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中身がナルシストでありたい  l 野友健二 | ベンチャーアーティストインタビュー|合同企業説明会 合同説明会開催中!2009年新卒就職活動のためのサイト。ベンチャー企業・成長企業に特化。就職イベント:インターンシップ&合説(合同説明会)&内定の達人&就職勉強会 開催数No.1宣言

『Likeで始まった仕事が、いつの間にかLoveになった(笑)』

野友健二(のとも・けんじ)
1979年生まれ。茨城県出身。高校卒業後上京し、東京モード学園で服飾の勉強を始める。在学時に、高校時代からお世話になり、後に師匠となるスタイリスト・橋本敦氏と親交を深め、彼のアシスタントになるため学園を退学。橋本氏のもとで三年半アシスタントを務め、2004年に独立する。現在は『MEN’S NON-NO(集英社)』、『smart(宝島社)』などファッション雑誌をはじめ、俳優やミュージシャンのスタイリングも手掛け、幅広く活動している。
雑誌の企画で野友氏自身も誌面に登場することがあり、彼が身につける洋服、紹介したアイテムへは読者からの問い合わせが殺到。今、若手スタイリストの中で一際注目を浴びる存在の一人である。

「東京はチャンスの街」。
憧れを抱いて上京した彼は、はじめから具体的にやりたいことがあったわけではなかった。『自分がやりたいこと』とは一体何なのかと、悩んだことがある人は少なくないだろう。野友氏もその一人であった。最初はただ漠然と洋服が好きなだけだった。しかし、その『好き』という思いは、いつしか『スタイリストになる』というはっきりとした形になっていた。
「誰でもなれるが、誰でもなれない」。誰しも好きだと思うことはできる。だが、それをどう形にするのかは、自分次第。そのヒントは、彼のこんな言葉に凝縮されている。「Likeで始まったスタイリストという仕事が、いつの間にかLoveになった(笑)」――

1.中身がナルシストでありたい。

大勢の人が行き来する渋谷区神宮前交差点。待ち合わせ場にいた彼は、すぐにこちらの目を引いた。スタイリスト、野友健二氏。いかにもその職業に就いている人らしく、持つ小物からつま先まで抜群のバランスで整えられたスタイルは、人込みでも難なく見分けられる存在感があった。だから目の前の彼からこう切り出された時は、とても意外に感じた。

「スタイリストは、みんな何かしらコンプレックスを持っていると思いますよ。もちろん僕も持っている。だからスタイリストとして、『自分には似合わなくて着られないけれど、着てみたい洋服』を代わりに人に着せて、表現しているのだと思います」。
さらに彼は、スタイリストにある傾向を、こう言い表した。

「スタイリストは大体の人が目立ちたがりだと思います。そして僕もその一人(笑)。ただ、単なるナルシストじゃない。お洒落をとことん追求する。洋服に関しては、どんなことにも抜かりがないんです」。
スタイリストは、洋服好きなのは大前提。そこからどれだけ掘り下げていけるかが勝負の世界だという。

「今、街を歩いていても、お洒落な子ってたくさんいますよね。だから、単に洋服をセンス良く合わせるのは、誰にでもできるんです。スタイリストは、さらにもっと細かい部分を見ていく。ある種、神経質な人たちなんです(笑)」。
そもそも根っからの服好き。片鱗は七五三の頃から既に現れており、兄が着用していた赤いブレザーがどうしても着たいと粘り、見事その想いを貫いた。そこには、母親の影響が。いつも身だしなみに気を配る“お洒落な”人だったそう。それは自然と彼にも受け継がれたらしく、幼くとも自分なりのファッションセンスを確立していたようである。

「僕の両親は放任主義で、何かに縛られた記憶がない。やりたいようにやらせてもらい、ほしいものはほとんど手に入れることができました。で、大きくなってもほしいものを求め続け、かつ母から譲り受けた根底にあるセンスに反発しないでいたら、必然的にスタイリストという職にたどり着いたんでしょうね」。
何にも縛られない自由を好んできた。それらを追い求めているうちに、いつしか彼はその一歩先の世界に足を踏み入れていたのだ。

「これからはもっと中身がナルシストになりたいですね。スタイリストとしてだけでなく、一人の男としてのキャパシティを広げていきたい(笑)」。