11日。横浜戦の前だった。チームが球場に到着するとすぐに選手、コーチ、スタッフがロッカールームに集められた。普段は開けっ放しのドアが閉められる。優勝を逃した責任を取って、岡田監督自ら辞意を全員に伝えた。
開幕前、指揮官は「ことしが一番戦力が充実している」と手応えを感じていた。だが、快調だったチームの勢いは、夏場を過ぎたあたりから失速した。北京五輪で藤川、新井、矢野が抜けたのに加え、その後も新井が故障で離脱した。思い描く野球ができなかった。
同率首位で迎えた今月8日の巨人戦も力負けだった。前半戦で好調だった先発陣がそろって下降線をたどり、救援陣にも大きな負担がかかった。打線も得点力不足が続いた。1年で最も大事な時期に、いくつものマイナス要素が重なった。
一方で、阪神を常勝チームに変ぼうさせた功績は大きい。就任1年目は4位だったが、2005年にはリーグ優勝した。「JFK」も作り出した。今季は岩田の成長を促し、鳥谷を主軸に定着させた。宮崎前オーナーからは「育てながら勝ってくれ」と頼まれ、うまくやり遂げた。
今季13ゲーム差をひっくり返されたのは、屈辱だったに違いない。ただし、20を超える貯金は立派な成績だ。坂井オーナーは「優秀な監督。(来季も)再チャレンジをするには最適のパートナー」と高く評価した。
このまま6年目のユニホームを着るのは、監督自身の中で納得できないのだろう。その頑固なまでに自分を通す姿も、最後まで岡田監督らしかった。