天木直人『さらば外務省』に見る小和田恒

2006-02-27 05:24:40 テーマ:家系・血脈に見る小和田雅子

【出典データ】
タイトル:さらば外務省
著者:天木直人
出版社:講談社
出版年:2003年10月
ISBN:4062121093


小和田恒については、出張先で夜中「缶切りをもってこい」と要求があり、持っていくと「その缶切りを試したかい」と質問があり「試してない」と答えると、そのままドアを閉めてしまったという、ただそれだけである。いったい何?詰めの甘さを指摘されたということだし、一事が万事なのだろうが、それにしても次元の低い話だ。

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2006-02-26 23:54:35 テーマ:家系・血脈に見る小和田雅子

噂の真相 1993年 4月号
皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪のルーツを徹底追跡!


【要約】
祖父・江頭豊こそ水俣病を タレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、六年前、一旦浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、その存在 が最大の理由だったといわれている。


1988年の初め、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チ ッソの件が付随しますから、お諦めください」と進言していたことを、 後に富田自身も認めているほどだ。


ところがその5年後、小和田雅子は再び妃候補に浮上し、今度はそのまま皇太子妃に決定。宮内庁は内定に際し、自らこのチッソ問題をこう説明した。


「江頭氏は社長といっても水俣病が発生した後に日本興行銀行から派遣されたもの。公害病発生とは無関係で責任はない」


「水俣病は既に和解が進んでおり、解決済み。地元でもチッソについて悪い反応はなくなっている」

 

管野弘夫東宮大夫や山下和夫東宮侍従長が内定前から、記者相手のブリーフィングなどでしきりに『江頭氏に責任はない』ということを強調していた。水俣病といかに無関係かを説明する幹部もいた。さらには藤森昭一宮内庁長官が、会見で正式に『(江頭氏に)法的責任がないことが判明した』と言明したのも異例中の異例。


しかもマスコミは宮内庁のこうした説明にいっさい疑義をもつことな く鵜呑みにし、言い分をそのままたれ流した。



江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、1962年。64年には副社長、同年暮れには社長に昇格している。公害<発生時>にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおりかもしれない。むしろ、江頭は水俣病問題の処理のためにメインバンクの興銀から送り込まれたカタチになっている。


しかし、実はその江頭のやった「処理」こそが問題なのだ。前述した熊本大学だけでなく、厚生省水俣食中毒部会までが「原因は有機水銀」との答申を提出。胎児性水俣病までが発見され始めていたのにもかかわらず。江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自らの工場排水が水俣病の原因であることを一切認めようとはしなかった。そればかりか、「見舞金契約」をたてに患者といっさい交渉を持とうとしなかった。


驚くべきことに江頭チッソはそのまま66年まで水俣湾に水銀を延々とたれ流し続けたのだ。排水を完全循環方式に改良して、水銀放出をストップするためにかかった費用は、わずか費用は50万円。この50万円を出し渋ったのだ。少なくとも62年から66年までの4年間については、江頭自身が殺人行為に加担していたことは、事実。


江頭チッソがようやく自らの責任を認めたのは、水俣病発生が発覚してから10年以上も経過した1968年のこと。これも江頭自身の自発的な判断ではない。この年、政府がついに水俣病の原因はチッソ廃液だと正式見解を発表したため、対応せざるをえなくなったのだ。
 

「補償は誠意をもって話し合う」というセリフの舌の根も乾かぬうちに、江頭はさまざまな画策を始める。「死者1300万円、生存患者年金60万円」という患者側からの補償要求額の提示にはいっさい回答せず。以後も保障問題に誠意を持って応えることはなかった。妥協案として患者が「ひとり当たり100万円の仮払い」を要求すると、これもにべもなく断った。


結局のところ、この間、江頭は水俣病患者にたいする補償交渉などしなかった に等しい。交渉から逃げ回り、ただただ「金額決定」の引き延ばしを図り続けただけである。


そもそも江頭がチッソに専務として興銀から派遣されたのは、チッソの出遅れ過ぎた石油化学事業(当時の金額で150億円を投下しようとしていた)に対す「興 銀の資本投下」を成功させることだった。そして江頭は、行員の低賃金を維持させる方針を打ち出す。これに反発する労働者の争議を叩きつぶすために江頭らは権謀術数を使って組合を分裂させる。これがもとで従業員同士、市民同士が分裂し、のちのちまで市が二分された「安賃闘争」が発生した。
 

社長に昇格すると、今度は合理化という建前で労働者の首を切っていった。その際にターゲットになったのが、患者を支援する第一組合の組合員。いきなり「千葉工場への配転」を通告するという卑劣な作戦だった。地元出身者が圧倒的に多いチッソ労働者にとって、他の工場への転配=辞めろということなのだ。


企業経営の合理化のためには、弱者を平気で切り捨てていくという、まさに銀行マン的な江頭の発想に、チッソの労働者も水俣病患者も犠牲になったのである。

江頭豊~その1

2006-02-26 23:26:34 テーマ:家系・血脈に見る小和田雅子

江頭豊とは、雅子氏の母方の祖父。婚約が明らかになった時、何度も何度もテレビ画面に映し出された小和田雅子の実家は、母の実家、つまり江頭家と同じ敷地内に建っており、小和田恒は実質上の入り婿のような家族構成になっている。

 

皇太子妃選びに、水俣病問題が大きく関わっていたことは、皇太子本人も会見で口にしておられ、衆知の事実である。

 

水俣病という大きな問題に、加害者側として関連している家系から、皇太子妃を選ぶことに疑問を持った人も多かったが

 

「江頭豊氏がチッソの社長等に就任した時期等の関係から、水俣病の発生に直接関係ない」

 

この説明をそのまま信用してしまった国民も少なくないはずだ。しかし、この発表には裏があった。「元・チッソ会長」と紹介されたが、 「現・相談役」であることには言及されなかったからだ。皇太子の成婚時(平成5年)、まぎれもなくチッソの相談役であった。

 

「祖父と孫は別人格なのだから、そのことを理由に批判されるべきではない」という意見を持っている人もいるかもしれない。だが、未来の皇后のごく近い血縁者がどのような人物なのか。「天皇は象徴」と憲法に謳われている限り、無視できない問題なのだ。


チッソ江頭豊のしたこと:
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html
【江頭豊の責任】
・水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
・患者や家族に謝罪したが補償に応じようとはしなかった。
・謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した。
・患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。(会長時代)