子も悲鳴を上げる、太い絃を押さえる左手の指と弾(はじ)く右の指が筋肉痛でしびれるのだ。

 「どう? 聴くのと演奏するのでは大違いだろう。君たちが好きな音楽を支えているのは、ラスタヘアとか髭(ひげ)とかそういうファッションじゃないからね。ミュージシャンはみんな、指をひりひりさせながら練習をした人たちだよ」

 私の言葉が××くんにどう届いたのかはわからない。もしかすると私は、彼の大切な世界に踏み込んで、彼の世界を汚してしまったかもしれないとも思う。だから、彼がギターに触ったこと以上のことを求めようと思わない。

 ただ、他の少年たちにとってはラップをやることが新鮮だったようだ。元曲のキーを下げると、ウクレレのC(ドミソ)とAm(ラドミ)で弾(ひ)けるから、どちらも指一本で弾(ひ)けることもわかった。最初に考えたよりもはるかに垣根の低い曲だったわけだ。

 「ベース、ウクレレ、歌、拍手に別れて、どこかで発表してみない?」

 私がそう提案すると、「やる!」と元気な答えが返ってきた。

 次の練習にはボーカルマイクが必要になる。歌さえ堂々と歌えば、それなりの出来になると思う。

 きっと秋頃には、彼らの演奏が聴けるだろう。一曲を通して人前で演奏するというのは五年間で初めての出来事で、みんなのやる気は××くんのおかげである。

 こういうのが面白くて、やめられないのだ。<絵・吉開寛二>

 ※次回は10月掲載予定

毎日新聞 2008年7月19日 西部朝刊

毛利甚八(もうり じんぱち)
漫画「家栽の人」原作者、メールマガジン「月刊少年問題」編集長
 

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