試合後、感謝のセレモニーに臨んだ岡田監督=西畑志朗撮影
監督5年間で80勝以上のシーズンが3度もあるのに、優勝は1度。あと一歩届かない、もどかしい戦いが続いた。
突然の決意のようだが、実は家族には9月ごろから辞任の相談をしていた。多くは語らないが、常に「一年一年が勝負」と決めていた。あるコーチは「いいことも悪いことも1人で背負い込んだ」。人気チームを率い、シーズン中は重圧で眠れない日が続く。昨年も、遠征先のホテルで試合後に関係者と酒を飲みながら、「辞めたい」と漏らしたことがあったという。
ベンチでは、強気の指揮を執ってきた。バントを嫌い、選手の起用法を曲げない。05年はシーツ、金本、今岡と3〜5番の中軸を固め、投手陣は必勝リレー「JFK」でリーグ制覇。しかし、06年は84勝で2位。昨季は12ゲーム差を追いつき1度は首位に立ちながら、力尽きて3位に。今季は最大13ゲーム差を逆転されての2位に終わった。
疲労の色は日に日に濃くなっていた。南信男球団社長は「相当疲れて、つらかったでしょうね。彼の気持ちを分かっていなかったのを反省している」と言った。
12日昼すぎの自宅前。報道陣の前に現れた岡田監督は、重圧から解き放たれたように、穏やかな表情だった。ただ、CSの前になぜ、という疑問はある。「世紀のV逸」となった現実。阪神は、監督が幼少から大ファンだったチームだ。その指揮官として、早く責任とけじめをつけることを選択したのだろう。(上山浩也)