明治以降、迫害と差別を受けてきたアイヌ民族に対する国の政策が転換期を迎えている。政府は6月、アイヌを「先住民族と認識する」との官房長官談話を発表。7月には「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(座長、佐藤幸治・京都大名誉教授)を設け、97年制定のアイヌ文化振興法(アイヌ新法)以来となるアイヌ政策の本格的な見直しに着手した。昨年9月には国連で「先住民族の権利宣言」が採択されたばかり。国際的に日本の歴史認識や人権感覚が問われる中、国はアイヌ民族の声に真摯(しんし)に向き合い、世界に誇れる先住民族政策を取ってほしい。
私が担当する北海道南部の日高地方には多くのアイヌ民族が暮らしている。北海道庁の06年調査では道内に2万3782人おり、その約3割が日高在住だ。彼らと触れ合う中で痛感するのは、差別が今も続いているという厳然たる事実だ。
中学に通う女の子は小学生の時、教室でクラスメートから辞書の「アイヌ」の項目を無理やり見せられ、ペンやノートを汚いものをつまむような手つきで持たれたりした。同級生の一人が親から「アイヌは汚い」と聞かされたのが、いじめのきっかけだったという。70代の男性は最近、友人が陰で自分のことを「あいつはアイヌだから」と話すのを聞いたと明かした。差別の話になると、急に口数が少なくなる人もいれば、自らの体験を涙を浮かべて語る人もいた。
深刻なのは、こうした差別が生活格差に直結している点だ。道庁によると、アイヌ民族の生活保護受給率は3.8%で、アイヌ民族以外の1.6倍。大学進学率に至っては半分以下の17.4%にとどまっている(いずれも06年)。この数字からは、教育や就職、結婚などで受けた差別が結果として生活苦につながり、次の世代も貧困から抜け出せないという“負のスパイラル”が見え隠れする。
かつて国のアイヌ民族政策は北海道開発の名の下に行われてきた。彼らの土地は国有化され、伝統的な生活の手立てである漁業や狩猟の権利は奪われた。アイヌ文化は否定され、「日本人」との同化政策が進められた。その象徴が1899(明治32)年施行の北海道旧土人保護法だ。97年、アイヌ民族初の国会議員、萱野(かやの)茂さん(故人)らの尽力によって1世紀ぶりに廃止されたが、代わりにできたアイヌ新法は先住民族の認定を避け、内容は「文化振興」に限定された。アイヌ文化の理解促進はある程度進んだものの、萱野さんの次男志朗さん(50)=萱野茂二風谷(にぶたに)アイヌ資料館館長=は「生活の向上には直接、結びつかなかった」と言う。
アイヌ民族の多くが今も貧窮している背景には国の差別的な政策があり、現在の格差社会問題とは事情が異なる。道庁は独自の奨学金制度などを設けているが、「本来は国がやるべきことを地元がやっている」(志朗さん)に過ぎない。アイヌ民族の苦しみを「地方の問題」として片づけてきたのが、今までの国の姿勢だったと言える。
有識者懇は来夏にも報告書を出し、国はそれを基に新たな支援策を検討する予定だ。有識者懇のメンバーには地元から高橋はるみ北海道知事やアイヌ民族でつくる北海道ウタリ協会の加藤忠理事長(69)が選ばれ、加藤理事長は9月17日の第2回会合で「教育の充実」など生活支援に向けた現実的な要求を掲げた。今後は土地や資源の返還・補償といった先住権の中身が議題に上る可能性があり、国としても簡単に妥協できない場面が出てくるかもしれない。しかし国はまず過去の政策を反省し、アイヌ民族の主張に耳を傾けることから始めるべきだろう。
私は7月、北海道洞爺湖サミットに伴って開催された「先住民族サミット アイヌモシリ2008」を取材した。11カ国・地域からアイヌ民族を含む22民族が集まり、権利回復や環境保護について意見交換した。いずれも迫害の歴史を持つ各代表者は「先住民族は先祖伝来の土地を大切にし、自然と共生してきた」と自分たちの価値観をアピールし、フィリピンの先住民族で国連先住民族問題常設フォーラム議長のビクトリア・タウリ・コープス氏は「先住民族の権利を守ることは、地球環境を守ることにもつながる」と主張した。私たちは彼らから学ぶべきものが多い。
先住民族の権利保護は国際的な流れだ。国はアイヌの人々との共生に取り組む姿勢を鮮明にしてほしい。それが、この国の多様性と寛容さにつながると信じている。(北海道報道部苫小牧)
毎日新聞 2008年10月10日 0時03分