私 の 主 張

はじめに

 日本は、静かでゆっくりとではあるが、しかしかつてないほどの「危機」への路を歩みつつある。経済的には、回復の胎動が見られるとはいえ、1998年度のGDPは2パーセント前後のマイナス成長であり、97年の山一証券の自主廃業・北海道拓殖銀行の破綻、続いて、98年の日本長期信用銀行・日本債権信用銀行といった大手銀行が破綻し、その金融不安の影響を未だ引きずっている。政治的には、自民党・自由党・公明党からなる三党連立巨大与党政権が成立し、政治権力を特定の団体の既得権益を擁護するために行使し、「真空」総理の下で何のビジョンもなく、また、十分な議論もなく様々な重要政策・重要法案を議決していく。
 一方、世界に目を向ければ、1997年7月タイのバーツ暴落から始まり、韓国・インドネシアへと広まったアジア通貨危機が発生し、中国と台湾の軍事的対立・北朝鮮の軍事的脅威といった周辺有事が現実のものとなる危険性が高まっている。

 時代のターニング・ポイントにおいては、従来の政策や戦略は通用しない。1990年代初期に、株式市場及び不動産価格の暴落を経験し、それから1999年に至るまでの日本政府の行動がそのことを証明している。従来型の政策や戦略を用いた結果、第二次世界大戦後の50年間、最も急速な経済成長を誇っていた日本が、今や最も成長率が緩慢な国となってしまった。
 ターニング・ポイントを迎えたとき、それまでの環境の下で最も成功を収めたものほど、成功をもたらした心地よい環境にしがみつき、環境の変化に応じて変革していくことを、意識的であれ、無意識的にであれ、拒絶していく。変革の必要性を真に気づくのは、最後の最後である。現在の日本は、このような状況にまさに置かれているのであり、変革のタイムリミットは刻々と差し迫っている。このような「危機」の下では、いままで通用していた旧式の政策や戦略のもとで闊歩し、特殊団体の強い影響が見られる守旧派議員には、日本再生は不可能であり、来るべき21世紀の日本を任せることはできない。

 しかし、「危機」は、脅威でもあるがビッグ・チャンスでもある。このビッグ・チャンスをつかむものは、歴史上「探検家」「冒険家」と言われてきた。この探検家・冒険家として成功した者には、共通の三つの特徴が見られる。
 その一つは、創造性である。未知の領域を探検することと創造性とは不測不離の関係にある。なぜならば、暗闇の未来に光をもたらすことができるのは、豊かな創造力をもって光をともすしかないからである。この創造性がないと「危機」への対処の仕方が不明となり、右往左徒するだけである。
 成功する探検家に必要とされる第三の特徴は、ビジョンを持つことである。21世紀という未知の大海へと旅立つには、ビジョンなくしては不可能である。今日の世界環境は、突然の変化、そして時には激しい嵐にみまわれる。この荒海において、何らかの長期的ビジョンなしには、うまく舵を取ることができない。

 日本は戦後のビジョンとして、西洋に追いつくという、ローカルなビジョンではあるが、明確なビジョンを掲げた。このビジョン自体は強力なビジョンであり、日本人全体が一致団結し、歴史上最も目覚しい経済的復興・発展を成し遂げた。このローカルなビジョンを達成する方法は、創造性をもって独自の画期的技術を発明するといったものではなく、極めて単純であり、西洋をみて、まねて、改善することであった。しかし、21世紀を迎えるにあたって状況は】一変した。今や日本は世界第二位の経済大国となり、政治的にも国連常任理事国入りを取り沙汰されるようにもなった。
 今、日本が自らに問い、また世界に問われていることは、日本が国際社会において、どんな地位を占め、どんな役割を果たすべきかというビジョンを示すことである。裕福な工業先進国に追いつくという過去のビジョンはもはや役に立たない。これからの50年間に、日本にとって必要と思われるビジョンは、二つの部分からなる。第一は、世界をどのように導くべきかを提示し、いかにして世界秩序の構築に携わるかということと、第二は、日本の描く世界像の中において、日本は如何なる国家として自らを位置付けるべきかという点である。

 来るべき衆議院選は、日本がローカルなビジョンを捨て、新しいグローバルなビジョンにとりかえることのできる最後のチャンスであり、21世紀における日本のビジョンを実行に移す「偉大なる探検」への船出なのである。この「偉大なる探検」に必要なビジョンを以下に提示し、21笹紀における日本の未来像を描き出し、前田雄吉の公約とし、必ず実行することをお約束する。

日本のおかれた状況 [ 三つの海流 ]

 しかし、「偉大なる探検」を成すためのビジョンを描くためには、目標とする冒険の地、ニュー・フロンティアに至るまでの航海がどのような海流によって環境の変化がどのように生じているか、現状を知る必要がある。しかも、近代世界システムのターニング・ポイントである現在の変革期には、経済のハリケーン・経済の津波とでも言うべき多くの異常な事態や不可解な現象が生じている。
 日本のおかれた経済状況を論ずるならば、以下に掲げる三つの地球規模にわたる「海流」の大変動によって、日本経済は大変革の時期に直面しているといってよい。

 第一の海流は、共産主義の崩壊である.共産主義に支配されていた世界人口の三分の一(約19億人)、地表面積四分の一が資本主義の世界へと入り込んできた。この共産主義崩壊は、これまで資本主義諸国にとってアクセス不可能であった巨大な地理的領域が世界に向かって開放され、優良な天然資源および優秀な人的資源の宝庫が、世界的規模で資本主義に参入してきたことを意味する。この結果、新に19億人の人々が、グローバルな世界秩序の下で競い合うことになり、多くの産業分野で競争が激化することになる。しかし、グローバル経済の出現は、競争を激化する一方で、競争を維持するために地球規模の協調の可能性を探る必要性が高まり、共通の制度・ルールの定立、及びその機関が必要となる。この第一の海流、共産主義の崩壊は、日本を重大な問題に直面させる。共産主義19億人中12億人を抱える中国の存在である。この50年間、日本はアジアで唯一の経済大国であり、競争相手を想定する必要がなかったが、中国がグローバル経済に参入してくる以上、日本にとって、そしてグローバル経済にとって、チャンスなのかそれとも脅威なのか、中国がどのような存在となるか、重要な問歴を日本に突きつける。つまり、共産主義崩壊という海流の大変勤は、日本に、世界的な秩序に関するビジョンを提示し、そのビジョンにおける中国の位置付けについて熟慮しなければならない、という状況をもたらした。
 さらに、共産主義崩壊の影響は、冷戦の副産物である国境の安定という事態をも崩壊させた。旧共産圏は様々な国家に分裂し、その余波は共産圏外のヨーロッパ諸国、イギリス・スペイン・フランス・イタリア・カナダにも影響を与え各国それぞれ分離独立の動きをもたらしている。さらに、インド・パキスタンの国境紛争・東ティモール独立などアジアにもその余波が及んでいる。
 共産主義崩壊は経済的・政治的地図を根底から変化させ、今後もこの変化は続き、日本は一歩対応を間違えると取り返しのつかない多数の問題に囲まれているといってよい。

 第二の海流は、「人間を機軸とした知識・頭脳産業」の勃興である。現在、ビジネス社会で生じている革命は、ビル・ゲイツ、マードック、孫正義らに象徴されるごとく、ソフトウェア、コンピュータ、情報通信産業、バイオテクノロジー、といった形で出現しており、のちの歴史家が「第三次産業革命」と呼ぶはずのものである。
 この第三次産業革命は、以下のような重大な帰結をもたらす。第一に、「技能と知識」こそ富の支配的源泉であり、ビジネスの成功を決定づける要因は知力であるという点である。第二に、知力こそが産業の支配的源泉であるとするならば、石油・石炭といった天然資源が存在する場所・天然の良港といった、神によって与えられた自然的・地理的条件は、未来産業において重要な要素ではもはやない。「人間を機軸とした知識・頭脳産業」は、地理的な制約を受けることなく、地球上のどこにでも自由に移動することができる。つまり、19世紀・20世紀に見られたごとく、先進社会の地は自然的・地理的条件によって規定されるのではなく、21世紀の先進経済社会は、経済的に大きな力をもつ人間こそが、知能を創造し、動かし、組織し、立地ポイントを決定するのである。第三に、「人間を機軸とした知識・頭脳産業」の登場は、グローバル化した世界において、地球規模に張り巡らされたビジネスチャンスの網の目を解きほぐし、連結し、大きな事業機会を次々に作り出す人材、シンポリック・アナリストこそ資本力にとってかわり、経済の推進者となる。その結果、国家の存亡は、自国の教育システムにおいて、如何にして頭脳産業を担う人材、シンポリック・アナリストを養成するかにかかってくる。第四に、「人間を機軸とした頭脳産業」が地理的条件を重視しないということは、企業の無国籍化を意味し、自国籍を持った企業を保護するという伝統的な保護貿易・産業政策の考え方は意味をなさない。企業の国籍はどこであれ、自国内で付加価値を生み出してくれる企業こそが、自国で雇用を生み出し、経済を発展させる原動力になる。

 第三の海流は、人類が未だかつて経験したことのない急激な人口変動と高齢化社会の到来である。
 1999年現在の世界人口は約60億人であるが2030年には85億人に達すると予測されている。問題は、この急速に増大する25億人もの人々を人類そして地球は支えることができるのか、という点である。現在の経済システムの下では、環境汚染や環境破壊の究極的な原因は人間の存在自体であるため、地球に対する負荷は限界点を超える。また、食料・水の供給面においても世界の最貧国において生まれる人々すべてを支えることはできない。
 さらに、最貧国において急激に増加する人々は、最貧国にとどまるのではなく、自国での悲惨な生活が国外へと押し出す力となって母国を離れ、豊かな地の生活水準の高さを電子メディアによって知り、合法的にあるいは非合法的に豊かな地へと大移動する。しかし、第三次産業革命下の豊かな地においては、教育の受けていない未熟練のしかも数千万もの人々は必要とされていない。この大規模な人口移動は、結果として、低賃金と非常に劣悪な労働条件をもつ闇の経済が豊かな国々で成長し、第一経済を混乱させる可能性がある。
 一方、世界の豊かな国々は、逆の人口問題に直面している。少子化によって入口の増加はみこめない上に、長寿化によって、高齢化社会の到来が予測される。特に日本は、長い平均寿命と出産率の低下の結果、世界で最も高齢化の進んだ社会となり、2025年までには、人口の26パーセントが65歳以上となる。その結果、現在のシステムを改革しなければ、労働人口は減少しつづけるにもかかわらず労働人口によって支えられる年金受給者の割合が増加することになり、上昇ずる年金支出は、2030年までにGDP比約20パーセントもの予算赤字が生ずる可能性がある。つまり、2030年の日本は、1999年現在の生活水準よりも向上しているのではなく低下していると考えられ、生産性が今以上に高い産業を確立しない限り、高齢化社会を支えることはできないと考えられる。

日本の歩むべき
方向性
「美」と「ソフト・
パワー」の国へ

 このように日本丸は、
(1)共産主義の崩壊という第一の海流、
(2)人間を機軸とした主体の頭脳産業の勃興という第三の海流、
(3)人類が未だかつてない人口動態の変化という第三の海流
に取り巻かれていることがわかった。
 では、この三つの海流を乗り超えなければならない日本丸は、どんな船でありどんなところへ向かうべきなのであろうか。日本国が21世紀という「偉大なる探検」を行うにあたって、現在の日本社会はどこからどこへと向かうべきなのか、前田ゆうきちによるニッポン・ビジョンの基本コンセプトはなんであろうか、基本政策を述べる前に言及しておく必要があろう。

 近代世界システムにおいて、ある秩序が国家と呼ばれるためには、その秩序に何らかのパワーが存在したときに、はじめて国家となる。この国家のパワーは、ひとつに、「モノを作る力」である経済力・「モノを壊す力」である軍事力など、相手方に直接働きかけて行使するハード・パワー・がある。そして、もう一つの国家のパワーは、教育システムや、情報システム、資本主義・民主主義のインフラを支えるパブリック・インテレクチュアルといったシステム統合力とでも言うべきパワーである。つまり、間接的に相手方に働きかけることにより、相手方が自発的に当該システムに適合してくるパワーであり、一般にソフト・パワーと呼ばれている。

 この三つのパワー概念は、どちらを重視するかにより、人類の歴史上、それぞれ異なった世界観を生み出してきた。
 一つは、ハード・パワーにこそ国家の源泉を求めるものであり、近世初期からヨーロッパに見られる、戦争を軸として勢力均衡を求めるパワー・ポリティクスに基づく世界観である。もう一つは、ソフト・パワーにこそ国家の源泉を求めるものであり、覇権主義と同じく近世初期に成立した江戸社会にみられる、モラル・ポリティクスに基づく世界観である。ハーード・パワーを軸にする世界観のもとでヨーロッパは、1480年から1940年の間278回もの絶えざる戦争の歴史を歩んできた。その−、方で、ソフト・パワーを軸とする世界観のもとで近世日本は太平の世を謳歌した。なぜ、同時代にこのようなまったく異なる世界観に基づく国家形態が生まれたのであろうか。

 日本とヨーロッパは、18世紀まではともに旧アジア文明からすれば、後進地域であり、旧アジア文明に対する貿易に関してはいえば、輸入超過による赤字貿易であった。しかし、19世紀に入ると、ヨーロッパはヨーロッパ・アフリカ・アメリカを結ぶ三角貿易による大西洋経済圏を確立し、日本は国内での陸地自給圏を形成することによって、ともに貿易赤字を解消し、経済的には自給自足を達成する。これは、日本・ヨーロッパ諸国が生産革命を成し得たことを意味する。生産革命とは、ヨーロッパにおいては資本集約・労働節約型のいわゆる「産業革命」といわれるものあり、日本においては資本節約・労働集約型の「勤勉革命」といわれるものである。この三つの革命によって、人類史上はじめて生産志向型の経済社会がユーラシア大陸の両端に誕生し、旧アジア文明圏への経済的依存体制から脱却する。その結果、政治的・文化的にもアジア文明圏から離脱し、独自の新しい二つの「脱亜文明」が登場した。

 しかし、この二つの脱亜文明が歩んだ道は全く異なったものであった。それは、脱亜の相手であるアジアの違いにある。ヨーロッパは、環インド洋に広がるイスラム文明圏からの離脱を成し遂げたのに対し、日本は環シナ海のアジアである中国文明圏からの離脱を成し遂げた。
 イスラムの世界には「戦争の家」と「平和の家」という世界観が奉り、この世界観をもとにヨーロッパでは「戦争と平和の法」に基づく国家体制を確立し、国家が交戦権を主権のひとつとして持つという軍拡路線が導かれた。その結果、防衛の名のもとに交戦権が行使され、平和とは単に戦争のない状態とされた。暴力装置をもった主権国家間の勢力均衡を「戦争の法理論」で規制しつつ、ヨーロッパ各国はハード・パワーこそが主権の構成要素であるとし「富国強兵」政策を遂行した。
 一方、明中国には華夷(文明と野蛮)に基づく世界観があり、この世界観の影響のもとに江戸社会においては身を修めて徳をつむことが権力の正当化の基本となり、軍縮こそがこの世界観の必然的帰結となる。
 このようにして、ユーラシア大陸の両端に、同時期に「戦争と平和」に基づくパワー・ポリティクスを掲げるヨーロッパ文明と、「文明と野蛮」に基づくモラル・ポリティクスを掲げる江戸社会が生まれたのである。

 しかし、日本は明治以降国家百年の大計としてハード・パワーに基づく「富国強兵」政策に転換した。確かに、この国家百年の大計により、アジアのほとんどの地域が西洋列強諸国に侵略される中で、唯一独立を守りかつ経済的成功をおさめることができたといえ、明治維新後約一世紀強の間においてはきわめて優れた政策であったといえよう。しかし、核の脅威・環境破壊・難民・人種差別・民族紛争・南北格差といった人類が直面している重大な問題はみなヨーロッパ文明型のハード・パワー重視のシステムに起因している。ハード・パワー型の世界システムは、これらの問題を解決し、21世紀という荒海に耐えることのできる船ではないことが、究極のハード・パワー・システムである共産主義の崩壊を見ても、明らかであろう。
 一方、日本は、21世紀を迎えるにあたって、自国の歴史的遺産を正当に評価し、すばらしき伝統を充分に使いこなしているであろうか。21世紀の未来社会は、近世江戸社会をグローバルな観点から日本の伝統を見なおすことによって、世界的諸問題を解決するべき時にきているのではないであろうか。

 江戸の香りが残る明治初期の日本を訪れたヨーロッパの人々は日本の農村風景に感嘆し、その教養の高さに驚いたといわれる。日本は、訪れた西洋人に生活景観・自然景観が美しいという強い印象を与える国家として、そして高度の教育を受けた人々の住む国家として、近代世界史に登場したのである。日本と西洋との出会いは「力の西洋」と「美の日本」の遭遇であった。日本は花と緑の繰り成す庭園の島国として登場し、西洋人を魅了したのである。この豊かな自然環境という「美」と、高度に教育された人々という「ソフト・パワー」こそ、日本国・日本国民のアイデンティティなのであり、21笹紀の未来国家像の基本コンセプトと考える。

教育ビックバン

グローバルな社会においては、創造性のある有能な人材を育てることが国家の命運をかけた最大の事業である。人材を育てるためには、教育システムを徹底した改革を勧めることこそが、大きな手段である。

1. 日本版フルブライト構想 (西太平洋グレート・ピース・ゾーン構想との関連)
2. 外国教育機関との交流の促進
3. 社会人・職業人の再教育の充実
4. 会話を可能とする英語教育

福祉ビックバン

負の所得税の導入

1. 社会保障制度を負の所得税制度の一元化する。
2. 社会保障費の大幅削減。

環境ビックバン

21世紀型金融幕藩体制の確立

1. 郵貯を民営化するのではなく、環境保全・改善という特定目的を帯びた新しい環境通貨を作る(一国複数通貨制)。
2. 環境庁を環境省にし、環境通貨局を設置する。
3. 郵政省の郵貯部門を解体、環境省に移転。
4. 環境通貨局は、一公社ではなく、地理的に分割された複数の公社へと分散化されている。
5. 各公社には、独立の通貨発行権限を有する。
6. 環境査定協会を設立し、各環境通貨局の融資を監視する。
7. 融資先は日本のみならず、太平洋ピース・ゾーンに属する国々にもなされる。

権力分散ビックバン

首都機能分散化構想と三権の改革 権力の分権は、決して効率性を高めるために行うものでは、ない。絶大な中央権力は、必ず個人の人権を侵害する。この「自由」「人権」を守るためにこそ、権力の分立がある。従って、効率性を高めるためだけの「地方分権」は排除されなければならない。地方権力が増大することは、「自由」を侵害する機構が、それだけ身近に存するようになったことを意味するのである。権力は徹底的に綿小化し(「地方分権」から「民間分権」へ)、分散化し、権力同士で抑制し、戦わせることこそが、真の権力の分立である。

1. 立法府改革 三院制の導入
「正しい行為に関する一般的規則」(Recht)を明確にする機関として「立法院」を設置。この一般的規則は、恒久的であるべきだが、司法機関によって適切に取り扱えない新しい問題が生じた時、修正・発展させる。議員の任期15年、45歳の男女のみに被選挙権、選挙権が与えられる。
●「特定目的のために政府に指令する法律」(Gesetz)を制定する機関としての「行政院」の設置。行政院は憲法および立法院で承認された「正しい行為に関する一般的規則」によって拘束される。議員定数は600とし、完全小選挙区制を導入する。
●立法院と行政院の間に権限の問題で対立が生じた場合に解決を図る機関、および立法院・行政院双方に権限のない強制的措置を執行する権限が付与される機関として「憲法院」の設置。議員は専門の裁判官の他、立法院、行政院の元・前議員によって構成される。
●行政府に対抗できる立法府の職員の充実化をはかる。

2. 司法府改革
●法曹人口の大幅拡大。司法試験合格者を毎年3000人とする。
●裁判外の調停・仲裁などにおけるシステムの拡充をする。
●法律扶助制度を整備する。
●公正取引委員会を5000人程度の規模に拡大する・運用面においても強化する。

3. 行政府改革
●国家公務員二種および三種における公務員定員の年5パーセントの削減をする。
●国家公務員二種および三種における早期退職制度の導入をする。
●国家公務員の新規採用逓減制度の確立を図る。
●公務員の政治任命制度の導入をする。
●国家公務員一種制度の拡充・拡大をする。
●財政の透明化を図る。

4. 地方政府改革
●地方分権には反対する。国の権限は原則として民間に委譲する。
●市町村合併の促進。
●市町甘合併促進のための有効なインセンティプ・システムの拡充。
●広域行政の展開や既存組繊の有効活用。
●地方交付税の段階的縮小。

5. 首都機能権力の分散
●東京に行攻府、愛知あるいは岐阜に立法府、近畿地方に司法府を移転する。
●近畿・中部の財界と密接な連携をし、東北地域への首都機能移転を阻止する。
●東京都に対しては、行政府機能を据え置くことによって、妥協点を見出す。
●小牧空港を国会移転の波及効果により存続の可能性を探る。
●リニア新幹線構想との関係を調査する。
●国会図書館も移転対象となる。
●尾張地域に立法府における政策立案機関の設置を行う。

税制ビックバン

ニュー・フロンティア型税制の確立

1. 法人税の大幅減税。
2. 相続税の廃止。
3. 納税者番号制度の導入。
4. 間接税への重点化。直観比率の大幅見直し。
5. 学校法人や宗教法人などに対する課税の執行体制の整備。
6. 寄付金に対する免税措置の大幅拡大。
7. 所得税の課税最低限の引き下げ。
8. 累進課税制度見直しの検討。

外交ビックバン

日本主導型西太平洋「グレート・ピース・ゾーン」構想

1. アジア・オセアニア地域重視の外交。
2. 西太平洋地域における大東亜戦争時代における正の遺産の活用。
3. 沖縄を金融・経済の中心地とすべく、台湾・シンガポール・マレーシアとの自由貿易圏構想を打ち立てる。
4. 沖縄に西太平洋の援助機関の設置。

ゼロ・エミッション
社会の実現

ゼロ・エミッション、なかなか聞き慣れない言葉かもしれませんが、これはいわゆるゴミゼロ運動と皆さんが言っておられたものに近いかもしれません。高度経済社会に伴う大量消費、大量ゴミ放出型の社会のつけが今きているわけですが、私は特に減量のみならず、ゴミという概念を変えていきたいのです。ですから後で述べます「環境教育」が重要になってくるわけですが、使える資源を多く生み出していきましよう。

現在のゴミ総量の40%が、家庭ゴミで占められています。そのまたさらに40%がまだ食べられる食糧だということです。皆さんの家庭でも、買ってきただけで捨ててしまっている「生めん」「お豆腐」等です。0.4×0.4=0.16つまり全ゴミの16%が「食べられる食糧」なのであります。これは、現在700万トンにものぼるもので、地球上の人々1400万人分の年間食糧にあたる量なのです。即できるゴミ減量策をして、それによって世界の飢える子供たちを救う手段になっていくわけです。これは、即効性のあるゴミ減量策であり、人類の食糧危機を救う手段でもあります。家庭で余分のものを作らない、買わない、これは意識として分かっていてもなかなか実現できるものではありません。私は、子供達に余分な食糧を作らないという「環境教育」を実現したいと思います。これは省庁の垣根にかかわるのではなく、従って、文部省がすべてをやるとういのではなく「環境省」を設置し環境工学の専門チームにより、より明確な理解しやすい環境教育を実現できたらいいと考ます。これが私のゼロ・エミッションプランです。