清原の最後の壮絶な、闘いのドラマをTVでみた。
この男、野球がつくりだした、すごい人物だ。

いったいなんだったのかと、感じ考えながら、
相手を美しくしていることにきづいたのだが、
それを、ドキュメントでみていて、あらためて感動した。

野球につれていってくれた、おじいさんから、大手術後、リハビリのなかで、
わが子と一緒に走る清原、子どもたちがほんとに美しくなる。

清原に立ち向かって、ピッチャーは直球勝負したくなる、
そういう美しさをひきだしてしまう清原。
野茂が、伊良部がそこに闘いをいどんだ。伊良部に当時、日本最速球をださせた。

それが、最後の桑田の3球に集約された。
空振り、3振。桑田は、後ろをむいて大泣きしていた。
桑田が、桑田として美しくなる。

18歳の純粋な野球少年たちをもてあそんだプロ野球のシステム、
それにもめげず、選手たちは自分のプレーをしつづける。
その、典型が、清原と桑田であった。

3振してもファンから声援があがる。
壮絶な手術を支えつづけた、妻が美しい。
母が、父が、美しい。
「お前の最後の花道は俺がつくってやる」といって、
清原をむかえいれ亡くなった仰木監督、だがそのとおりになった。

わずかの期間で、仰木にこびてなんぞと非難されたこともあったが、
清原にとって最後の野球をさせてくれた真の恩師であった
それは当人にしかわからない大きなものなのだろう。
オリックスで活躍しえずとも、ファンはあたたかった。

野球が命であることを、純粋にやりきった男、
その男にであった者たちが、だれでも美しくなっていく。対的に美しくなる。

肉体改造も邪道だと非難された、しかし、清原にはそれしかなかったのだ。
そして膝の大手術、それをなした医者も美しくなっていく。

いたたまれず、大事なバットで壁をうちやぶる苦しさ、
そのあいた穴の上に子供たちの絵がはられ、清原を見守る。

なにもかもが、真剣に野球に生きている男によって、美しくなる。
TVをこえて、人がこちらにつたわってくる。
こんど生まれ変わってきたとき、
同じチームで一緒にホームラン競争をしようといった王。
そのことばは、清原だけがきいた。23年間のおもいが、一瞬に溶ける。
フルスイングの三振で、さわやかな笑顔で去った清原。

ふたたび、清原がグランドにもどってきたとき、野球はうまれかわろう。