イエスの惑星BBS

キリスト教信者の方、又はキリスト教や聖書に興味のある方の 交流の場です。

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子どもとともに捧げるミサについて  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月15日(水)15時41分30秒    編集済
  ヨハネ高橋さんが仰る通り、今のやり方は相応しくないですね。

特に大阪教区で行われているミサ曲まで、歌詞も似ても似つかない曲に変更されるに至っては、悪影響とも思われます。

私の教会は、典礼に詳しいものがいなかったことと、昔から子供のミサに力を入れていたこともあってか、ミサ典礼も崩し放題で、それについても、私の質問に、司祭は「まずいんじゃないかな」って仰るだけで、何の指導や助言もしないために、信仰宣言まで「主に愛されて♪」や「いつも喜んでいなさい♪」に変えられてしまって・・・

これについては、補佐司教やシナピスの影響ですが、ミサは楽しくなければ♪っていうだけです。

主日のミサは荘厳に行うべきで、その中で子供たちは信仰をミサの大切さを身につけて行くんだろうと思います。

ミサの中で行動を伴う応答は、とても印象深いと思います。
回心の祈りの中で、3回胸を打つのも復活していただければ、子供たちへの教育にも役立つのにと思います。

大阪教区では、福音書朗読前の額・口・胸に十字をきるのも何年も前に禁止されたそうで、とても残念です。
これに関しては、小教区を回って、禁止事項の説明をして回られた典礼担当だった故人の神父様が、晩年、「あれは良くなかった」と後悔していらしたと伺いましたが、それなら、解禁していただければ良いものを・・・放ったらかしで・・・。

こんなことを禁止するのを形式主義というのではないでしょうか。
私のように他教区から転入してきた者にとっては、いい迷惑です。
直接指導されたわけでもなく、「しないことになっています」との信徒の説明だけで…???

その点からいっても、聖変化の際、跪くことは大切です。
子供たちは祈りと行動によって、要所要所、身につけていくのに、それを削除していくのは、子供の信仰教育のためにも、とても残念です。
 

一太郎さんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月15日(水)05時23分31秒
  一太郎さんの教会の司祭は、正平協にどっぷりと浸かった司祭ですね。

うちの司祭も、教区で最もやる気がないと思われる司祭なのですが、
成人入信希望者に教会学校で一緒になんて、非常識なことは言いません。
ただ、信徒に丸投げで、入信希望者の集いも信徒に一任?状態です。

正平協かぶれの若い司祭を見ていて、司牧の現場から逃げているように思います。
入信希望者に教えるのは、結構、能力が要求されますから。
自信のない司牧からは逃げ、楽な司祭生活を選択されて、正平協路線に乗っかっているだけです。
正平協路線だと、本当にお気楽な司祭生活ですから。

正平協かぶれの司祭は、実に、教義や典礼など、カトリックの中心であるものに無関心?なのか、勉強不足で、それを恥とも思わずに、信徒に堂々と尋ねられますから。
聖書の勉強にしても、本田神父流読み方です。
関心のあると思われる憲法問題にしても、マニュアル通りにしか読みませんから、全てが偏ってしまうのです。

月に1、2回でも遠征されて、信頼できる司祭から勉強されることをお勧めします。
霊父として、生涯にわたって、相談できる司祭から、洗礼は受けたいですものね。

私事ですが、私も成人洗礼ですが、授けてくださった神父様とは今も親交させていただいています。
神父様もかなりのご高齢になられましたが、自分の娘のように大切にして、季節ごとにお電話をくださいます。

ノムさんが以前仰ったのですが、教会に行って、掲示板を見れば、その教会がわかるとのこと、的を射ていると思います。

うちの教会では、剥がしても剥がしても、次から次へと新しい正平協関係のチラシが貼られていきますから。貼るのと剥がす(隠す)のと競争?状態です。

訪ねて行かれて、教会の掲示板をどうぞご確認ください。
まずは、尊敬できる司祭選びから・・・
または、ノムさんたち、横浜教区の信徒にご相談されてはいかがでしょうか?

お忙しくて、遠くには行けないのでしたら、カトリック通信講座を受けられてはいかがでしょうか?
 

一太郎さんへ  投稿者:サボテン  投稿日:2008年10月15日(水)04時01分48秒    編集済
   私は横浜教区ではなく、時には司教様が政治的発言をなさる問題ありの教区に所属しています。

 しかし、「青い冊子」は見たことがない! 聖堂入り口に「初めて教会にいらした方へ」や「心のともしび」や「聖書と典礼」はあっても、正平協がらみの冊子を置くようなことはありえません!

 先日、棚の整理を頼まれ、大量の冊子(雑誌のバックナンバー)やプリントを、相談の上、資源ごみにしましたが、「青い冊子」系はなかったです。つまり、信徒の目に触れないように、宣教の妨げになるものは、おそらく、主任司祭が処分しているのでしょう。

 もしかしたら、見極める必要がある教会、または、主任司祭かもしれないですね?

 それと、月一回の教会学校で勉強するようにすすめられた??? なんという判断でしょう!お気持ちお察しします。

 司祭によっては、勉強会に参加したいといって初めて教会に来られた方に、「まず、ミサに与ってください。勉強はそれからでもいい。」とおっしゃる方もあります。

 一方、カトリックのお話が聞きたい、と教会を訪れた方には、まず、グループや個人でキリストの教えをお話しつつ、その方がミサに与ろうという気持ちになられるのをじっと待たれる司祭もおられます。

 しかし、成人の求道者が一人だから子どもと一緒に勉強せよとは、理解に苦しむ発言です。私は聞いたことがありません。 近くに他のカトリック教会はないのですか?
 

青い冊子  投稿者:一太郎  投稿日:2008年10月15日(水)00時15分11秒
  おつるさん、はじめまして。平正協の大会でのご活躍
ブログ拝見させていただきました。
奥する事なくまた、怒りでもなく理性的な論議(バトルでしょうか^^)
をされているのを読んでいて胸のすくような思いでした。
私の通っている教会にも平正協がらみの冊子がいつも置かれております^^;
その中に「自民党の憲法20改正案を検証する」なる青い冊子がいつも置いてあるのを思い出しました。
私の考えでもノムさんのHPで考察されていますように、まったくもって問題ない改正案かと思われました。
おつるさんは、良い教会(神父様や信徒)に巡り会う事ができたようですね。
私の通っている教会は聖職の方が、彦左衛門さんの考察するところの「政治的偏向」状態であると考えます(門外漢が大きい事は言えませんが^^;)。
ミサではこういったお話は今の所出てきませんので気づいてない人もいるのかもしれません。
ですので一般信徒の方々はご高齢の方が多い事もあり、みなさんほぼスルーしておられる様子ですね。
返って、大人になってから教会の門を叩いた人の方が気になってしまうものかもしれませんね。
私の通っている教会には大人の求道者が自分ぐらいしかいないため、
月1回の教会学校で子供にまじって勉強する事を薦められました。
一度参加いたしましたが、とても居心地が悪かったです^^;
ここから先、信仰をどうするかは悩むところでありますが、
私の識別と選択次第(これの連続っすねw)かと思われます^^
 

子どもミサについて  投稿者:ヨハネ高橋  投稿日:2008年10月14日(火)23時19分10秒
  子どもミサの形態は、次のような種類があります。

1、教会の主日ミサで、ときどき子どもミサを行う。
・・・一般の信者にとっては、迷惑ですね。(一番多いケース)

2、主日ミサの前に、教会学校のために子どもミサを行う。
・・・本来のミサを体験できない、教会学校が別の共同体になる。
※カトリックでは少ないが、プロテスタント教会では一般的です。

3、カテドラルで、イベント的に子どもミサ(教区全体)を行う。
・・・これは、OKだと思います。

(個人的には)小教区での子どもミサは、不要だと思います。
侍者・献金・奉納などの典礼奉仕こそが、信仰教育だと思います。
 

川崎さんの子羊の晩餐  投稿者:おつる  投稿日:2008年10月14日(火)22時35分35秒
  「★おつるの秘密日記 酒と薔薇と愛の日々★」の新着コメントをお知らせいたします。

記事タイトル:カトリック正平協全国大会 秋の陣 その? 憲法20条分科会 木邨健三 睨むのまき【公開】
投稿者:無学者

(本文)
お初にお目にかかります。上の方で紹介されている「子羊の晩餐〜ミサは地上の天国」(スコット・ハーン著)を小生も読みました。カトリックの原子爆弾のような凄い本ですな。
小生も武者小路氏の信仰観にはかねがね疑問に思っています。

彼のようなカトリックを貶めるような輩にこの爆弾本を読ませたい衝動に駆られますが、余計な教養がある人には、子羊のような純度100パーセントのカトリック本の奥義は到底理解できないでしょうな。

ちなみに、出版社は違いますが、同じ著者による「ローマ・スイート・ホーム」も隠れた名著です。
コメントのURL:http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/531/#comments

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

正平協の欺瞞  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月14日(火)18時57分31秒    編集済
    まずそういうイデオロギーの代表としては、マルクス主義、ナチズム、そしてこれに類似の各種社会主義論、そして、正義と平和と人権の名の下に、あらゆる人道を無視抑圧して省みない独裁崇拝があるのでしょう。これを政治的偏向と呼んでおきましょう。


  わがカトリックの正平協は、これらの政治的イデオロギーを各種各様に混ぜ和せた政治テキ組織で、カトリックを標榜しながら、真実の信仰とは何の関係もない悪質な悪魔的組織です。これからそのことを少しづつ実証して行こうと思います。・

  勿論彦左衛門常に正しいなどと自信を持っているわけではありません。ご叱正賜ればありがたし。
 

ideorogi-  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月14日(火)18時14分31秒    編集済
    聖職の政治的発言には、政治的逸脱と称すべきものと政治的偏向との二つがあります。

  この両者は相互に関連していることが多いのですが、一応分けてかんがえると分り廉いです。

 神父が説教で、福音の話、カトリックの話そっち抜けで、麻生首相を褒めちぎり、彼への支持を信徒にうったえたとしてます。麻生氏は確かに賞賛に価する人で、神父の言説は間違いではないかも知れません。

   しかし神父がミサで福音を語らず、その貴重な時間を政治的見解に空費するならば、それは明らかな逸脱です。神父が株はこれから上がるから買ったほうがいいよと進めているようなものです。

  政治的偏向はもっと悪質です。それは良心と良識を欠いていている、身勝手で、偏頗で、屡、歴史の現実に照らして、人類を不幸に落としいれてきた政治的主張 イデオロギー
だからです

  つつく
 

万人、必読  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月14日(火)17時31分45秒    編集済
  以下はノムさんの一太郎さんへの発信にあったアドレスですが、万人必見の
ものです。

僕も随分勉強になりました。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html
 

Re: 神に感謝  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月14日(火)08時46分37秒    編集済
  一太郎さんの最初の発信が、
2008年10月12日(日)02時11分22秒
でした。
私のコメントが、
2008年10月13日(月)08時19分16秒
で、間もなく「一粒会」会場へ出かけるところでした。

コメントを書き始めた時は、司教様へ情報を流すなど、考えになかったのです。
ただ出発の前に一太郎さんへ、何か書かねばならないと思いました。書いているうちに突然、ひらめきのように浮かんだのです。
急いで、司教様に読んで頂きやすいよう、Word文書に変換しました。

昨日の一粒会の盛会を見ても、横浜教区は大丈夫です。
ひょっとすれば日本のカトリックの「希望の教区」かも知れません。今までは長崎がそうだったのでしょうが。
司教、司祭、信徒、一丸となって病気をはじき、明るい教区であり続けるでしょう。
問題のない組織はありません。人は誰も、一部に躓きます。誰もがそうです。しかしもう一度二度、全体を眺めるとき、違う景色が目に入ると思います。

> この一連の流れはなにか、とても神がかっていると感じます。

間違いなく神は一太郎さんを見ておられるのです。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

一太郎さん  投稿者:おつる  投稿日:2008年10月14日(火)00時02分29秒    編集済
  >「憲法9条。。」どう見ても偏ってます

一太郎さんは、私と同じ感覚です。
私は、洗礼を受けてまだ4年で新人信徒です。
クリスチャンになってから教会の事を信仰のことを勉強しようと 教会に置いてある
カトリック新聞やカリタスジャパンの「叫び」とか「ひびき」とかを読んで
あまりの偏向ぶりに悲しくなったのです。

でもノムさんのHPに出会って、教会の政治的言動を憂慮する会にも参加し、
このイエスの惑星BBSに出会い、ノムさんや憂慮する会の方々や
ダンボさんやサボテンさんたち知識のある女性にも
ここに登場するいろいろな方々にも いつも勉強させていただいています。

私が感じた疑問は、クリスチャンとして当然なんだ、
偏っている「カトリック正平協」などが異常なんだと理解することができ
勇気を持てました。

先日、正平協全国大会にも乗りこみましたが、実際参加している偏った信徒や神父は
カトリック全体40万人の人数から考えると全国で500人という微々たるものでした。

大阪教区は松浦補佐司教という司教がとても偏っているので、ひどい状況ですが
それでも、そんなものに流されない 敬けんでまともな立派な信徒や
松浦補佐司教の活動になど参加しない、祈りを大切にする立派な神父様もおられます。

私自身が偏っている部分を疑問に思い、悩み、でもそれを乗り越えてこれたのは
ここでのみなさんがアドバイスや知識を下さること
「神様の召命」だよと励まして下さった方、そして現在の所属教会で
私の思いを理解してくださる神父様や先輩信徒の方々などとの出会いのおかげと
感謝しています。

この連休には、東京で荘厳司教ミサという素晴らしいミサに出席させて
いただいて いろいろな方々との出会いがありましたが、心から感動いたしました。
参加された方々は、正平協のような偏った存在とまったく違い、
祈りを大切にした信仰と昔からの美しい教会のあり方を大切になさる方々でした。

どうか新人信徒として ともに、素敵な信仰生活を送りましょう。
どうぞよろしくお願いします。

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/

 

神に感謝  投稿者:一太郎  投稿日:2008年10月13日(月)22時21分53秒
  ノムさん始めまして、HP良く拝見させていただいてます^^
そして、なにより司教様までこのお話が伝わる事にとても、驚き感謝致しております。そして、この一連の流れはなにか、とても神がかっていると感じます。
一粒会のお知らせが教会報にございましたが、どの様なものなのかはあまり
わかっておりませんでした^^;。このタイミングでこのような集いがある事
もすごい事ですね。
今回の事は、おそらく私だけの問題ではないと思いますので、本当に良かったと思います。
教皇様のお話も読んでみたいと思います。ご紹介ありがとうございます^^

グレゴリオ様推薦の本「キリスト者同士の人間関係」をさきほど、
読み終わりましたキリスト教の奥深さ(悪霊のお話など)を改めて認識した次第でございます。
そして、今回の「識別と選択」そして実行が、良い方向に向かう事をひたすら祈るばかりです。
 

ノムさんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月13日(月)20時31分0秒    編集済
  先ほどの文書の前に、イエスの御心の祭日にこのメッセージが出ています。
とても、分かりやすく、司祭のあるべき姿を諭されています。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/ecclesiastic/sekai_shisai.htm
 

一粒会大会って?  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月13日(月)20時24分22秒
  ノムさん、私、一粒会は司祭養成のための献金集めにしか捉えていませんでした。
ここ2、3年の大阪教区報「カトリック時報」を探しましたが見つかりません。
私の祈祷書には大阪一粒会の説明と「司祭召命を求める祈り」のしおりを挟んでいますが、信徒の皆さんはそのしおりすらご存じなく・・・

大阪一粒会は教区神学生が少ないので、お金はかなり余裕があって、しおりでは、大阪教区に修道院のある修道会の神学生に補助したり、カンボジアの神学生の養成に拠出しているようです。

大会は別にないと思っていたら、春分の日(大阪教区召命の日)行事に積極的に参加するようにと書いてありました。
この日の行事は、叙階式ですね。皆さん、叙階式を祝って集うのであって、別に一粒会行事ではないのですが・・・結局はやる気がないんでしょうね。

長崎では、ミサの度に皆でお召しを求る祈りをしていましたが、こちらでは、召命のための祈りは過去のものと言った感じです。
昔は、公教会祈祷書を皆さん持って来ていましたが、祈りの口語訳とともに、祈祷書は過去のものとしてしまい、ミサ以外の共通の祈りはなくなりました。

私たちの教会では、小田神父様にご指導いただいた通りに、主日の司祭不在時の集会祭儀の際は、式次第に「司祭召命を求める祈り」を貼り付け、儀式前に必ず、祈りをしています。
この祈りを小教区全体でするのは、ごくごく少数ではないでしょうか。

グレゴリオさんの教会はこの祈りをしていますか?
 

続々、第41回 横浜教区 「一粒会」大会  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月13日(月)18時07分37秒    編集済
  平田神父様は次のようなこともおっしゃいました。(私の理解です)

「ベネディクトXVI世教皇が使徒について語られた連続講話の中で、使徒たちについて語られたこと、その中に聖職者の為すべきことのすべてが語られています。」
(『使徒』として出版されています)

梅村司教様も今日の「挨拶」で、教皇様の言葉を引用されました。
私は、教皇の言葉を多く引用する聖職者を信じます。


一太郎さん>
ベネディクトXVI世教皇の本は、かなり多く日本語になりました。お説教・講話は、カトリック中央協議会サイトで読むことができます。
私たちの教皇の言葉は、もっとも分かりやすい言葉で福音を伝えていると、私は感じています。お読みになって下さい。

私は勉強中です。
カトリック神学院々長・平田神父ですら、そのようなことを仰いました。

人生、長いです。
神は、もっとも良い道を、一太郎さんに示すと思います。
祈っております。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

ノムさんへ   投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月13日(月)17時25分15秒
  聖ヴィアンネの日の文書はこれでしょうか?

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/ecclesiastic/john_mary.htm
 

続、第41回 横浜教区 「一粒会」大会  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月13日(月)17時14分28秒    編集済
  ミサの司式は梅村司教様でしたが、共同司式の神父様は30数名でした。

午前に東京カトリック神学院々長・平田豊彦神父様の基調講演がありました。
断片で、平田神父様の意に沿った引用にならないかも知れませんが、紹介します。

「自己実現としての司祭職は迷惑である。」

「教会は、司祭だけが元気でもダメ、信徒だけが元気でもダメ、両方が元気でなければならない。司祭と信徒が喧嘩してもいい。喧嘩もするけれど一緒に働ける関係。それには互いの尊敬と謙虚さが要ります。そうした教会であることが、福音宣教に不可欠です。」

そして、「聖ビアンネの記念日」にヴァチカンの枢機卿が出されたレターを引用されました。中央協議会のサイトにあるようです。私も探しますが、見つけた方は教えて下さい。

[追記]
ここでした。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/ecclesiastic/john_mary.htm

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

第41回 横浜教区 「一粒会」大会  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月13日(月)16時56分47秒
  『心をすまして 主の呼びかけに応えよう』

行ってきました。写真をご覧下さい。
http://www.nomusan.com/zzz/2008.10.13-ichiryuukai_01.jpg
http://www.nomusan.com/zzz/2008.10.13-ichiryuukai_02.jpg
http://www.nomusan.com/zzz/2008.10.13-ichiryuukai_03.jpg

メイン会場は横浜雙葉「講堂」で、山手教会は10数年、クリスマス・ミサはここをお借りしています。
山手の聖堂は400名ほどしか入らず、地下ホールで並行しても入り切れません。
横浜雙葉は二階まで満席になると1,300名くらいになると思います。
今日は一階は満席でした。二階の様子は下から窺えませんでしたが、1,000人近くが参じたのかも知れません。一昨年の正平協大会は「全国大会」で一階の60〜70%だったと思います。今日は「横浜教区」だけです。

しかも雰囲気が明るい。
正平協大会は、私の斜め見かも知れないけれど、ネクラだよね。

というようなことで、カトリック教会は大丈夫ではないでしょうか。
大阪教区やさいたま教区の、一粒会大会の様子を知りたいですね>頬白親父さん、ダンボさん

梅村司教様へ一太郎さん関連の資料を、お渡ししました。
丁寧に読みます、とおっしゃいました。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

一太郎さんへ  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月13日(月)08時19分16秒
  一太郎さんの問いかけとグレゴリオさん、サボテンさん、ダンボさんのコメントを、悲しいことですが一抹の感動をもって拝読しました。
聖職者の「政治的言動」による、
1.信徒の教会離れ
2.求道者の「門の前」での“立ち去り”
この深刻さに気付き、諸先輩が声を上げ始めたのでした。

横浜アクショングループ(Y−DAG)が結成されたのが平成元年で、11月に機関誌『ヴァチカンの道』第一号が発刊されなした。
http://www.nomusan.com/vatican_seturitusyusi.html
即ち、平成元年の時点で、心ある信徒がやむにやまれず、声をあげるようになったのです。
ということはその更に数年前から、聖職者の政治的言動が顕著になっていたのでしょう。

私が受洗した「雪ノ下教会」には、そのような動きは微塵もなく、転籍した山手教会にもありません。従って私自身、下の分類の「2.」でした。

http://www17.ocn.ne.jp/~antijpj/mokuteki.html
1.カトリック教徒でありながら教会の「政治的言動」に嫌気がさして教会から遠ざかっている人へ
2.カトリック教徒でありながら、カトリックの名のもとに行われている「政治的言動」を知らない人へ
3.カトリックの教義を知りたいと思いつつも、カトリックは左翼過激派集団ではないかと思い逡巡している人へ

一太郎さんの訪ねていらっしゃる教会は「横浜教区」とか。
横浜教区は梅村司教ご自身、政治的言動は絶対なさいませんので、比較的静かな教区と思います。しかし一部、正平協が浸透しつつある動きがあります。一太郎さんはそこに当たったのでしょう。一太郎さんはご自分を「右より」とおっしゃっていますが、おそらく“ふつう”なのだろうと思います。そして信徒は、そのような者が大部分と思います。

私は今日、横浜教区の「一粒会」大会に出ます。(一粒会とは司祭の召命を願い、養成をサポートする、信徒の集まりです)
http://www.hiratsuka.catholic.ne.jp/ICHIRYUKAI/Ichiryukai.html

梅村司教様にお目にかかれると思いますので、今回の一連の交信をコピーし、司教様にお渡ししたいと思います。
又、来月15日(土)に雪ノ下教会で開かれる「横浜教区カテキスタ会 公開講座」にも参加し、機会があれば発言したいと思います。何しろテーマが、
『再び福音宣教に踏み出す』
ですから。
そしてその大きな障害になっているのが、一部聖職者ですから。
彼らは“小さい者、弱い者”の味方を演じ陶酔していますが、実は自分たちが身分を保障された特権階級、権力者であることを隠しています。自分を安全地帯において、自分の満足のために、信徒間の断絶を招き、「門を叩く人」への“関守石”になっているのです。

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

思い出した事  投稿者:一太郎  投稿日:2008年10月12日(日)23時42分33秒
  サボテン様、ダンボ様お返事ありがとうございます。
お2方の暖かいご意見が身にしみました。神父様からこのようなお話が聞ければ私の気持ちも180度違っていた事でしょう。

平正協についての神父様との問答で思い出した事がありましたので追記致します。
・「9条を守りたいのです、自民党が強かった時はこれを変えようとしてましたね今は弱くて大丈夫そうですが」と笑顔でおっしゃっていました。
・「松浦師に抗議しないでくださいね」と弱ったようなご様子でしたので苦情が神父様に来るのかなぁと思いました。
どうやら、平正協については支持されているご様子で、松浦師となんらかのお知り合いのような感じを受けました。
そしてなんかもやもやとした思いがありながら本日のミサに至ったわけです。

ローマに平正協のお話が届いているというのは、なによりの福音でございます。
私自身は、まったりと着実に信仰生活送って行きたいと思います。
日本のカトリック教会、信徒のみなさまに神の恵みがありますように。
 

一太郎さんへ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月12日(日)19時35分45秒
  一太郎さんの書き込みを拝見して「やはり・・・」と悲しくなりました。
私が危惧していたことが実際に起きているからです。
教会の扉は、思想信条に関係なく大きく開かれていなければなりません。

教会に来られた方は、神様に導かれていらっしゃった方々です。
その方々を大切に洗礼へと導く使命が、聖職者や信者にあるのです。
神様が招いた方々を、自分の思想信条でより好みをしたり、躓かせてはならないのです。

私の教会でも同時期に熱心な自民党員と共産党員の求道者がいましたが、ややもすれば、えこひいきのように見える言動をする司祭やピース9メンバーに、はっきりと抗議して、無事に洗礼までこぎつけました。

ピース9等の政治活動をされる方々ばかり目立ちますが、よく見ると、何も言わず、巻き込まれないようにそそくさと帰宅されている方々は、昔ながらの信仰をお持ちの方々が多いのです。

シスター方は司祭、特に高位聖職者である司教には忠実です。
昔は社会とはあまり関係なく修道生活をおくっておられましたが、修道生活も俗化し、従順の誓願の名残で、ご自分たちで調べて自分の頭で考えることはなく、聖職者の仰るがままといった感じです。

補佐司教は、私たち信徒の一部がはっきりと「政治の話などしてほしくない!聞きたくない!」と態度を鮮明にしたところでは、政治の話はなさいません。
そういう声をあげることで署名活動もなくなりました。
教会の中で溝ができるのは、最も避けたいであろうことなので。

もう、バチカンには情報が届いていますから、徐々に下火になるはずです。
そうなるように、私たちは、どんどん声をあげていこうと思っています。

一太郎さんもがっかりされたことと思いますが、どうぞ、主の導きに応えて、私たちと共に主を賛美していただければ幸いです。
大切な求道期、主を信頼し、雑音など無視して、主の温かいみ心にふれてください。
 

一太郎さんへ  投稿者:サボテン  投稿日:2008年10月12日(日)16時58分18秒    編集済
   2ヶ月間教会に通い、神父様ともお話しておられるのですね?
 通っておられる教会で特に問題がなければ、そのまま純粋に信仰を求められて大丈夫だと思います。まともな教会、まともな司祭がほとんどだと思います。カトリック教会のほんのひと握りの聖職者が、子どもがはしかにかかるように、政治活動に関心を持っているのだと思います。

 もし、おかしいと思えば、深入りしないことですね。ノーとはっきりおっしゃればいいと思います。司祭は司祭の立場で、表立って松浦師の言動の批判はできないのかもしれません。私の以前の教会の主任司祭は、補佐司教が聖堂でした話は「おかしい、ひどい」と言われました。ああいう話がカトリック教会の教えだと思わないでくださいね、という意味だと思います。

 多くの信徒は正平協に無関心だと思います。忙しい社会人なら、日曜、ミサに与るだけで精一杯です。それでいいのだと思います。自分が置かれた家庭や職場や地域でささやかに主が教えられたように隣人愛をおこない、どんな時でも決して希望を失わず、信仰をもって生きていく力をいただくのが教会だと思います。「正平協の活動に参加すること=信仰を表すこと」ではないですから・・・。

 (人格攻撃というのは少し違いますね。ふつうの信者さんがやっていいことでも、聖職者としての権威を利用してやってしまうとまずいことはあるわけです。行いや発言や考え方の批判は、どこの世界でも責任ある方なら受けるべきでしょう。「行動・発言・考え=人格」とは言えないです。言動・考えが人格からあふれ出るものであることを否定はしませんが・・・。)

 キリストの教えは、人生のがけっぷちに立たされた時、力をもつものだと思います。私もカトリックの信仰をいただいてよかったと思います。

 家族の反対を押し切れず、洗礼まで何十年も求道生活を続けられた男性もおられました。何十年もの準備の後の洗礼式は感動的でした。彼は、色々あったけれど、洗礼を受けてよかったとおっしゃっています。

 カトリック教会は出入り自由ですから、どうぞじっくりと見極めてくださいね。お祈りしています。
 

主日ミサ  投稿者:一太郎  投稿日:2008年10月12日(日)16時04分32秒
  グレゴリオ様お返事ありがとうございます。
良識ある信徒の方のご意見が聞けてとても参考になりました。
やはり、そういう事態(教会から離れるなど)になっておりましたか。
汝を迫害するものをも愛せよとは申しますが、まったくもって難しいものですね。

本日のミサでの事です、教会の入り口でシスターがカトリック新聞を私に
見せて「あなたこれ読んでごらん」とおっしゃいました。
一太郎「これって政治的に偏ってますよねぇ」
シスター「そんな事ないわよ(笑)ちゃんとご覧なさい」
一太郎「はぁ。。」ざっと読んでみました。
「憲法9条。。」どう見ても偏ってます;;ありがとうございましたorz
聖職者の方々は、このような記事が普通でありがたく読んでおられるのでしょうか?
本当に頭が痛くなってまいりました(^^;)
グレゴリオ様のご推薦の本を読んでしばらくおちついて考えてみたいと思います。
 

キリストが愛した子供たち  投稿者:ワンダー  投稿日:2008年10月12日(日)08時52分6秒    編集済
  ワンダーと申します、このサイトが、カトリック信者を中心とする、キリスト教関係者の
信仰を確かめ合う場として、ふさわしくない、投稿になってしまったことをお詫びします
次回の投稿の時には、私の信仰告白をさせていただきたいと思います。

http://6015.teacup.com/wonder/bbs

 

一太郎さまへ  投稿者:グレゴリオ  投稿日:2008年10月12日(日)07時45分49秒    編集済
  主の平安 一太郎様、「正平協」に躓かれないことを祈ります。
わたしは幼児洗礼で、信者歴?40年になります。
教会に呼ばれては離れ、離れては呼ばれ、を繰り返してきました。
しかし、何度でも帰ってこれたのは、主が聖霊によって呼び掛けてくださり、主がカトリック教会のあふれんばかりの宝を通じて呼び掛けてくださったおかげです。
教会はたくさんの霊的な宝を持つ家、私たちの帰るべき家なのです。
その宝は、一生をかけてもその全てを見ることはできないほど豊かなもの。
しかも、いつでも、欲しいときに頂ける宝なのです。
ですから、「正平協」の活動、存在を躓きにするほど、私たちにとって「もったいない」ことはないのです。

私自身も、「正平協」が大きな躓きになり、「憎しみ」すら覚えていました。
また、「正平協」の活動に嫌気がさし、教会を離れた人、
逆に「正平協」の活動にのめり込むあまり、自分の所属教会に来られなくなった人も知っています。本当に恐ろしいことです。

この「憎しみ」と「憎しみがもたらす教会内の分裂」「信徒を教会から引き離すこと」こそが「正平協」の後ろにあるものの本当の狙いなのかもしれません。

わたしたちは、彼らに惑わされず、主の導きに従って「識別と選択」をして参りましょう。
彼らのように「自分で考えること」を放棄してはなりません。
主に祈り、導きをもとめつつ、「識別」し、自分で「選択」していく。その選択した結果を主に委ねる。

この「識別と選択」に関しては、イエズス会の神父様の「霊操」の関連本に詳しいのですが、お勧めは、女子パウロ会刊 来住英俊神父著 「目からウロコ キリスト者同士の人間関係」です。簡単に、何度でも繰り返し読める本です。

先輩面してすみません。でも、カトリック教会は、本当に素晴らしい教会なのです。共に、隠されている多くの宝を掘り進めて参りましょう!!
 

入信前ですが。。  投稿者:一太郎  投稿日:2008年10月12日(日)02時11分22秒
  はじめまして、横浜教区のとある田舎教会に通い始めて2ヶ月になるものです。
教会そのものは、まったくもって普通でありますが、この掲示板や関連ブログ
などを、拝見し平正協関係者の目にあまる政治的活動を憂慮して神父様にうかがってみました。(信仰は一生ものですから^^;)
「インターネットは人格攻撃ばかりでいい加減で信用してはならないし、見ない方が良い」
「松浦氏に抗議したりしないでくださいね、お話を聞くような事があれば良く聞いてちゃんと考えるように」との事。。
しかしカトリック新聞などの過去記事を読んで見ると。。orz
右よりな自分には受け入れられる思想ではありません><
もちろん、政治信条は自由でありますが、教会には持ち込んほしくないですね。
せっかくすばらしい教えなのに、とてももったいないと思いました。
このような事がきっかけで、私のように入り口で躓いてしまう人もいそうで残念です。
 

聖職の政治的逸脱と偏向  1  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年10月11日(土)23時18分17秒
    今ではもうそのまま妥当していないかも知れませんが、司教、その他の聖職は、教会が永年練りに練った哲学と神学を徹底的に学習し、さらに10年15年にわたって教会伝統の信仰と霊性を徹底的に身につけさせられて叙階されました。

  ですから個人的には性格上の問題があっても(例えば怒りっぽいとか、逆にあまりに甘すぎるとか)、それでも信徒は全幅の信頼、そして敬愛を持って、その信仰指導に従うことが出来たのです。

  現に彦左衛門が個人的に知っている司教、聖職の多くはそうう人です。

  ところが、最近、いやここ10年ばかり、司教、聖職の少なからぬ人たちに看過できない大きな問題が生じてきました。

  それは、彼らの政治的逸脱(1)と政治偏向(2)です。この両者は必ずしも同じではありません。神父が例えば、ミサの説教で福音の教えを説かず、麻生さんはカトリックだから信徒はかれを支持すべきだと説教したなら、これは政治的逸脱です。麻生さんを支持することは間違っていないかも知れません。

   しかしそういう説教をする前に、司祭は、もっともっと、信徒に救済の秘儀と神秘を語り、これを信じることによって、我々が不条理不合理のこの世において、なおキリストに従う愛と勇気と信頼とを持つならば、この世に生まれた意味があることを、何百万言を費やして語るべきです。折角の貴重なミサの説教で、政治論をする暇などあるはずはない。

 (日本では年に3万人を超える自殺者が出ています。どうか司教、聖職の方々この悲惨な現実を吾ら宗教者の責任としてとり上げてくださすい。)

  そもそも聖職の伝統的養成過程には、政治の問題に嘴を入れるのに必要、不可欠な、教養、知識、が欠けている。そしてそれは当たり前だ。

 内外政治の過去と現在の問題の分析、政治的イデオロギーの歴史的功罪等々について首を突っ込んでいては、肝心の聖職養成はおろそかになってしまう。

 聖職はそういう問題には無智でも恥ずかしいことではない。信徒はまた聖職の専門でもないことから、教えて貰う必要は全くない。政策の選択については特にそうだ。

  続く:





  。
 

共同宣教司牧の恐ろしさ  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年10月11日(土)20時49分51秒
  大阪教区では3〜5か所の小教区ごとにブロック化し、そのブロックをいくつかまとめて地区を作っています。修道会が司牧するところは協力宣教司牧ですが。

それに付随して、小教区の評議会規約を改正するように教区から要求されています。

教区の求めるものは、恐ろしいものです。ブロックのモデラトルが会長となり、全権限を集中させます。各小教区評議会も会長出席なしには開催できません。ということは、会長であるモデラトルは受け持ちのブロック内小教区の評議会に全部出席しなくてはならないのです。そして、会長ではない司祭は、評議会に参加されていても、一評議員です。小教区内、ブロック内の権限は会長司祭に一極集中していますから、何をするにも、会長司祭にお伺いを立てなくてはならないので、小教区活動は滞ります。すぐ近くにいらっしゃる司祭方に相談できず、不在の会長司祭が実権を持っているのです。主任司祭・見習的な助任司祭なら分かりますが、経験を積んだ司祭方の中で、ヒエラルキー外の位付けですね。

これには長所として、問題行動をされる司祭に権限を持たせず、ミサだけを挙行していただくことがあげられますが、短所の方が大きいかと思います。
先にもあげましたが、教会活動の滞り、教区は教区内の全小教区を特別な意図をもって監視し、そちらに導こうとするとき、各ブロックに意に沿う司祭を会長に据えればよいので、少人数のYESマン的司祭で掌握できますね。

幸いなことに、教区の呼びかけに対して、なかなか応じる小教区は少ないようです。特に大きな教会ほど。

教区での規約の担当司祭は、松浦信行師とのことですが、この方、菓子パンでミサをされた方ということですが。どうやら、無効とかで問題にせず、有耶無耶にされたらしいですが。
ご受難会から教区司祭に移籍された方ですが、何となく疑心暗鬼になってしまいます。

教区事務所で規約を担当されている職員も、補佐司教の秘書です。余計に疑心暗鬼に。

この方々のご希望は、規約の各箇所で会長の権限についてやたらと、繰り返し繰り返し、書き込むようにとのことです。偉ーーーい司祭で、全権限は会長司祭、彼一人にあるんだぞ!!っていわんばかり・・・

世間知らずの司祭が、自分の徳に応じた尊敬以上のものを要求し、権力を振りかざすようになったとき、信徒は「小さくされた者」(←こういうときに使うべきです」)ですね。
まぁ、どんな司祭の手からでも聖変化してくださるイエス様の寛い御心を思えば、私たちはミサを挙行される権限を与えられた司祭として敬意は払いますが・・・。
 

インドのカトリック司教協議会の公式HP  投稿者:Pas  投稿日:2008年10月11日(土)12時44分14秒    編集済
  CATHOLIC BISHOPS' CONFERENCE OF INDIA(C.B.C.I.)
http://www.cbcisite.com/
オリッサ最新情報
http://www.cbcisite.com/OrissaUpdates2008.htm
インドのカトリック教会の概観
http://www.cbcisite.com/church%20in%20india.htm
インドのカトリック教会に関連する諸々の写真
http://www.cbcisite.com/Photographs.htm
Indian Catholic - C.B.C.I.のニュースサイト
http://www.theindiancatholic.com/
CCBI(Conference of Catholic Bishops of India) - ラテン典礼の司教たちによる協議会のHP
http://www.ccbi.in/What%20is%20ccbi.php
オリッサ地域の六人の司教
http://www.ccbi.in/orissa%20region.php

シロ・マラバル典礼のカトリック司教たちのHP
http://www.smcim.org/
シロ・マラバル典礼教会の歴史
http://www.smcim.org/history.htm
シロ・マランカラ典礼のカトリック司教たちのHP
http://www.syromalankara.org/
 

脱北者は語る  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年10月10日(金)07時34分2秒
  すぐ出かけますので、案内だけさせて下さい。
http://www.nomusan.com/zzz/dappoku.pdf

http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 

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天におられる私たちの父よ
御名が聖とされますように
御国がきますように
御心が天に行われるとおり地にも行われますように
私たちの日ごとの糧を今日もお与えください
私たちの罪をお許しください
私たちも人を許します
私たちを誘惑に陥らせず
悪からお救いください
 アーメン


   
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