だから技術者は報われない最精鋭部隊の行方ところが、それから10年ほど後に再会した彼は、まったく違う仕事をしていた。勤務先は子会社で、仕事はいわゆる間接業務。技術的な知識を生かす職場ですらない。名刺に刷り込まれた「理学博士」の文字が、なにやら空しい。事情を聞いてみると、会社が研究部門を大幅に縮小した結果だという。半導体に関しては、研究部門だけでなく事業部の開発部門もリストラの最中で、そちらに移籍することもかなわない。結局、こんな仕事をしているのだと自嘲気味に言う。 「そんな仕打ちを受けても黙って会社にとどまっているのが悪いのだ。すぐに会社を辞めなさい」と、中村氏なら言いそうである。残念ながら彼の場合は、東京から離れられないという家庭の事情があり、「地方の大学なら行き先もあった」らしいが、それもかなわなかった。ただ、「地方でもかまわない」という人でも、転身を遂げられた人は極めて少ないらしい。 理由は簡単である。ほぼすべての総合エレクトロニクス・メーカーが、歩調を合わせて研究開発部門を縮小し、同時期にやはり歩調を合わせて半導体事業部門の大リストラを敢行したからである。特に悲惨だったのが半導体プロセスを専門とする研究者や技術者だったようだ。 「社ではプロセスで最先端を目指す体制を見直して、設計重視にシフトすると言い始めたわけよ。ウチだけならいいけど、どこも同じ。つまり、日本という国レベルでプロセス技術者が大量にあぶれてしまった。そんな状況だがら、専門の仕事を続けられたのはほんの一握りで、ほとんどの人たちは泣く泣く職場を後にして、違う仕事をやることになった。それでも、若い人はまだいい。けど、自分みたいな中堅以上の専門家は、つぶしがきかないから行くところがないんだよ」 こうして、多くの該当中堅技術者たちは、営業や業務支援部門といった不慣れな部署に配属されていったのだという。実にもったいない話だと思う。半導体プロセスの研究開発部門は、かつての花形職場である。電子・物理・化学などを専攻した学生の多くが、当時花形だったエレクトロニクス・メーカーに就職し、その中でも選りすぐられた人たちが、憧れの半導体プロセス部門に配属され、日本の半導体産業が「世界一」と呼ばれるまでの隆盛を迎える戦力となった。 そして、その「最精鋭部隊」が日本国内で一斉に、不要のものになってしまったわけだ。そのとき1社でも「うちは今後、他社とは違って半導体プロセスを強みに生きていく道を選ぶから、関連技術者を大募集する」と言っていれば、その最精鋭部隊をそっくり手中にできたはずなのに。 「皇居前で切腹しろ」もちろん、すべての技術者が泣き寝入りしたわけではない。それを不服とし、自らの専門技能を生かすべく会社を辞めていった人たちがいた。多くの技術者の証言によれば、その大きな受け皿になったのが韓国メーカーだった。こうした人材を大量雇用することで、韓国メーカーは日本メーカーが蓄積してきた技術やノウハウを、短期間で習得することができたのだという。その結果として、日本メーカーの半導体部門はさらなる苦境に立たされることになるのだが。 一言でいえば、横並びの弊害である。半導体の権威である東北大学の大見忠弘教授に言わせれば、「それは経営者が頭を使わないから」ということになる。かつて大見教授は、このように嘆いておられた(日経ビズテックno.1参照)。 「かつて絶大な人気を誇っていた電子系の学科は、今や理工系学部の中でも最低ランクですよ。その卒業生も、せっかく何年も電子工学を勉強しながらエレクトロニクス・メーカーには行きたくないという。誰がこんなことにしたのか。もちろん、歴代経営者の責任です。トップになるほど頭を使わなくなるようですな。本当のことを言う実力のある部下を左遷し、上司の顔色をうかがう調整型の部下ばかりを周りに置くからでしょう。そんな経営者は全員、皇居前で正座して腹を切れと言いたい」 頭を使わないから、自分では決められない。だから、周りに合わせて自身の進路を決めてしまう。こうして、みんなで沈没していったというのが大見教授の指摘である。こうなれば、技術者は「自分の専門を生かすために会社を変える」というチャンスさえ奪われてしまう。海外にでも打って出ない限り、自身の技能を生かすべく会社を辞めることもできなくなるのだ。 そんな話を現役の技術者にしてみたら、「いろいろあったから、昔とは随分変わったと思いますよ」と言われた。「オンリーワンとか独自性とか、そんな言葉が会議で出てくるようになっただけでも進歩でしょう」と。 キーワード
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