ネットの一部では有名ないわゆる「
プチエンジェル事件」について。
この事件自体は記憶にある人も多いと思うが、当時世間では、女子小学生4人が渋谷で変態男に誘拐・監禁され、犯人の自殺によって解決した奇怪な事件として専ら話題になっていたと思う。
しかし実際には、この犯人は「プチエンジェル」という完全会員制の高級ロリコン売春デートクラブを経営しており、医者や弁護士、裁判官、会社社長、芸能人、政治家などを含む2000人の顧客に女子小学生を斡旋していたと言われている。これについては当初マスコミではっきり報道されたにも関わらず、すぐに沙汰やみになった。
数年前に知ってショックを受け、まとめかけたがそのままにしていた文章が見つかったので、あらためて整理して掲載。
2003年7月17日、4日前の13日から行方不明になっていた東京都稲城市の小学校6年生の少女4人が、港区赤坂のマンションの一室に監禁されているのを発見された。
少女たちは、逃げられないようにおもちゃの手錠とアイマスクをされた上で、手足に水の入ったポリタンクや鉄アレイをつけられていた。
容疑者は吉里弘太郎(29)という男で、警察が踏み込む前の晩に、室内にテント状に張ったビニールシートの中で七輪で練炭を焚き、一酸化炭素中毒で死亡していた。
吉里は女子高生数人をスカウトとして雇い、渋谷や新宿で「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」などと書かれた自分の携帯番号入りのチラシを配ってローティーンの少女を勧誘し、男性客に斡旋していた。このチラシは被害少女の一人の部屋から発見されており、警察が現場マンションに踏み込む手がかりとなった。
吉里は、売春行為以外に猥褻ビデオも販売して多額の利益を得ていた。吉里自身も過去に買春で逮捕歴があり、執行猶予中だった。また女子高生2名との買春容疑で前年3月より指名手配されていた。
以下は事件の経緯についての警察の発表。
7月上旬、少女のうちの1人が吉里らに渋谷で勧誘され、「会ってくれたお礼」として金をもらった。少女たちは吉里に「いつでもおいで」と言われており、それ以降も携帯電話で連絡を取っていた。
11日、吉里は所有していたフェラーリ2台を売却。
同日、ヤマザキという男が、現場となった赤坂2丁目のウィークリーマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」の最上階、1101号室を契約。間取りは2K。ヤマザキは吉里とは別の人物だった。
12日、吉里は都内のチェーン量販店で20リットル入りの灯油用ポリタンクと8キロの鉄アレイを購入。この際に練炭や七輪、手錠も購入したとみられる。
13日午前10時頃、少女たち4人が京王線稲城駅から渋谷に向かった。
午後1時頃、渋谷駅のモヤイ像前で吉里ともう一人の男によってタクシーに乗せられ、「自分の部屋を掃除して欲しい」と言われた。
マンションに着き、少女たちが掃除を始めると吉里の態度が豹変、「ここに来たことの意味はわかっているね」と言って少女たちに手錠とアイマスクをつけた。
携帯は取り上げられ、2人はマンションの脱衣室に、あと2人は別の洋室のベッド上に拘束された。食事は菓子類のみを与えられた。
2人は逃げようとするが失敗。手錠にポリタンクと鉄アレイをつけられた。
吉里はリビングでスタンガンで脅しながら少女たちを監視していた。
13日深夜の時点で家族からは捜索願が出されており、マスコミも16日未明から報道を開始した。
16日の深夜の時点で、既に吉里は自殺をしていたとみられる。
リビングから吉里の声が聴こえないので、手錠を外すことに成功した1人の少女が、裸足のままマンションに隣接した花屋に助けを求めた。
午後0時14分、花屋から警察に通報があり、40分頃には少女たちは保護されて渋谷区広尾の日赤医療センターに収容された。
吉里は死体で発見され、死後10数時間と判定された。警察は未成年者誘拐と逮捕監禁容疑で、被疑者死亡のまま吉里を書類送検した。
少女たちの服装は失踪当時のままで、着衣に乱れは無かった。
少女たちのうち2人は自分の名前が言えないほど衰弱していたが、1人がスタンガンで怪我していた他には外傷はなく、夕方には病院から警察へ移動し、家族と対面、自宅へと帰った。
事件を受けて翌日には渋谷で一斉補導が行われ、少年少女1500人以上が補導された。
その後捜査が進められ、監禁場所のマンションからは、被害児童とは異なる複数の女性の写真や名簿が押収された。また、埼玉県久喜市の吉里のアパートからは、1,000本以上の猥褻ビデオテープと2000名の名前を記した顧客リストが押収された。
吉里弘太郎は沖縄出身。B'zの稲葉似の整った容貌で、過去にホストクラブで2年間ホストのバイトをしていた他、大学時代は複数女性とヒモのような暮らしをしていた。ニューヨーク、パリに遊学経験があり、外国人の友人が多かった。自らもロリコン趣味で、多くのロリータデートクラブで「顔」のような存在だったという。
最近は都内のホテルを転々としながら優雅なホテル暮らし生活を送っており、事件前のひと月ほどは、渋谷の東急セルリアンタワーのツインで生活していた。
父親は元警視庁キャップで、朝日新聞の西部本社社会部長だったが、難病の頭頸部ジストニアを発症して1996年に自殺。東京芸大出身のデザイナーだった兄も1999年に自殺し、2001年には母親が自殺未遂をしている。
吉里本人も、持病の皮膚アレルギー性疾患で苦しみ、知人に死にたいともらしていたという。
事件は吉里の単独犯行とされ、本人も死亡したため、動機も不明のままになっている。
しかし警察発表をはじめ、この事件には当初から不審な点が数多く指摘されてきた。
・警察発表の方法では、テントのビニールが溶けてしまい、練炭による窒息死は困難だという。またビニールテント内は非常に高温だったにも関わらず(事件が起きたのは真夏)、吉里の遺体には火傷や暴れた形跡がなかった。
(※その後の2ちゃんねるの有志やNTVの番組「バンキシャ」などの検証では、テント内からしっかりと目張りをし、椅子の下に練炭をおいて熱で焼かれないようにすれば可能だともされている。)
・吉里は遺書も残しておらず動機も不明なのにも関わらず、司法解剖をしないまま自殺と断定され、すぐに書類送検された。
・少女たちの目撃証言などから、自殺した容疑者以外に客引きの女子高生、運転手、部屋を借りた「ヤマザキ」の、最低3人の共犯者がいるはずである。また、部屋から最後に男女2人が出て行った、吉里は2人から「社長」と呼ばれていた、という証言もあるが、すぐに吉里の単独犯と断定された。
・少女たちの証言と押収品に食い違いがあり、時間経過と共に拘束方法や部屋の状況などが二転三転している。
・脅しに使われたというスタンガンが押収品の中に見当たらなかった。しかしそれを指摘するネット上の書き込みがされた翌日、スタンガンが部屋から発見された。
・ポリタンク(水を抜けば逃げられる)という報道が、いつのまにか逃げられない鉄アレイに変わっていた。
・ビデオカメラは当初現場から発見されなかったが、22日発表で「車から発見」された。
・「ヤマザキ」が預かっていたロッカーの中身にはマスコミは全く触れず、続報もない。
・花屋の証言も変化。当初は少女が窓から助けを求めていた、と証言したが、その後、花屋まで少女が駆け下りてきた、と変わった。
・花屋は表通りと反対にあるので、花屋の方角へ逃げるのは不自然。
・花屋は、駆け込んできた少女を見たのは2度目だと証言している。
・現場のマンションの床や壁は非常に薄いにも関わらず、少女たちが騒がなかったのはなぜか。
・マンションの管理人が何人もの小学生の出入りに気づかなかったのはなぜか。
・16日の時点では少女たちが自由に外出できたという情報がある。少女のうち2人が近所の郵便局のATMに金を下ろしに行った姿が、防犯カメラに記録されているともいう。
・部屋の中に100万円の現金があったのに、吉里が少女に金を下ろしに行かせたのはなぜか。
・4日間も監禁拘束されていた少女たちは、その間トイレをどうしていたのか。
・吉里らの顔を既に見ている少女たちになぜアイマスクをさせたのか。
・少女は花屋に自分たちのことを「渋谷の」と言ったと花屋は証言している。それが本当なら、少女はテレビ報道を観ていた可能性がある。目隠しをされていたのにテレビを観られたのか?
・七輪と練炭を誰がどこから買ったのかまだ確定できていないにも関わらず、吉里の計画的な自殺とされている。
・七輪と練炭を買いに行った(吉里以外の)人物がビデオで確認されているという情報もある。
・「自殺」と断定した理由は、監禁以来吉里が「一度も外に出なかった」からだとされているが、新聞報道では「少女たちの話では、吉里容疑者は監禁中に何度か外出した」となっていた。
・吉里が児童ポルノ法で「指名手配」されたのは7月16日からだったという報道の一方で、「以前から指名手配されていた」という報道もなされた。
・事件の前後、ゴミ捨て場にあった少女ポルノのチラシを警察に届けた人物が居たが、揉み消されたという情報がある。
・事件の2年前に、既に顧客名簿の一部が流れていたが、警察は捜査しなかったという情報がある。
・マスコミは、事件現場が赤坂であるにも関わらず、当初「渋谷」と報道した。また渋谷の街に出入りする小・中学生の生態についての興味本位の報道が続いた。
・また、直前に長崎で12歳の中学生が子供を殺害したという事件と関連づけて、少年少女の性の乱れに焦点が当てられ、小学生援交、ロリコンマニアについてのいかがわしい報道も目立った。
・鴻池祥肇防災担当大臣の「どちらが被害者だかわからない」との発言も、そうした傾向に拍車をかけた。この発言については、少女を金で買う側には責任がないとするものだとして批判が起きる一方、鴻池は事件の真相の一部を耳にしていてつい口を滑らせたのだとも言われた。
・当初マスコミは、顧客リストに裁判官、医者、弁護士、政治家らの名前があったと報道した。しかし顧客の大半が偽名、という事で捜査は終了した。偽名なのになぜ職業や肩書きがわかったのか。またリストにあったはずの連絡先電話番号の調査は行われたのか。
・押収されたビデオには、顧客らしき男性と少女の性行為が映っていたという情報もあった。これらのビデオはその後どうなったのか。
・マスコミはこれらの不審点を追求せず、報道をぴたりと止めた。また当初事件を追っていたサイト「サイバッチ」の続報もぴたりと止まった。
・未成年者の行方不明は即日情報公開が行われるのが通例だが、この事件では16日夜になっても公開捜査のゴ― サインが出なかった。
・捜査一課が同じ16日に、吉里に別の容疑で逮捕状を取っていたのは偶然にしては出来すぎている。
・当時、警視庁の少年育成課は、吉里の携帯電話の番号が少女宅から出てきたと明かしており、それだけの決定打がありながら、吉里を誘拐容疑ではなく別件で追ったのはなぜか。
・事件解決のために数日間で捜査費が1000万円ほどかかったという情報がある。何にそんなにかかったのか。
死んだ吉里には、35億とも報じられた膨大な財産があった。フェラーリ2台を乗り回し、赤坂プリンスなどの高級ホテルの宿泊費1か月分を現金払いするという派手な生活を送っていたとも言われる。資産家の息子でもない病弱な29歳の青年が、売春の斡旋だけでどうやってそれほどの大金を手に入れたのか。
プチエンジェルは年会費は60万、少女との性行為は5万円から。吉里への礼金は、女の子一人あたり小学生は3万、中高生は1万。事務所は現場の赤坂のマンションではなくホテルの一室だったという。
雑誌『実話GON!ナックルズ』の記者が取材したところによると、少なくとも14名の女子高生が吉里にスカウトとして雇われており、彼女らの話を総合しただけでも、約120人の女子小学生が「バイト」に応じていたことがわかった。
アングラ情報によれば、吉里の経営していた「プチエンジェル」以外にも、同様のロリータデートクラブはいくつか存在するが、「プチエンジェル」はその中でも「質の良さ」で評判だったという。
吉里の顧客リストには、裁判官、医者、弁護士といった社会的地位の高い人物が含まれていたとも言われた。警察情報を基にしたあるテレビ報道では、顧客リストには政治家やその秘書、財界の有名人からタレントまでを含む各界の名士がいたとされた。警視庁の大物がいたとも言われる。
吉里と一時事務所を共同利用していた人物には、芸能人との交友で知られる六本木の有名クラブオ―ナ―もいた。
「プチエンジェル」について知る都内のロリコンビデオ業者は、「吉里の人脈は凄かった。自民党の大物代議士の名刺まで持っていた」と語っていたという。
赤坂界隈には政治家専用の売春クラブがあると噂され、かつて石原慎太郎がその存在に言及したこともある。その中には「ロリコンクラブ」もあると言われる。
吉里は、小学生に売春をさせる一方で、客が小学生を抱いている写真やビデオを撮影し、時にそれを使って恐喝まがいのことをやっていたという情報もある。
ちなみに、事件発生当時、2ちゃんねるのプチエンジェル事件関連スレッドでは、TBSや衆議院など、赤坂周辺のドメインからの「fusianasan」書き込みが続出したという。
(※2ちゃんねるには「fusianasan」という「引っかけ」機能があり、「個人情報が漏れているので、名前欄に「fusianasan」と記入すれば匿名が保持できます」という言葉に釣られてうっかり「fusianasan」と入力すると、リモートホストが表示されてしまう。)
事件から約2ヶ月後の03年9月12日、東京都江東区の東京国際展示場(東京ビッグサイト)前の東京港で、「柏原蔵書(かしわばら・くらがき)」の名前で活動するフリーのルポライター、染谷悟氏(38) の死体が浮いているのが発見された。
染谷氏は、服の上から上半身を鎖で、手足をひもで縛られており、背中8ヶ所を服の上から刃物で刺され、頭部2カ所を殴られていた。遺体は岸壁から数メートルの水面に浮き、腰には潜水用のベルト型の重しが付いていた。
染谷氏はプチエンジェル事件について、週刊誌『フライデー』誌上で「《総力特集 少女・少年「夏の事件簿」》【小6少女監禁事件】4人を弄んだ“鬼畜”の素顔」と題する特集記事の中で、「自殺社長【吉里弘太郎容疑者】が経営した「ロリコンDCデート・クラブ」驚愕の【裏メニュー】」という記事を執筆していた。
染谷氏は新宿・歌舞伎町で活動する暴力団や中国人犯罪の取材を続けており、「歌舞伎町アンダーグラウンド」と題する著書もあったが、ペドフィリア(小児性愛者)の政治家たちのネタを掴んでいたとも言われている。
[追記]
04年1月、染谷氏を監禁・殺害したとして、豊島区東池袋、鍵会社元社長で元暴力団員の桜井景三(42)、元潜水士の熊本恭丈(31)、藤井亮一(34)ら3人が逮捕された。主犯格の桜井は、「木原武士」の名で鍵業者の養成学校を開くなどして新聞やテレビにも頻繁に取り上げられていた鍵の専門家だった。
桜井は動機について、「鍵業界の内幕について書かれた染谷氏の著書『歌舞伎町アンダーグラウンド』の中で犯罪者扱いされて腹が立った」「染谷氏が謝らないので殺すしかないと思った」と供述。3人は9月6日午前0時ごろ、豊島区内の飲食店で染谷氏を発見してレンタカーに押し込み、桜井が所有する新宿区内のマンションの一室に監禁して暴行を加え、染谷氏がぐったりしたため6日夜から7日未明にかけて江東区内の東京港岸壁に運び、作業船上で刃物で刺して殺し、死体を海に沈めたとされる。
東京地裁は05年、桜井に懲役16年、熊本に懲役14年を言い渡した。
参考:
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不明の小6女児4人、手錠姿で発見−監禁か(夕刊フジ)
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プチエンジェル事件の真相 解決されることのない少女買春の闇 (『実話GON!ナックルズ』増刊)
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「プチエンジェル」(渋谷赤坂女児監禁事件)4人は生きている (カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記)
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赤坂・小学六年女児監禁事件の深奥 (インターネット行政調査新聞)
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鍵業者の男ら再逮捕 東京のフリー記者刺殺事件 (産経新聞)
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刺殺されたフリーライター、周辺でトラブル多発・借金取り立て厳しく、逃げ回る日々 (ZAKZAK) ※フォローアップ投稿にも注目
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『「復讐請負人」と書かれ筆者を殺害』はウソかも? - 染谷悟さん殺害
(※当ブログの記事は、全てネット上の複数のソースを再構成することで書かれています。
独自の取材などは一切していませんし、全てただの伝聞、噂、推測に過ぎません。
その旨ご了承ください。)