このように日本丸は、
(1)共産主義の崩壊という第一の海流、
(2)人間を機軸とした主体の頭脳産業の勃興という第三の海流、
(3)人類が未だかつてない人口動態の変化という第三の海流
に取り巻かれていることがわかった。
では、この三つの海流を乗り超えなければならない日本丸は、どんな船でありどんなところへ向かうべきなのであろうか。日本国が21世紀という「偉大なる探検」を行うにあたって、現在の日本社会はどこからどこへと向かうべきなのか、前田ゆうきちによるニッポン・ビジョンの基本コンセプトはなんであろうか、基本政策を述べる前に言及しておく必要があろう。
近代世界システムにおいて、ある秩序が国家と呼ばれるためには、その秩序に何らかのパワーが存在したときに、はじめて国家となる。この国家のパワーは、ひとつに、「モノを作る力」である経済力・「モノを壊す力」である軍事力など、相手方に直接働きかけて行使するハード・パワー・がある。そして、もう一つの国家のパワーは、教育システムや、情報システム、資本主義・民主主義のインフラを支えるパブリック・インテレクチュアルといったシステム統合力とでも言うべきパワーである。つまり、間接的に相手方に働きかけることにより、相手方が自発的に当該システムに適合してくるパワーであり、一般にソフト・パワーと呼ばれている。
この三つのパワー概念は、どちらを重視するかにより、人類の歴史上、それぞれ異なった世界観を生み出してきた。
一つは、ハード・パワーにこそ国家の源泉を求めるものであり、近世初期からヨーロッパに見られる、戦争を軸として勢力均衡を求めるパワー・ポリティクスに基づく世界観である。もう一つは、ソフト・パワーにこそ国家の源泉を求めるものであり、覇権主義と同じく近世初期に成立した江戸社会にみられる、モラル・ポリティクスに基づく世界観である。ハーード・パワーを軸にする世界観のもとでヨーロッパは、1480年から1940年の間278回もの絶えざる戦争の歴史を歩んできた。その−、方で、ソフト・パワーを軸とする世界観のもとで近世日本は太平の世を謳歌した。なぜ、同時代にこのようなまったく異なる世界観に基づく国家形態が生まれたのであろうか。
日本とヨーロッパは、18世紀まではともに旧アジア文明からすれば、後進地域であり、旧アジア文明に対する貿易に関してはいえば、輸入超過による赤字貿易であった。しかし、19世紀に入ると、ヨーロッパはヨーロッパ・アフリカ・アメリカを結ぶ三角貿易による大西洋経済圏を確立し、日本は国内での陸地自給圏を形成することによって、ともに貿易赤字を解消し、経済的には自給自足を達成する。これは、日本・ヨーロッパ諸国が生産革命を成し得たことを意味する。生産革命とは、ヨーロッパにおいては資本集約・労働節約型のいわゆる「産業革命」といわれるものあり、日本においては資本節約・労働集約型の「勤勉革命」といわれるものである。この三つの革命によって、人類史上はじめて生産志向型の経済社会がユーラシア大陸の両端に誕生し、旧アジア文明圏への経済的依存体制から脱却する。その結果、政治的・文化的にもアジア文明圏から離脱し、独自の新しい二つの「脱亜文明」が登場した。
しかし、この二つの脱亜文明が歩んだ道は全く異なったものであった。それは、脱亜の相手であるアジアの違いにある。ヨーロッパは、環インド洋に広がるイスラム文明圏からの離脱を成し遂げたのに対し、日本は環シナ海のアジアである中国文明圏からの離脱を成し遂げた。
イスラムの世界には「戦争の家」と「平和の家」という世界観が奉り、この世界観をもとにヨーロッパでは「戦争と平和の法」に基づく国家体制を確立し、国家が交戦権を主権のひとつとして持つという軍拡路線が導かれた。その結果、防衛の名のもとに交戦権が行使され、平和とは単に戦争のない状態とされた。暴力装置をもった主権国家間の勢力均衡を「戦争の法理論」で規制しつつ、ヨーロッパ各国はハード・パワーこそが主権の構成要素であるとし「富国強兵」政策を遂行した。
一方、明中国には華夷(文明と野蛮)に基づく世界観があり、この世界観の影響のもとに江戸社会においては身を修めて徳をつむことが権力の正当化の基本となり、軍縮こそがこの世界観の必然的帰結となる。
このようにして、ユーラシア大陸の両端に、同時期に「戦争と平和」に基づくパワー・ポリティクスを掲げるヨーロッパ文明と、「文明と野蛮」に基づくモラル・ポリティクスを掲げる江戸社会が生まれたのである。
しかし、日本は明治以降国家百年の大計としてハード・パワーに基づく「富国強兵」政策に転換した。確かに、この国家百年の大計により、アジアのほとんどの地域が西洋列強諸国に侵略される中で、唯一独立を守りかつ経済的成功をおさめることができたといえ、明治維新後約一世紀強の間においてはきわめて優れた政策であったといえよう。しかし、核の脅威・環境破壊・難民・人種差別・民族紛争・南北格差といった人類が直面している重大な問題はみなヨーロッパ文明型のハード・パワー重視のシステムに起因している。ハード・パワー型の世界システムは、これらの問題を解決し、21世紀という荒海に耐えることのできる船ではないことが、究極のハード・パワー・システムである共産主義の崩壊を見ても、明らかであろう。
一方、日本は、21世紀を迎えるにあたって、自国の歴史的遺産を正当に評価し、すばらしき伝統を充分に使いこなしているであろうか。21世紀の未来社会は、近世江戸社会をグローバルな観点から日本の伝統を見なおすことによって、世界的諸問題を解決するべき時にきているのではないであろうか。
江戸の香りが残る明治初期の日本を訪れたヨーロッパの人々は日本の農村風景に感嘆し、その教養の高さに驚いたといわれる。日本は、訪れた西洋人に生活景観・自然景観が美しいという強い印象を与える国家として、そして高度の教育を受けた人々の住む国家として、近代世界史に登場したのである。日本と西洋との出会いは「力の西洋」と「美の日本」の遭遇であった。日本は花と緑の繰り成す庭園の島国として登場し、西洋人を魅了したのである。この豊かな自然環境という「美」と、高度に教育された人々という「ソフト・パワー」こそ、日本国・日本国民のアイデンティティなのであり、21笹紀の未来国家像の基本コンセプトと考える。